【福井】 一乗谷朝倉氏遺跡 [北陸]
[越前大野] 午前10時00分
越前大仏より車で10分の距離にある「越前大野」の町を車で走ってみました
越前大野城の城下町として栄えたそうで、織田信長の家臣である金森長近が最初に築き、その後は徳川家康の家臣であった土井利勝の子、年房から明治維新までの間を治めたそうな
ゆっくり観る時間が無く、メインストリートと思われる道へ入ると商店の前にパラソルが・・・これは春から冬の前まで朝市が出るのだそうで、400年近くも歴史がある朝市なんだそうで、この道を「七間朝市通り」と呼びやす
あいにくの雨なので車を降りず、そのまま通過
越前大野の町は碁盤の目のように道が走っていて、中には上の写真のように石畳の通りもありましたよ
そしてこちらが越前大野城
亀山公園という小高い山の上にあり、天守閣は昭和に造られた復興城ですが、昔もお殿様はあちらから城下町の営みを眺めていたのでしょうね。
また、近くには「御清水」と書いて「おしょうず」と読む湧水がありました
上の写真は下手からで、屋根がある洗い場が設けられ、上から飲用、野菜等の洗い場、洗濯場となってました
そしてこちらが湧水の上手で名水地蔵が祀られておりやす
地下からこんこんと湧き出る水を柄杓で飲むと冷たく、名水百選に選ばれているのも頷けますわ、あぁ~甘露甘露
この後は越前大野を後にして永平寺へ・・・と車を走らせていると、案内看板に「一乗谷朝倉氏遺跡」の文字に引き寄せられ、ちょこっとだけ寄り道~
[一乗谷朝倉氏遺跡] 午前10時45分
本来は途中で右折し永平寺へと向うのですが、わかれ道からほんのちょっと走ったところに、戦国時代に織田氏と合戦をした朝倉氏の居城があった一乗谷へ
こちらは城下町というか館跡のような遺跡がいっぱい
こちらは朝倉氏の館があった場所だそうです
館はその後、朝倉義景の菩提を弔うために松雲院という寺院が作られ、その山門(唐門)であったそうな。この門は豊臣氏から寄進された伝いがあって、門の内側には確かに五七桐の紋と、表側には朝倉家の三つの木瓜紋が施されておりやす
中へ入ると館があった敷石等が並べられています
上の写真の右奥には庭園跡があって、大きな岩が当時のままで置かれておりやした
そして朝倉義景の墓所も
館跡と川を挟んだ反対側には復原町並み
入場料210円を支払って町並みを拝見
それにしても「復原」という文字は滅多にお目に掛からず、「復元」とは違うのかな?と調べてみたらどちらも使うらしく、復元とは推測で建てた建造物等を差し、復原は文献等で根拠が確かである建造物と使い分けをしているんだそうですわ。ウィキペディアでは比較する意味で、吉野ヶ里遺跡の住居は「復元」、現在大詰めの東京駅舎は「復原」。。。なーるほど
資料室や遺跡紹介の映像説明が済むと武家屋敷等の街並みが・・・
ここ何かで観たことがあるなあ~とパンフレットを観てみると赤い首輪をした白い犬が!
あぁ、そうか、、、ここだったんだと納得
首輪じゃなくマフラーか(笑)
市川歌右衛門さんの息子さんが吹き替えをしているお犬様のコマーシャルで、一乗谷は実家でもありましたもんね
町並みの塀の内側はというというと
このように遺跡が・・・残されています
多少の遺跡が露出していた状態で田畑が広がっていたこの地を、昭和42年に発掘調査され、今では東京ドーム270個分もの遺跡が残されている全国でも珍しい場所なんだとか・・・
あまりにも広くて全てを見ることは叶いませんが、往事の繁栄がこうして残るのは意義があることですね
ここで一句、、、「五月雨や兵どもが夢の跡」
は?パクリ?まんま?。。。(笑)
芭蕉じゃくても皆そう感じるのではないでしょうかねぇ~