【福井】 丸岡城 [北陸]
【6月9日 土曜日】 午後1時30分
永平寺を出て昼食を忘れたのに気付き、途中にあった蕎麦店に入る
蕎麦店は「古跡館りうぜん」さん。。。メニューを眺め、福井県は「越前おろし蕎麦」ってのを耳にしたことがあり、噂では大根おろしがのっていて、ピリリと辛いそうな、、、しかし今の食欲は「越前おろし蕎麦」よりもボリュームがあるのが食べたい気持ちの針は完全に傾き、名物よりも量でしょ!と錆びたコンピュータが答えを出し
「りうぜんそば」くださいとご注文、、、待つこと10分。。。
大盛りのそばをつけるお出汁汁は、左上は「なめことおろし」、その下は「とろろとじゅんさい」、中央は「椎茸」の3種類。これで1,300円也~
おろしのお出汁はちょびっとだけ辛みな味、中でも蕎麦をつけて食して驚いたのは「とろろとじゅんさい」のお出汁。これがとんでもなく美味い!このお店のお出汁は私が住む町でいつも出前を取る蕎麦店に比べ、雲泥の差ですわ(××庵さんごめんなさい)
モグモグ食して、うーん満足、満足
因みにですが、越前の蕎麦は昭和22年に昭和天皇が来訪され、蕎麦を食され、お気に召されたのが発端で全国に知れ渡った逸話があるんだそうです。
お店の外観を撮るのを忘れましたが、永平寺に来られたなら騙されたと思って食べてみる価値アリアリだぜぇ↑
この蕎麦店を後にして次へ向うのは「丸岡城」でやんす
古跡館りうぜんさんを後にして九頭竜川までの間には、大きな蕎麦店が何店もあって、この道沿いは蕎麦、蕎麦、蕎麦の蕎麦ロードでしたよ
永平寺から九頭竜川を渡って坂井市までは、だいたい20分ちょっとの距離で「日本最古の天守閣」と聞かされているが、規模は彦根や犬山よりもかなり小さいみたい
丸岡城の堀は全て埋められ、城がある公園の小高い丘の上に聳えており、公園の駐車場は無料でレストハウスも備えておりまする。階段をあがると受付があって、300円を支払って入城デス
造られたのは1576年だから、かれこれ440年近くの歴史がある天守閣、柴田勝家の甥である柴田勝豊が作った天守閣は昭和9年に国宝に指定されたけれど、昭和23年の福井地震に被災し倒壊、その後の昭和30年に倒壊した材料で修復され重要文化財に指定されたとか。。。日本最古の天守閣は修復も含まれているみたいですわ
天守へ向う階段には手摺が無いので、城から出るとかなり怖いかも。。。
古い天守閣はどこもこのような階段があって、丸岡城ではロープが張ってありました
一度倒壊したとは感じさせない天守閣の内部(写真は1階部分)
最上階の天守は窓から眺めるだけですが、坂井市を一望でき(晴れたならですけど)、見晴らしが良い
そして城の瓦は・・・
焼いた瓦ではなく、福井県より産出される「笏谷石(しゃくだにいし)」が使われていて、なんとも良い屋根ですわ
天守閣は20分位で観ることができ、階段の下の資料館も一緒の券で観ることが出来るのですが、ちょことだけ覗いてすぐに出ちゃいました
1979年の築城400年を記念して造られた日本庭園を眺め、レストハウスで珈琲を飲む
何しろ全く止む気配が毛頭ない雨、コンデジは永平寺で撮り過ぎたためにバッテリーは枯渇、充電器を忘れたために残すは一眼レフのみだったもんだから、傘を深めにカメラを持つのはかなりきついですぅ
時刻は午後3時、あともう1ヶ所立ち寄りたくて車を走らせました
追伸と言いながらも愚痴を、、、
昨夜は台風4号様が襲来し、関東人はこっちに来る頃には勢力が落ちるだろうと安心していたのは迂闊でありやした
最寄駅手前で電車は止まり、途中駅で足止めを食い、帰宅したのは午前2時。。。やられちゃいましたわ(笑)
そして今朝も都内の山手線は通常の7割で運転され、ホームは三社祭よりも賑やかな・・・違った、ごった返し状態で、ホームに入る電車を数本乗り逃し、いつもよりも1.5倍の時間を要して会社へ到着
夜も朝も散々な台風襲来と台風一過でありましたとさ
もうくたくた~の、ねむねむ~な1日だったぜぇ
わいるどだろ?
はい?この言葉の使い方、、、間違えてます?
【福井】 吉祥山 永平寺 [北陸]
【6月9日 土曜日】 午前11時50分
一乗谷より車で20分ちょっとで永平寺へ
門前町へ入ると土産物店の駐車場へ手招きする方が一斉に手を振るのですが、あまりにも何か不自然なのでそのまま車を進めると左手に永平寺が見えてくる
お寺には駐車場が無いらしく、土産物店を利用するしか・・・と思っていたら20台近くが止められるコインパーキングを発見し、たまたまなのか残り1台ってところで駐車出来ちゃいましたわ。土産物店では400円、コインパーキングは500円と少し高いのですが、何か買わなきゃ出れそうもない土産物店と100円の差なら文句なしでしょうね
さすが福井を代表する寺院、雨だというのに私と同じ観光客がいっぱい。何年も前から一度は来たかった永平寺にやってまいりました~
『杓底一残水』『汲流千億人』と書かれた門柱がある総門から先が永平寺の境内
門柱を訳すと「柄杓の底に残った水も大切にすれば、やがて川となって流れ千億人を潤す」ってところでしょうかねぇ?
永平寺は曹洞宗の大本山で1244年に道元が開創した坐禅修行の道場で、百数十人もの僧がここで修業をしているそうです
写真の通用門に拝観時間の案内が出ていて、午前4時00分からと書いてある。。。そんな時間から拝観できるとは・・・さすが修行道場ですね
自動販売機の拝観券500円のチケットを購入して吉祥閣へ
右奥の数十畳ある大きな間で僧(ここでは修行僧を雲水と呼ぶ)が、ある程度の参拝者が集まったところで寺院の説明が始まる。拝観できる建物、左側通行、修行僧の撮影禁止等々の注意事項を説明し、境内の建物を拝観していく
以前、神奈川県横浜市の鶴見駅近くにある総持寺(永平寺と同じ曹洞宗の寺院)を訪れた際も同じように、修行僧から注意説明をされてから拝観をしたので、こちらも同じかな?なんて思っていたら、修行僧は最初の説明だけでその後は自由拝観らしい。。。しかし団体客だけは別で修行僧が説明して歩く見たい。個人の拝観客があまりにも多いから致し方ないのでしょうね
最初に観るのは傘松閣(さんしょうかく)の大広間、天井には230枚もの花や鳥の絵が描かれている。ストロボ撮影禁止の場所なので、天井絵の撮影はちょっと厳しいっす
そして階段の廊下
以前、多分NHKだと思うけど永平寺の修行僧を特集した番組を観たことがあり、午前3時過ぎに鈴を持った修行僧が廊下や階段を走る姿を思い出す。そして朝の作務という修行で、僧が床を雑巾掛けをしていたのも思い出す。
階段を上がって僧堂、仏道、法堂がある
法堂まで上がった左手には「承陽殿(じょうようでん)」と呼ばれる道元の御霊屋がある
大庫院(だいくいん)と呼ばれる僧が食事を作ったり食べたりする場所の廊下には、大きな「すりこぎ」柱に吊ってあるのですが、実際には使っていないようで・・・こんな大きいと使えないか(笑)
こちらは越前松平家の廟所だそうです
下まで降りて行くと山門になるのですが、雨除けのビニール製シートが張られ、外が観ることができない
それでも僅かな隙間から・・・
あの有名な鐘楼が・・・
大晦日の「ゆく年くる年」で、生中継される除夜の鐘を時々拝見するのは、ここなのですね
祠堂殿(しどうでん)では、これまた大きな数珠が
堂内では法要の準備とあって、これ以上こちらに居ることができず、数珠の写真だけ撮って一旦外へ
こちらが何とか窓をこじ開けて撮れた祠堂殿の外観です
約40分位で建物内を巡り拝観終了
建物から外に出て入れる所まで歩み写真をパチパチ
こちらは報恩塔
山門へはどうやって行くのかな・・・と思いつつも雨が一段と強く降り出したため、寂光院は諦め~
最後は勅使門、実はこの先が山門になるそうですわ
車を止めて1時間程度の拝観でしたが、禅の寺ならではの修行僧と行き交う寺院もたまにはいいものですね
【福井】 一乗谷朝倉氏遺跡 [北陸]
[越前大野] 午前10時00分
越前大仏より車で10分の距離にある「越前大野」の町を車で走ってみました
越前大野城の城下町として栄えたそうで、織田信長の家臣である金森長近が最初に築き、その後は徳川家康の家臣であった土井利勝の子、年房から明治維新までの間を治めたそうな
ゆっくり観る時間が無く、メインストリートと思われる道へ入ると商店の前にパラソルが・・・これは春から冬の前まで朝市が出るのだそうで、400年近くも歴史がある朝市なんだそうで、この道を「七間朝市通り」と呼びやす
あいにくの雨なので車を降りず、そのまま通過
越前大野の町は碁盤の目のように道が走っていて、中には上の写真のように石畳の通りもありましたよ
そしてこちらが越前大野城
亀山公園という小高い山の上にあり、天守閣は昭和に造られた復興城ですが、昔もお殿様はあちらから城下町の営みを眺めていたのでしょうね。
また、近くには「御清水」と書いて「おしょうず」と読む湧水がありました
上の写真は下手からで、屋根がある洗い場が設けられ、上から飲用、野菜等の洗い場、洗濯場となってました
そしてこちらが湧水の上手で名水地蔵が祀られておりやす
地下からこんこんと湧き出る水を柄杓で飲むと冷たく、名水百選に選ばれているのも頷けますわ、あぁ~甘露甘露
この後は越前大野を後にして永平寺へ・・・と車を走らせていると、案内看板に「一乗谷朝倉氏遺跡」の文字に引き寄せられ、ちょこっとだけ寄り道~
[一乗谷朝倉氏遺跡] 午前10時45分
本来は途中で右折し永平寺へと向うのですが、わかれ道からほんのちょっと走ったところに、戦国時代に織田氏と合戦をした朝倉氏の居城があった一乗谷へ
こちらは城下町というか館跡のような遺跡がいっぱい
こちらは朝倉氏の館があった場所だそうです
館はその後、朝倉義景の菩提を弔うために松雲院という寺院が作られ、その山門(唐門)であったそうな。この門は豊臣氏から寄進された伝いがあって、門の内側には確かに五七桐の紋と、表側には朝倉家の三つの木瓜紋が施されておりやす
中へ入ると館があった敷石等が並べられています
上の写真の右奥には庭園跡があって、大きな岩が当時のままで置かれておりやした
そして朝倉義景の墓所も
館跡と川を挟んだ反対側には復原町並み
入場料210円を支払って町並みを拝見
それにしても「復原」という文字は滅多にお目に掛からず、「復元」とは違うのかな?と調べてみたらどちらも使うらしく、復元とは推測で建てた建造物等を差し、復原は文献等で根拠が確かである建造物と使い分けをしているんだそうですわ。ウィキペディアでは比較する意味で、吉野ヶ里遺跡の住居は「復元」、現在大詰めの東京駅舎は「復原」。。。なーるほど
資料室や遺跡紹介の映像説明が済むと武家屋敷等の街並みが・・・
ここ何かで観たことがあるなあ~とパンフレットを観てみると赤い首輪をした白い犬が!
あぁ、そうか、、、ここだったんだと納得
首輪じゃなくマフラーか(笑)
市川歌右衛門さんの息子さんが吹き替えをしているお犬様のコマーシャルで、一乗谷は実家でもありましたもんね
町並みの塀の内側はというというと
このように遺跡が・・・残されています
多少の遺跡が露出していた状態で田畑が広がっていたこの地を、昭和42年に発掘調査され、今では東京ドーム270個分もの遺跡が残されている全国でも珍しい場所なんだとか・・・
あまりにも広くて全てを見ることは叶いませんが、往事の繁栄がこうして残るのは意義があることですね
ここで一句、、、「五月雨や兵どもが夢の跡」
は?パクリ?まんま?。。。(笑)
芭蕉じゃくても皆そう感じるのではないでしょうかねぇ~
【福井】 越前大仏 [北陸]
【6月9日 土曜日】 午前8時45分
平泉寺白山神社へ来る前に聳え立つのは勝山城?
この地にかつて「勝山城」があったそうですが、その勝山城とは無縁な博物館。館内は歴史博物館となっていてるらしい、、、しかし観光城でありながらも高さは日本一だそうで、平成になって個人が作ったそうな。。。個人かぁ~
そんな勝山城を通り過ぎ、来る前に車窓からも見えた越前大仏へ
歩いても20~30分程度の距離にあり、以前訪れた際は勝山城も越前大仏も無かったのですがねぇ
大きく広い駐車場に車を止めて、いざ大仏拝観!
おっ、門前町か?
なんじゃなんじゃ?門前町というか廃墟に近いような・・・
どこからか詩吟のような歌が聞こえると耳を傾けながら歩いていると受付があった
そして
本日は「拝観無料」の看板
こりゃラッキー、通常は大人500円の拝観料を支払わなきゃならないんだって
それにしても雨が強すぎる~一眼レフカメラは車に置き去りにし、コンデジ片手に大仏殿へと向う
奈良の東大寺のような回廊があって、ここまで忠実だとは・・・なんて考えながら雨が凌げる回廊を伝って大仏殿が見えて来ました
東大寺とはちょっと違うけど、なんとなく似ているような大仏殿
おぉ、でかい
お顔は奈良と比べるとほっそりしているようで、鎌倉よりも格段にデカイ
なんとこちらも日本で一番大きな大仏坐像なんだってさ~
大仏の前には式典が準備されていて、何でも今日は大仏建造25周年だそうで、そのせいで拝観無料になっていたそうな
また、壁には石仏がいっぱい
なんか越前大仏を拝見させて貰って、奈良東大寺に行ってみたくなるは私だけなのかなぁ。。。計画してみようかな(笑)
境内には五重塔があり、こちらも東寺より高いんだそうで、勝山にはやたらと日本一の建造物がありまするなぁ
帰宅して調べてみたら、ここ越前大仏は当初個人所有だったのですが、経営に行き詰まり宗教法人化された珍しいお寺なんだそうです。勝山城もそうなのですが、大阪でタクシー会社を経営していた方(こちらではその方を翁と呼ぶそうです)がどちらも造られたんだとか
当初は拝観料3000円もしたからか観光客は寄りつかず、税金が支払えなくなり大仏殿だけは宗教法人化され、五重塔と境内は勝山市が所有していて競売に掛けたのだそうですが買い手がいないんだそうで、どっちつかずな観光地兼お寺みたい
道楽と一言で済まされない規模の建造物は、今後の観光客が頼りなのでしょうね
3000えんじゃ私も遠のいてしまいますが、500円なら来てもいいかな
(福井) 平泉寺白山神社 [北陸]
【6月9日 土曜日】
先週、風邪を引きこちらの更新が滞っておりましたが、また書き綴らせていただきます
さてさて、休養もたっぷりってことで越前・加賀地域にぶらりとでかけてみました。いつもの日帰りではなく、私が勝手に名付けている『スーパー日帰りお出掛け』(24時間耐久お出掛け)、GW中に熊野三山へ行ったのと同じ時間を費やす普通の方ですと「何とも過酷な・・・」と言う人もおられるのですが、会社を休まずいろんな所に訪れたいという自分勝手な考えから時々このようなお出掛けをとておりやす
今回は、まだ訪れたことが無い福井県の永平寺を行先に決め、会社から帰宅し準備を整え自宅を6月8日(金)22時に出発
東名高速から新東名高速に入る御殿場ジャンクション付近で、この先の渋滞情報をキャッチしたのですが、最近の高速道路上の情報案内板って文字数が多く、全てを読むのってかなり難しく、あまりにも先の渋滞情報って脳の中で計算されるスピードが鈍くなるんですよね
これから向えば渋滞は消えるだろう・・・と楽に考え、9日0時30分ごろ最初の浜松サービスエリアで最初の休憩
前回のGWでは、新東名のサービスエリアではどこも「満車」表示が出ていて入るにも入れずだったので、今回はと浜松サービスエリアに入る。浜松は楽器メーカーの工場があることからピアノの鍵盤が建物外観に施されていました。駐車場には浜松まつりの凧の絵柄タイルがあったりと、かなり地元を意識した造りなんですね
タッチパネルの情報版でこの先の渋滞を確認すると、雨による多重事故が発生し表示では3件も事故が発生し、通過するのに50分も要するらしく、しばらくこの場で時間を過ごす
30分以上待機しても渋滞は消えないので、まっ行ってみるかと車を走らせると三ケ日ジャンクション手前で完全に止まってしまい、渋滞を抜けるのに30分以上も費やしてしままいましたわ
その先は東名高速では名所と呼ばれる音羽蒲郡付近もなんとか通過し岡崎ジャンクションで伊勢湾岸道と分かれる。殆どの車は伊勢湾岸道経由で関西方面に行くらしく、名神高速は一気に車の台数が少なくなり走りやすい
米原からは北陸道に入って福井手前の北鯖江パーキングエリアに午前4時30到着。売店とフードコートが24時間営業しているせいか、高速道路の外から利用する方も多いみたい
3時間ほど仮眠休憩をとり、午前7時過ぎに出発。しかし空は天気予報通り雨
名誉勲章と称号を持つ「雨男」は、ここ福井でも名声を轟かせてやりましたわ(笑)
自宅から約460kmを車で走らせ福井北インターから国道416号で九頭竜川沿いを勝山市方面へ
午前8時00分 白山神社
白山神社は福井県や石川県に多くある神社の1つで、元平泉寺であったことから「平泉寺白山神社」とも呼ばれている
神社へ向かう参道は「日本の道100選」に選ばれているんですって
駐車場?と思われる蕎麦店前に車を止めて境内へ
ここは学生時代に訪れて以来二度目で、20数年ぶり
本社へと向う参道は苔が多く生え、なんとも言えない雰囲気を持っている
芭蕉の句碑があり、奥の細道の折りにここ平泉寺白山神社に訪れたのでしょうね
こちらは御手洗がある場所で、写真左側には「平泉」と呼ばれる池があり、この池の名から「平泉寺」と名付けられたそうです。また注連縄がされた木は御神木であります
そもそもここ「白山神社」は、明治維新の神仏分離前までは「平泉寺」と呼ばれ、歴史は古く720年頃に創建され戦国時代では9万石の寺領と48社、36堂、6000名もの僧が暮らしていた一大都市だったそうで、日本海に面する観光景勝地「東尋坊」とはここ平泉寺の僧の名で、悪名が高かったことから宗徒から海に突き落とされ、その場所が今の景勝地である「東尋坊」と呼ばれることになったそうですわ
比叡山延暦寺の末寺ともなって戦国時代は有力な勢力を持つ寺だったのですが、一向一揆等で寺は衰退し細々と寺院が残ったみたい
屋根がついている明神鳥居をくぐると青い屋根の拝殿が見えてくる
境内いたるところに苔が生えていて、京都の西芳寺(苔寺)のように感じますね
曇った日だったので明るさが足らず写真は暗い感がありますが、晴れていれば新緑の季節で緑が眩しく感じるのでは
冬は雪深くなる地域なため、雪囲いの骨組みがある本社(本殿)は1795年に造られた社
大きな社や有名な神社仏閣もいいですが、このような落ち着いた神社もいいものです
記事に「日本の道百選」に選ばれたと書きましたが、この他に「美しい日本の歴史的風土百選」「かおり風景百選」「歴史の道百選」の4つに選ばれているとか・・・
しかしこの「・・・百選」って幾つ存在するのですかねぇ