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倭姫命巡幸 4 【5 隠市守宮】【6 穴穂宮】【7 敢都美恵宮】 [倭姫命御巡幸]

【2016年7月23日(土)】  倭姫命巡幸 4

倭姫命御巡幸の記事も今回が4回目。
大和国より伊賀国へと入りましす

国道165号線を名張に向うのですが、先程から近鉄の線路がずっと並走。
京や奈良から伊勢へと向うルートは斎王が辿ったコースでもあり、
そう考えると近鉄って奈良や京都、伊勢を結ぶ路線。天照大神さまと切り離せない縁があるのかな?

「実は近鉄の役割は現代における斎王・・・」みたいな都市伝説があったりして。。。

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伊賀と聞いて真っ先に思い浮かべるのは・・・忍者になるんですかね?
途中、警察の方々が「ネズミ捕り」をされているのを見掛け、やはり忍者的な?術を使うのかも
そんな事はありません。暑い中ご苦労様です

篠畑神社より約20分ほどで名張市街に入りました

11:45 【5 隠市守宮】 [宇流冨志禰神社] (うるふしねじんじゃ)

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伊賀国 隠市守宮 (なばり いちもりのみや)

「隠」と書いて「なばり」って読むんですね。
現在は「名張」と書きますが、古くは「隠り伊賀国」と呼ばれていたそうな

宇陀川と名張川が合流する付近に倭姫命は天照大神を一時遷座させたのがな隠市守宮(なばりいちもりのみや)。
2年程この地に宮を構え天照大神を祀っていたと伝えられている。
その比定地の1つとされる宇流冨志禰神社(うるふしねじんじゃ)

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名張川沿いに開けた町から名張駅がある高台へと通じる参道を上がると社が見えてくる

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立派な神社でしたが、古来のより伝わる伝書は織田信長の伊賀攻めによって多くを焼失したらしい。
それでも残った資料によると873年の記録があるそうだが、倭姫に関する資料はほぼ無いみたいです

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御朱印をお願いできるのかなと社務所を含め神職を探したが無人。時間的にお昼休みなのかな

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境内には神武天皇遥拝所や多賀大社遥拝所もあります

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境内社が並ばれていて、神様がいっぱいの神社でありました

近くに蛭子神社があって、そこには「隠市守宮」の名が記されていたそうなのですが、立寄らず仕舞でございましたわ

この日は猛暑日で気温も34度(車の外気温度計)。参拝から戻ると車内は熱地獄。
数分は窓全開で走らないとエアコンが全く効きません!

名張より伊賀上野方面へ車で20分ほど走らせると・・・

12:25 【6 穴穂宮】 [神戸神社] (かんべじんじゃ) 

伊賀国 穴穂宮 (あなほのみや) 

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回りは田圃が広がり社の回りに住宅が立ち並んでいる

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こちらが穴穂宮(あなほのみや)比定地とされる神戸神社

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鳥居がやけに新しいような・・・

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鳥居より左へ90度曲った場所に拝殿があり、御祭神には「倭姫命」の名がありました

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拝殿から横へ回って本殿を眺めると真新しい!
これはもしかして、、、式年遷宮?

丁度、お参りされていたお婆さんがおられたので伺ってみると、昨年に20年に一度の式年遷宮をされたんだそうで、
伊勢神宮の古材を使っているそうなんですが、古材には全く見えない新しさを感じるんですけど

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本殿は伊勢神宮と同じ神明造です

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倭姫命は市守宮より名張川(木津川)を下り、ここ穴穂宮で4年を過ごされる。
どの宮でも2年~4年近く過ごされる(鎮座)させるのは目的があるともされていて、当時は稲作を知らない地が多く、倭姫命が稲作を伝授し、神田(しんでん)を造って天照大神に供された為と唱える考古学者がおられるそうな。
この神戸神社の周辺を眺めていると、確かに一理あるかもと思わせられる

稲作は中国や朝鮮より伝来し、日本国中に広まったと伝えられ、その先陣に立っていたのが卑弥呼だとされているが、あくまでも憶測の域なので断言は出来ない。
でも稲作が広まった弥生時代は紀元前の縄文時代から3世紀頃とされている。
倭姫の年齢は「倭姫命世紀」によると500歳も生きられたとされているんですが、そうなるとあまりにも伝説っぽくなってしまうんです。でも歴史と擦り合わせて行くと、、、

伊勢神宮は鎮座2000年と伝えられていますが、古文書として現在確認できるのは5~6世紀頃。
そこに空白の500~700年があるんです。
卑弥呼の存在は中国の古文書にも記されているのだから本当に存在したとして、空白の500~700年の中で稲作が広まり、縄文から弥生、時代は古墳時代へと入り、天皇の存在もこの頃から古文書に記されている。
そうなると、、、、!

・・・

また長くなりそうなので次回に回します

境内には「天乃真奈井戸」
真奈井とは最も清浄な水を指す言葉で湧水の中でも一番と云う意味で、天から授かった霊水、聖水とも言えます。
神社には必ず手水舎(御手洗場)があり、手や口を清めてから参拝をするのが習わし。
古代では川に身を入れて清める禊(みそぎ)がされていました。神社と水は切っても切れない関係なんです。
また、神社の参道で橋を設けている神社があるかと思いますが、意味としては神域との結界を示し、もう1つの意味として川を渡る事による禊としているんですね。

神社にお参りする際は手を清め神様にお会いしましょう

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もう時刻は午後になっている。
今日の最終目的地をそろそろ決めないと・・・と考えながらも、行ける所まで行くのがいつものスタイル。
日が沈むまでは何とか・・・

国道422号で名阪国道上野東ICから上柘植ICで降りるのですが、名阪国道を走っている途中で睡魔に襲われ、上柘植ICを降りた所にあったコンビニ駐車場で少しだけ昼寝。何分寝たのか分からず、目覚めてすぐに次の目的地へ

伊賀神戸の神戸神社から約25kmで都美恵神社に到着です

14:00 【7 敢都美恵宮】 [都美恵神社] (つみえじんじゃ)

伊賀国 敢都美恵宮 (あえとみえのみや)  

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準備されていた方に尋ねると、私が訪れた翌日(7月24日)に行われる「祇園祭」の準備との事。
お祭りは賑やかなんですかと聞いてみると、今夜は花火もあって盛り上がるよ~だそうです

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由緒書きを読むと当初は穴石神社と称していたが1644年の大洪水によって社は甚大な被害を被り、現在の場所へ移された。その後1村1社の合祀が行われ、大正時代に元伊勢の宮であった事から「敢都美恵宮」から都美恵神社と社名に変えられたそうです

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倭姫命はこの地に2年間遷座させたと伝わっている。
倭姫命がこの地で天照大神を祀られている間、日照りになると雨を降らせるなど倭姫を陰ながら守り、
村人達をも守られた。その龍神が「近江へ向いなさい」とのお告げがあり、倭姫命御一行は次の地へと旅立たれました

拝殿を背にして参道方向を眺めると山が見える。
この山は霊山と呼ばれ、都美恵神社の前身である穴石神社はこの山麓にあったそうです

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伊賀国の3宮を一気にお伝えいたしましたが、奈良県から三重県、次は滋賀県へと向かいます

今回お伝えした3宮は以下の通り

5 隠市守宮   宇流冨志禰神社 三重県名張市平尾3319   駐車場なし

6 穴穂宮    神戸神社      三重県伊賀市上神戸317   駐車場は神社反対側にあり

7 敢都美恵宮 都美恵神社    三重県伊賀市柘植町2280  駐車場なし

※駐車場が無い神社では邪魔にならない場所に停めさせていただきました


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kuwachan

伊賀といったらやっぱり忍者ですよ。それしか思い浮かびません(^^ゞ
田園風景の中の神戸神社の鳥居と真っ直ぐな参道?並木は松ですよね、がいいですね~。
by kuwachan (2016-10-11 22:07) 

わけん

kuwachanさん
伊賀と云えば忍者ですよね。ハットリくんも確か伊賀でした。
神戸神社の参道にある松並木はまだ若木ではありますが、
青い田に松並木、、、絵になります。
by わけん (2016-10-13 23:14) 

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