SSブログ

【小県】 鹿教湯温泉 [長野]

【2010年6月5日】 [お出掛けアーカイブ]

大王わさび農場から犀川を渡り国道254号線で三才山(みさやま)トンネルを抜けて鹿教湯温泉へ

100605100misayama.jpg

鹿教湯と書いて「かけゆ」と読みます。。。難読地名に入るのかな?

昔に猟師が矢で鹿を射とめながらも逃げられ、鹿を追って山に分け入った先に温泉を見付けたのが始まりで、『鹿に教えて湯』からここを「鹿教湯温泉」と名付けられたんだそうです


この時は私の老夫婦も一緒で、何度か聞いたことがあった鹿教湯温泉へ立ち寄ってみやした

100605101kakeyu.jpg

父方の曽祖父が金沢出身だと金沢東茶屋のお出掛けレポートでお伝えいたしましたが、私の祖父は夏になると、丸子町にある鹿教温泉へ湯治と避暑を兼ねて訪れていたんだそうです

私も一度連れて行って貰ったらしいのですが、全く記憶にはないんですわ。。。何しろ私の父と母がまだ結婚する前で、一緒に婚前旅行として同行したこともあるんだとか・・・何せ40~50年前の話で私に記憶が無いのも頷けますわ

湯治をした宿は「斎藤旅館」というらしく、温泉街を探してみるのですが50年近い年月によって老夫婦の記憶も当てには出来ず、土産店で尋ねると『あぁ~斎藤ホテルね』と詳しく教えてもらうと・・・

100605110kakeyu.jpg

巨大なホテルが!

老夫婦は車を降りてズンズンとホテルのロビーへ向かい、年配の男性に昔話を始め、昔の斎藤旅館であることを確認したみたい。ホテルの男性従業員は嫌な顔をせずアルバムを出していただき、旅館時代の写真を見せていただいた

toji_j001.jpg

≪斎藤ホテルのHPより≫

男性従業員のネームプレートを覗いてみると、支配人と記されていて私の老夫婦は遠慮も無く立て続けに質問を浴びせておりましたわ

何でも当時は珍しかった乗用車を連ねて訪れ、トラックには冷蔵庫やら扇風機といった家電や食料を積んで来ていたんだそうです。当時は一大イベントだったそうです

祖母は足が悪く温泉療養を目的で来ていたんだそうですが、近代化された現在のホテルでも湯治目的で訪れる方が多く、昔は無かったプール等も備えているんだとか、、、支配人に対して無礼な老夫婦(もう2年前ですがね(笑))、一応宣伝しておかなきゃいけませんね

リンクってリッチテキストを切り替えなきゃいけないのね、、、難しい

リンクは最後にして少し鹿教湯温泉内を散策ぅ

100605102kakeyu.jpg

こちらは内山川に掛かる「五台橋」

100605103kakeyu.jpg

現世と神の世界を橋なんだそうです

橋を渡ると階段と坂道があって、祖母は毎日何度かこの坂を上り下りしていたんだそうです

100605111kakeyu.jpg

この坂は「湯坂」と呼ばれ、湯治客のリハビリとして今でも歩いているそうです

坂を昇り詰めると「文殊堂」と呼ばれる寺院があり、開祖は1709年とのこと

100605104kakeyu.jpg

お堂の外観には彫刻が施されていて、写真には写っていないのですが、お堂内に立派な龍の天井絵があります

一応、龍の下で手を叩いて(神社じゃないのでやってはいけない行為です)みましたが、あっちの龍とは違いました(笑)

100605105kakeyu.jpg

100605107kakeyu.jpg

屋根がある橋を渡ると温泉薬師堂があります

100605106kakeyu.jpg

萱葺きの屋根で味わいがありますね

湯治じゃなくても良い温泉地のような気がするのは、観光地温泉じゃないからなのかもしれませんね

斎藤ホテルさんの駐車場へ戻ると老夫婦が質問攻めしていた支配人さんが子供達と一緒に何やらやっています

100605108kakeyu.jpg

ボールでも木の枝に引っかかってしまったのかな?と思っていたら子供達の口はモグモグとしている

近付いてみると

100605109kakeyu.jpg

さくらんぼ でありました

私も1つと食べてみると、山形の佐藤錦とは言えませんが酸っぱ味と甘い味がミックスされ美味でした

老夫婦は2人して「あぁ~ここだ」「ここお義母さんと歩いたわ」「そうそう、変わっていない」とブツブツ話しながら歩き、50年近くタイムスリップしていたみたいです

ホテルのパンフレットも貰って来たのですが、2年経っても連れて行っておりません、、、親不孝行ですね、、、私

あっそうそう、金沢まで行って来た話を老夫婦に告げたら、夏はここに行くかと勝手に企画しているのですが。。。どうしましょ

あまりにも点と点で結んだ場所に行けと言われても。。。考えておくといたしますかね(笑)

50年前は松本方面からアプローチする道路は無く、鹿教湯温泉は小県(ちいさがた)方面からしか行けなかったので、当初老夫婦は何故こっちから来れるのか?と聞いてくるので、トンネル工夫のお陰なんじゃない?とあしらうと親父は「お前は馬鹿か?いまどき工夫なんておらんわ!トンネル職人が造ったんだ」と返しの言葉もちんぷんかんぷんだったのを思い出しました(笑)

これでも親父は元建築屋なのですが、こんな会話をして今も倒れず建っている建物があるかと思うと、かなーり不思議です^^

http://www.saito-hotel.co.jp/index.html

↑こちらが斎藤ホテルのURLでありまする


nice!(15)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。