【茨城】 鹿島神宮 [北関東]
【2010年6月12日】 [お出掛けアーカイブ]
[お断り] 本内容は2年前の2010年6月にお出掛けをした内容です
水戸偕楽園より国道51号線で鹿島神宮へ
車窓には大洗海岸が見え、これから海岸線沿いを走るのかな・・・と思っていたら、この先は少し海岸から離れてしまうため、太平洋はこの写真のみでありましたわ
片側2車線と快適なドライブ、、、車線が減ったあたりから渋滞。。。
すると左手にはこんなお店が!
『頑固親父直伝!!昔のバカ盛食堂』なるお店が現れる。。。なんとも気になる(笑)
そして渋滞の原因が分かりましたわ
追突事故をされており、その見物渋滞だったみたい、、、
この事故現場を境に車の流れが出て、日暮れ前には目的地の「鹿島神宮」に着きそうです
もうそろそろかな、、、と綺麗な道路が現れたと思っていたら、鹿島アントラーズの本拠地である「カシマサッカースタジアム」が!
申し訳ありませんが、サッカーは全く興味がございません
高校から憧れだったラグビーを始め、サッカー選手がワザと倒れたり痛がったりするシーンを目の辺りにしてから、なんと軟弱なスポーツなんだと決め込んでおりやす。これは今でも同じなもんで目指せ国立、、、ではなく、目指せ花園!
サッカーファンの皆様、ごめんちゃいm(_ _)m
ささ、そうこうしているうちに着きましたよ~
鹿島神宮です
この時が初めてで、来るまでは大したことない神社?と思っていたら大間違い
由緒ある立派な神社でございました
創建は紀元前660年、最初の天皇が誕生した神武天皇の時代で、今では聞かなくなった皇紀2600年(現在だと皇紀2672年となります)の紀元と同じ
当時の鹿島は都より遠く離れた地で、これより東北は蝦夷とも呼ばれたんだそうですわ
こちらは楼門で、徳川光圀の父にあたる徳川頼房によって1642年に造られたんだとか
楼門をくぐると、この時期の神社ではよく見掛ける「茅の輪くぐり」
毎回、茅の輪を前にして左からだっけ?右からだっけ?と迷い、説明書きが無いとくぐるのは止めにしちゃうんす
間違えたらくぐる意味が無いですもんね
えーーーそこで、茅の輪くぐりを正式に回るルートをお教えいたします
真中を抜けて左回り、次は右回り、もう一度左回りするのが正解。。。(調べてから書きました(笑))
はい、神社本庁のHPや「茅の輪」「大祓」で検索すると図解で説明されているところもありますので、くぐる前に確認してからされることをお薦めいたしやす
本堂はまだ先なのかな・・・と思っていたら、楼門をくぐった右手にある拝殿の奥が本殿なんだそうです
私もそうでしたが、気付かなければ本殿を通り過ぎてしまのでは・・・
写真はありませんが、本殿は1618年に徳川秀忠が造営したんだそうです
また、鹿島神宮の「神宮」という神社名は、当時「伊勢神宮」「香取神宮」、そして「鹿島神宮」の3社しかなく、それ以外の神宮と名が付く神社は明治維新以降に造られたんだとか。。。確かに「平安神宮」や「明治神宮」は日本の歴史からすれば極最近ですもんね
まだ先がありそうなので歩いてみることに
この先には奥宮があるのですが、奥宮へと向かう参道は樹齢が数百年以上の杉が立ち並んでいました
なんとも立派な杉で、2600年以上の歴史を感じまする
途中には鹿園があって、こちらの鹿は奈良の春日大社の子孫なんだそうです
そう言えば、奈良公園の鹿と同じ糞を出してます。。。
えっ?
全国の鹿はどれも同じ糞をするの?
ふーん・・・
だそうです、、、座布団いただけますか?
そのまま進むと奥宮が現れます
こちらも参道から向って右側にありました
右側にあるのって何か由緒があるのでしょうかねぇ
実はこの奥宮周辺には「要石」や「御手洗」があったのですが、写真には収めておらずです
こんな立派な神社だと思っていなかったので「来て良かった~」が実感の鹿島神宮でありました