倭姫命巡幸 5 【8 甲可日雲宮】【9 坂田宮】 [倭姫命御巡幸]
【2016年7月23日(土)】 倭姫命巡幸 5
伊勢どころか琵琶湖近くまで来てしまいましたが、倭姫命巡幸を辿る旅もこの5回目で初回は最終回
7月22日金曜の夜、風呂に入りながら「今から行っちゃおう」と無謀な出発をし、
無計画ながらもよくここまで来たものだと自分に褒める。
この日のタイムリミットは日没前に帰らないとマズイ情報を入手!
何気なく渋滞情報をスマホで確認したら、7月23日(土曜日)21:00より東名高速の秦野中井IC~厚木IC間で
夜間通行止めが予定されているそうな。
私が利用する秦野中井IC出口の渋滞は勿論のこと、周辺の一般道は迂回する車輌が増え大混雑が予想される。
なのでどんなに遅くとも17:00過ぎには小牧ICを通過したいを目標に定め、あと2箇所の遷宮地へと向かうのでした
三重県から県境を越えて滋賀県甲賀市へと入ります
いつものヤフー地図をページプリントしてペイントを駆使し、通った道を線でなぞる。。。
かなりアナログ作業。何か良い方法ありますかねぇ
14:35 【8 甲可日雲宮】 [垂水頓宮跡] (たるみとんぐうあと)
近江(淡海)国 甲可日雲宮 (こうかひくものみや)
いよいよ頓宮ですよ!
初回の「倭姫命巡幸を辿って」(最初のタイトル)でも書いておりますが、斎王という存在を教えてもらった内田康夫著「斎王の葬列」で古代は選ばれた皇女が天皇の御杖代として伊勢へ向かう際、宿として造られたのが頓宮なのです。
斎王が変わる度に群行され、その際に仮の宮として造られ、斎王が伊勢に向われると取り壊されました。
なので頓宮が何処なのか今では姿も残っていないのですが、唯一頓宮跡として残されているのが垂水頓宮なのであります
斎王は未婚の内親王が占定(ぼくじょう)と云われる占いのような儀式にて選ばれ、皇居(平安京)より野宮(京都の野宮神社)移られた後、桂川で禊をされ大極殿にて発遣の儀をされ、夜に京を立ち夜明け前に勢多(瀬田)頓宮へ入られ、甲賀、垂水、鈴鹿、一志の頓宮でお休みになられるのと、都度禊を繰り返し伊勢へと入ります。
伊勢では斎宮が斎王の住まいとなる場所なのですが、このお話は別のレポにてご紹介いたします
写真は土山町で、唯一頓宮跡がある町。至る所に「頓宮」の看板が目につきます
国道1号線に出て頓宮交差点を右折した所に「斎王の里 頓宮」の碑があり、バス停にちょっとだけ停めさせていただいて写真をパチリ
しばらく進むと「垂水頓宮跡」の案内看板が見えて来るのですが、どこを曲って良いのか迷っていると通り過ぎてしまい、ガソリンスタンドの先で左折し、鋭角に戻るような道を左折。右手にこんもりとした杜が見えたので右折。
鳥居があったので車を止めると・・・
甲可日雲宮と書かれている。
頓宮では無いのかな・・・と思いながら鳥居をくぐったその時に「あっ!」
いやはや、頓宮ばかり考えていたのでつい忘れてしまいましたが、倭姫命が天照大神を遷座させた「甲可日雲宮」そのものじゃないですか!驚いて神域より一旦出て気持ちを落ち着かせ、お参りをしなければ
何とも言えない雰囲気の参道を歩くと更に鳥居が・・・
正面が「日雲神社」の社。
由緒書き等は見当たらず、由縁等は分からずじまいでした
車に戻って左手に見える杜へと進んで行くと頓宮の裏手みたい。
上の写真で緑色の印が日雲神社、赤い印が頓宮。その下の横に走る道路は国道1号線で近くを流れるのは野洲川
※上の写真は頓宮跡を通り抜け南側の入口になります
先にも書きましたが頓宮は斎王がお泊りになる場所に群行される時だけ造られる宮。
斎王が出立された後は取り残されるため、頓宮跡の明確な場所と特定できているのは垂水頓宮のみ。
昭和10年に調査が実施され、頓宮跡と実証された唯一の場所(比定地ではありません)なのです
杜はまだ新しい感じがしますが、中は清らかな雰囲気があってとても心地よい
かなり小さな神明造の社がありました。
来る前のイメージとは違いましたが、倭姫命から始まった斎王制度。。。この地に2000有余年の歴史が眠っていると思うと、その昔にも吹いていた風を感じるのが大好きです
倭姫命巡幸は甲可日雲宮で4年過ごされた後、野洲川を下って琵琶湖へと向かう
次は本日最後の巡幸地、坂田宮へ、、、約60kmはありますけどね(笑)
八日市ICより名神高速を走り米原ICへ
16:10 【9 坂田宮】 [坂田神明宮] (さかたしんめいぐう)
近江(淡海)国 坂田宮 (さかたのみや)
こちらが拝殿
そして本殿この奥にあります
写真には写っておりませんが、本殿は2社あり向って左側が豊受昆売命を祀る外宮、右側が天照大神を祀る内宮。
伊勢神宮では離れた場所に鎮座されていますが、坂田神明宮では並んで祀られています
入口にあった由緒書きには内宮の七別宮と、外宮の四別宮、それと倭姫宮が祀られていると書いてありますが、
社の数が合わず、社に名が無いためどれがどれなのか分かりませんでした。
社数的には本殿向って左側が内宮七別宮、右側が外宮四別宮なのでしょう。
倭姫宮は、、、どちらなんでしょうかねぇ
境内からの参道は北陸本線によって分断されている。
坂田神明宮へは直接車で境内に入ってしまい、鳥居がある参道の入口は線路を渡った先にあったみたいです。
写真に写っているのは坂田駅
米原と書いて何と読みますか?
学生時代、米原出身の友人に「まいばら」が故郷なんだと聞いたら、友人から「まいはら」だ。
駅名は「まいばら」だけれど、市町村名は濁らず「まいはら」だと説明された。
しかしである。
当時の米原町は2005年に米原市へと昇格し、読み方は「まいばら」になったんです。
あの時の友人とは卒業後に縁が無くなってしまったが、今なら「まいばら」でいいんだよね(笑)
濁る濁らないは「茨城」でも同様の事がありましたけどね
時刻は16:20、こりゃマズイ。。。急がなきゃ
昼食はコンビニ、夕食もコンビニとなってしまった事が悲しかったけれど、倭姫命が辿った地を巡れて心はとても穏やか。
さぁ、あとは帰宅するのみ
8 甲可日雲宮 垂水頓宮跡 滋賀県甲賀市土山町頓宮 駐車場なし (裏側に数台停められるスペース有)
9 坂田宮 坂田神明宮 滋賀県米原市宇賀野835-2 不明 (私は境内に車で入ってしまいました)
初回の巡った倭姫命巡幸された遷座宮
1 宇多秋宮 うたのあきのみや 阿紀神社 (奈良・大宇陀・倭国) 【紹介レポ 倭姫命巡幸3-3】
2 佐々波多宮 ささはたのみや 篠畑神社 (奈良・榛原・倭国) 【紹介レポ 倭姫命巡幸3-4】
3 市守宮 いちものりみや 宇流冨市禰神社 (三重・名張・伊賀国) 【紹介レポ 倭姫命巡幸4-5】
4 穴穂宮 あなほのみや 神戸神社 (三重・伊賀・伊賀国) 【紹介レポ 倭姫命巡幸4-6】
5 敢都美恵宮 あえつみえのみや 都美恵神社 (三重・柘植・伊賀国) 【紹介レポ 倭姫命巡幸4-7】
6 甲可日雲宮 こうかひくものみや 垂水頓宮跡 (滋賀・土山・近江国) 【紹介レポ 倭姫命巡幸5-8】
7 坂田宮 さかたのみや 坂田神明宮 (滋賀・米原・近江国) 【紹介レポ 倭姫命巡幸5-9】
米原ICより名神、東名、新東名と走り抜け21:00前にどうにか秦野中井ICに無時到着しました~
米原よくわからなかったので知れて良かったです。鳥居の写真からその奥の雰囲気が伝わってきました。
by yamatonosuke (2016-10-14 01:21)
地図ですが、私はGoogleマップを使っています。
ブログに埋め込むことができるのです。
車で通ったみちとか歩いた道もラインでなぞることができるハズなのですが
いまひとつ使い方がよくわからず、テキトーになってしまいます(^^ゞ
以前の方が使いやすかったのですが、バージョンアップされる度に付いていけなくなります(笑)
by kuwachan (2016-10-15 09:56)
yamatonosukeさん
米原はそんな感じであります。
鳥居は神域との結界の場所とも云われます。
奥は神聖で私には感じられない「気」が漂っているそうですよ。
by わけん (2016-10-16 23:04)
kuwachanさん
やはりGoogleですか、、、それならば試してみます
以前はルートラボを使っていたのですが、このブログと相性が悪く、
いつも手書きでルートを作っています
by わけん (2016-10-16 23:37)