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和歌山と高野山の巻 6 【九度山】 [和歌山]

2016年5月12日(木)】  和歌山と高野山の巻 6

高野山よりホテルを予約した橋本市内へ
1本道で行くならば国道371号が直線距離となるのですが、寄り道をしたくて国道370号を通る
その寄り道先は・・・

九度山 (くどやま)

九度山は和歌山県の北西部に位置し、高野山と紀ノ川に挟まれた風光明媚な町で特産物は「柿」

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(九度山町HPより)

実りの季節になると町内は柿一色。九度山では「富有柿」を主に生産され、葉も寿司を包む器として有名
柿の葉寿司は和歌山北西部から奈良に掛けて名物として売られ、私の好物でもあるんです

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(2012年に奈良県吉野へ訪れた際に購入した柿の葉寿し)

鯖寿司、鱒寿司といった寿司は大好きなのですが、鮒寿司だけは苦手。。。
土産として購入したかったのですが、日持ちが少ないので我慢、我慢

16:50 真田庵 (さなだあん)

真田庵は関ヶ原の戦いで西軍に組した真田昌幸と幸村親子は、信州上田城にて2代将軍徳川秀忠を迎え討ち、籠城戦によって関ヶ原進軍を遅らせた。西軍勝利ならば大功労となりますが、石田三成率いる西軍が関ヶ原に手大敗し、真田親子は死罪を申し受けるが、東軍に組した兄信之の嘆願により高野山への蟄居となった。
当初は高野山の蓮華定院に住むが、あまりにも冬の寒さが厳しく麓にある九度山へ降り、現在真田庵があるこの地に移り住んだそうです。
高野山を含め約14年もの年月を過ごし、その間に父昌幸が死に幸村はいつか再起をと願っていたと思われる。そしてついにこの日がと九度山を脱したのは豊臣秀頼からの依頼があり、幸村は息子大助を連れ大坂城に入場。
徳川との戦において無策である豊臣家重臣に対し、幸村は大阪場外に出丸を築き、これが現在NHK大河ドラマのタイトルともなっている真田丸。
冬の陣で活躍をしたが徳川との和睦に、夏の陣では現代でも真田幸村を語る赤揃えの甲冑、あと一歩での所で戦死し、家康より「真田、日本一の兵(つわもの)」と称される。
どの世にも大勢を嫌う者が多い。徳川を良く思わない者も数多くいただろう。その者達からすれば真田幸村は憧れの存在で、負けはしたものの家康本陣まであと少しの所まで果敢に攻めた勇士。フィクションではあるが真田十勇士等の物語が生まれたのも不思議ではありませんね。
実は私が真田幸村を意識したのは池波正太郎の「真田太平記」。高校卒業間際より読み始めたような気がするが、読んで行くうちにかなり幸村ファンになっていった事を覚えています。
幸村ファンであるからか上田城はもとより真田の里、上州上田、信州松代と訪れ、今回は幸村が最後の生活の場所となった九度山に来れてかなり嬉しいんですわ

高野山より一気に山を下り、まだ開館しているかな・・・と思いながら行ってみると門が閉ざされていた。
拝観時間は07:00~16:00との事。。。閉まるのが早いんですね。
せっかく立寄ったので裏に回ってみると真田ミュージアムもありますが、時間的にタイムアウトでしたわ

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今夜の宿は橋本市内のルートイン。
一度宿泊してから老夫婦には人気があるんです。
父はホテルに大浴場があれば良い、母は一人個室であれば良い(理由はテレビを占有出来るのと、せっかくの旅行中は父と一緒に寝たくはないんだそうです)という意見があり、ツイン2室(父と私)シングル1室がいつもの予約。
今回はツインが予約できなかったためシングル3室。変な親子でしょ?(笑)
宿泊先を探すとなるといつも苦労するんですよ

九度山の細い道を走っていたら橋本へ行く道に出れず迷ってしまい山間へと向う始末。それでも何とか本道へと戻れそうな道を見付けると電車の踏切。そして踏切の先は九度山駅

17:10 南海高野線 九度山駅 (くどやまえき)

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駅前には駐車するスペースが無く、写真1枚だけと路上に駐車して駅舎をパチリ。NHK大河ドラマ人気もあって私と同じように駅舎を撮っている方もおりました。路駐なので駅舎にも入らずでしたわ

17:30 ホテル到着
ホテル近くの居酒屋風レストランで食事をし、大浴場で疲れを癒し就寝。
昨夜は車中泊で熟睡ともいかず、酒の力も不要で21:00には眠ってしまいました

2016年5月13日(金)】 

07:30 ホテル出発
ルートインはビジネスホテルとあって、泊り込みで仕事されているガテン系の方が多く、無料朝食会場は職人さんぽい方がいっぱい。純粋な旅行客との割合は半分半分なのでは?

今日も良い天気。昨日も立寄った九度山に戻ります

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紀ノ川沿いを走って九度山へ

(九度山まちなかマップ クリックすると大きく見えます)

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08:05 世界遺産 慈尊院 (じそんいん)

816年開祖 実はこの慈尊院が高野山の入口となる寺院で、高野山開山寺に創建され厳冬期に下山する者はこの慈尊院で修行したとも云われている。
また、高野山へ弘法大師さまの母が訪ねて来た際、ここ慈尊院に宿泊し、弘法大師さまが月に九度訪れた事から、この地を九度山と呼ばれるようになったと伝えられている

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本堂にはこのような祈願札が・・・
女人禁制の高野山に行けない女性がここ慈尊院へ来られた事もあり、子授けや安産、授乳、良縁を願って乳房型の絵馬を奉納した事がはじまりと云われている。
最近では乳がん祈願としてお参りされる方も多いそうです

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こちらは重要文化財 に指定されている弥勒堂(みろくどう)
安置されているのは国宝 木造弥勒仏坐像(もくぞうみろくぶつざぞう)で、21年に1度御開帳されるが、毎年2~5日程度の御開帳。2015年(昨年)が21年目の年と高野山開創とあって50日間も開帳されたんだそうです。
次は計算すると2036年頃、、、だいぶ先だなぁ

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境内には多宝塔があり、その先に階段と鳥居があります

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この先が丹生官省符神社へと続くのですが、まさにこの階段こそが高野山へと続く、高野山町石道となるんです

08:20 世界遺産 丹生官省符神社 (にうかんしょうぶじんじゃ)

この神社の創建も慈尊院と同じ816年。弘法大師さまによって建てられている。
神仏分離されるまで慈尊院と同じ境内であったと云われています。

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本殿は重要文化財に指定されている

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慈尊院 和歌山県九度山町832 拝観無料 駐車場:10台程度・無料

丹生官省符神社 和歌山県九度山町835 拝観無料 駐車場5台程度・無料

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また紀ノ川を渡り、紀の川市へ
今日1日は和歌山を巡る予定であります


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kuwachan

私も吉野へ行った時に柿の葉寿司を買って帰りました。
元々お寿司好きなのでパクパク食べちゃいました(笑)
池波正太郎の「真田太平記」読みました。今も持っています。
九度山は行っていないですが、上田には行きましたよ^ ^
by kuwachan (2016-06-10 22:47) 

わけん

kuwachanさん
柿の葉寿司は美味しいですよね。
バッテラや鱒寿司含め、古来の伝統ある寿司は大トロよりも好きなんです。
真田太平記を読まれましたか。私もボロボロながも単行本が今でも残っていますよ~
by わけん (2016-06-11 23:10) 

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