【滋賀】 近江八幡 [関西]
【2011年4月30日】 [お出掛けアーカイブ]
過去のお出掛けを記事にする『お出掛けアーカイブ』
今回は昨年の4月30日に滋賀県の近江を訪れた時のお出掛けをお送りいたしまする
思い出しながらの記事になるのと季節は春から梅雨に向かう時期とあって、写真等で現在の季節と違和感がありますが、その点はご了承くださいね
確か当日早朝、思い出したかのように以前から行きたかった近江へ、いつもの日帰りお出掛けを急遽計画し自宅を7時半に出発
時々、急に思い立って出掛けるなんて、私にとっては茶飯事のこと
ましてや土休日の高速1,000円終了も間近とあって、天気次第でGW中に行こうと考えていたのですわ
東名高速の渋滞情報があったので中央道経由で滋賀県へ入り、最初に訪れたのは近江八幡でございました
結局、関ヶ原付近の事故によって1時間半近くもロスし、午後1時前に到着(もっと早く出れば良かったと反省)
こちらは近江八幡「新町通り」に残された町並み
古き住宅よりニョキっと出ている松は「見こしの松」と呼ばれているそうですよ
カレンダー的にはGWの前半とあって、観光客の皆様がいっぱい
時間があれば町をそぞろ歩きしたいのですが、日没まで6時間強とあって、この辺りで来た道を戻る
途中には・・・
商品名「メンターム」で有名な・・・あれ?
メンソレータムじゃなかったっけ?
↓こちらはメンソレータム
そもそもは「メンソレータム」という商品はアメリカのメンソレータム社が販売しているのですが、大正9年(1920年)に近江兄弟社(当時は近江セールズ)が日本での販売権を取得し、外皮用薬として販売されたのですが、昭和49年に倒産。同時に販売権も返し大鵬薬品工業の資本参加で再建
アメリカのメンソレータム社はロート製薬が買収し、当のメンソレータムはロート製薬から販売されたため、近江兄弟社は以前からメンタームの商品登録をしていたことから、似たような製品が販売されたそうです
メンソレータムとメンターム、どちらが本家か分かりませんが、どっちも同じ効果があるみたいですわ
近江兄弟社の名前を全国区に広めたのは平成5年の第75回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)で会社の付属高校である近江兄弟社高校が滋賀県代表として出場。成績は2回戦(初戦)で敗退してしまいましたが、学校名が会社名のような名前だったのと、あのメンソレータムと縁があると知り、今でも近江兄弟社の名前を記憶している次第です
近江八幡と言えば古い町並みの他に八幡堀と呼ばれるお堀も有名なのです
こちらの八幡堀は昭和40年代まで悪臭や害虫を発生させる厄介者な堀で、埋め立て計画が持ち上がり、近江八幡市民の反対運動もあって堀の復元が計画され、昭和50年以降の改修工事を経て現在に至っているそうです
どちらも「近江八幡観光物産協会」のHPより転載
あの時、埋め立てていたならば・・・さすが近江八幡市ですよね(笑)
ここは京都に近いこともあり、時代劇ドラマの撮影地として時々目にする場所なのです
頻繁に撮影があるせいか、石垣に面した場所にある雨樋は木製のカバーが付けられています
そもそも近江八幡は城下町で、秀吉の甥(秀吉の姉の子)にあたる豊臣秀次がおさめ、関白職まで登りつめたが茶々との間に実子秀頼が生まれたことにより高野山へ追放された悲運の武将
しかし近江八幡を近江商人の町として整備した功績は現在でも慕われているんだそうです
八幡堀に近い場所には日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)がありやす
131年に「大嶋神社」として鎮座され、その後の275年に「日群之社八幡宮」となり、昭和41年に日牟禮八幡宮と改称された歴史があるのですが、この神社の裏山は戦国時代に六角氏の居城だった観音寺城(秀次によって八幡城となる)で、古城ファンも訪れるのだとか。。。
4月30日とあって境内には鯉のぼりが元気よく泳いでいまーす
本殿の前には立派な神楽殿
参拝して近江八幡を離れました
駐車場はこの神社周辺で駐車が可能でしたが、土休日は満車になり近くの市営駐車場に停めて訪れたほうが良いかもしれませんね