武田神社 [山梨]
【4月1日 日曜日】 午後4時00分
本日最後の目的地と定めた「武田神社」に向けてGo!
甲府駅から武田神社まで1本道で、沿道には菜の花の花壇が置かれ、この青空と黄色い花がとても綺麗でしたよ
甲府市内のソメイヨシノは、やっと花が開き始めたという感じで、満開はあと1週間か1週間半ってところでしょうか
午後4時ちょうどに到着です
武田神社は武田氏の館跡で、「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡」でもあり、武田信虎が石和より館をここに移したのが始まりで、信虎・信玄・勝頼の武田氏3代が60年あまり館として使われ、武田氏が滅びた後の甲斐は織田家河尻氏、徳川氏、豊臣氏、徳川氏が所領した歴史があります。甲府と云えば徳川6代将軍徳川家宣氏(綱豊)氏が甲府城主でしたが、甲府へ訪れた記録は無く、殆ど江戸で暮らしていたそうですわ。徳川家宣氏が6代将軍になった後は5代「綱吉」氏の側用人「柳沢吉保」が城主となった10年後に吉保の子が奈良の郡山藩へ移封された後は将軍家直轄地となり、勤番制が長く続いたのち城代を置いたところで明治と時代は変わったそうです。
大正天皇ご即位に際し、武田信玄墓前に従三位追贈(じゅさんみついぞう)が奉告されたのを契機に元躑躅ヶ崎館跡を神社へと県民の機運が高まり、大正8年に社殿が竣工され約90年の歴史があるそうです。御祭神はもちろん武田信玄(晴信)氏です
ふぅ、、、パンフレットと武田神社等のHP記載内容をまとめてみました(コピペしたが正しいかも)
武田神社神橋で左に見える松は「三葉の松」
元躑躅ヶ崎館の大手門は写真向かって右手が大手門でした
鳥居をくぐると広い境内になります
そしてこれが拝殿
拝殿の奥に本殿がありますが、写真で撮るのは困難なため、拝殿で我慢願います
そう云えば・・・かれこれ10年前になりますが、武田神社で御朱印を戴いたら小学生の字みたく書かれ、ガッカリした記憶がありました。その御朱印をここに載せるのは遠慮しておきましょ
澄み切った青い空だった「甲斐のぶらり旅」
孫子の旗や日の丸旗、お稚児行列に甲州印伝と『来て良かった』と感じさせてくれたお出掛けでありました
帰宅は渋滞を避け中央道を都留に出て道志を抜け神奈川へ帰りました
帰宅は午後7時30分でありました
甲州印傳 [山梨]
【4月1日 日曜日】 午後3時45分
国道411号線(城東通り)を甲府駅方面へ走り、たまたま信号で止まった「中央交差点」
ふいに右側を見ると『印傳屋 十三代 上原勇七』と書いてあるお店に注視
「何屋なんだろう? 印鑑屋?」 でもショーウインド越にはバッグ等が見えるし
『印傳屋』の他に『印傳博物館』とも書いてある
『印傳』ってなんだろう
そんな疑問を持ちつつも信号が青になり武田神社へ向かう
そして
武田神社を参拝した後で、目の前にある土産物店に入ってみたら店の奥に「甲州印伝」のショーケースを発見
値段が高いものは外から見るだけで、購入を考えないと触ることも出来ない
でも安い値段のモノがワゴンにあって、1つ手にしてみる
◇あくまでも初めて手にした時の印象◇
合成皮革にビニールの凹凸でデザインされている財布や小物入れなんだ~
・・・が感想で、終えてしまった
で!
今日、たまたま会社の同僚と「印傳」の話をしたら、上司から『地下鉄銀座線の外苑前駅に印傳の店があったはずだ』と聞き、これは行ってみなきゃと即行動
仕事は営業みたいなものだから、自分でスケジュールさえ作れば自由な時間は作れるので、午後に外苑前駅がある南青山へ
ありましたよ「印傳屋」
印傳屋青山店
店舗は1階と2階があって、飾ってある商品を眺めていると店員さんから「是非お手に取ってご覧下さい」と言われ素直に従う
手にして店員さんから商品の説明を受けると『うわ~欲しい』の気持ちに火がつく
なんとも云えない肌触り
合成皮革だと思っていた皮は鹿皮、ビニールの凹凸だと思っていたデザインは漆なんだそうです
財布やパスケース、ハンドバッグにセカンドバッグ、巾着や紳士バッグ、携帯ストラップやキーホルダーとあらゆる小物類が店狭しと並べられていて、訪れた私は目が輝く
パスケースだけでも買おうかな・・・なんて見ていたら店員さんがカウンター奥の棚からデザインや色違いの商品を出してきて「これだ!」と手にしたら、頭の中は購入モード炸裂
結局パスケースだけでおさまらず、名刺入れも購入してしまいましたわ
葡萄の絵柄で写真だと分かりずらいかもしれませんが、黒に近い紫色をしたパスケース(右)と、黒色で蜻蛉の絵柄の名刺入れ(左)
店員さん曰く蜻蛉は前にしか飛ばない(横にも飛んでいそうなんだけど・・・)縁起の良い虫なんだそうです
前にしか進まず決して退かないことから、戦国乱世の時代では「勝ち虫」と呼ばれていたんだそうで、武士の鎧や兜に蜻蛉の模様が入ったものが好まれたんですって
戦の時代は過ぎ現代でも「勝ち虫」を縁起担ぎとして、蜻蛉のデザインが男性に好まれているんだそうです
そう言われれば鉛筆や学生服といった「トンボ・・・」の会社名をよく耳にしますもんね
会社名を決める際に「勝ち虫」とか「退かない」といった意味を込めて名付けたのでしょうね
それにしても肌触りはかなり飽きませんよ
外国の高級ブランドなんかより全然良いかもしれませんね
帰り際にお店のカタログをいただき読んでみると
「甲州印伝」は日本の伝統工芸品に指定されているそうで、「印傳屋」は創業400年以上で現在の商品は江戸時代に発案され、「東海道中膝栗毛」の中で「腰に下げたる、印伝の巾着(きんちゃく)を出だし、見せる」の記述があり、当時から人気の品だったと云われています
「印伝」の名の起こりは「印度伝来」によると云われているそうな
カタログを見ながら次は・・・なんて勝手に品調べをしている自分が笑えてきます
大井俣窪八幡神社 [山梨]
【4月1日 日曜日】 午後3時20分
塩山の市街地にあるファミレスで遅めの食事を済ませ、甲府市内の武田神社を目指す
笛吹川を渡り国道140号線に出るところで「大井俣窪八幡神社」の看板を見付ける
神社へ向かう途中にある鳥居を車上からパチリ
帰宅してこの神社を検索してみたら「現存する最古の木造鳥居」と書いてあって驚いちゃった
京や伊勢にある神社あたりの鳥居ならいざ知らず
ここ山梨の小さな町にある神社の鳥居が一番古いなんて・・・
武田信玄の父である武田信虎によって建立(1535年)たそうですわ
こちらは神門で鳥居よりも古い1511年に武田信虎が再建したそうです
武田信虎、晴信(信玄)親子が寄進・建立する以前の1400年代から甲斐武田氏とは密接な繋がりがあったみたい
境内は誰もいないのですが、神社の殆ど(11の建造物)が国指定の重要文化財に指定され、現在の本殿(1410年)は改修工事(屋根の葺き替え等)がされているため、見ることができませんでしたが、拝殿や若宮拝殿も立派
写真は「拝殿(1534年:信虎建立)」
清和天皇(850年~881年)の勅願により九州大分の宇佐神宮の八幡三神を笛吹川の中島に勧請されたのが始まり
清和源氏の河内源氏一門から甲斐源氏が生まれ、その流れが甲斐武田氏へと繋がっているんだそうですよ
社務所に立ち寄ろうとしたが不在っぽいので写真だけ撮って神社を出発
途中「万力公園」があったけれど、時間の都合で車から眺めて通り過ぎましたとさ
樋口一葉 と 慈雲寺 [山梨]
【4月1日 日曜日】 午後2時00分
またまた国道411号線を塩山市街へ向けなだらかな坂を下って行くと
「樋口一葉」の墓所と書いてある看板を発見
車を降りて確かめると「樋口一葉女史先祖旧邸並墓所」と書いてある
旧邸ってどこ?墓所ってどこ?
と回りをキョロキョロ
もしかしてあれかな?
墓石に「樋口家」とあるから、これが先祖の墓所なのでしょう
案内板や説明書き看板も無いので、本当にこれがそうなのか確かめるすべがない
「樋口一葉」って確か東京の本郷(文京区)に住んでいたと聞いたことがあったけれど、山梨県にゆかりがあるとは知らなかったなぁ
携帯端末で検索してみると、この近くに「慈雲寺」という一葉にゆかりがある寺があると知り行ってみることに
この寺は京都嵐山にある天龍寺が本山で、1340年頃に開祖した臨済宗の禅寺
一葉の父と母が慈雲寺の寺子屋で出会い、その後15年後に東京で一葉が誕生したそうで、一葉本人ではなく一葉の父母にとってゆかりがあるお寺なんだそうですわ
観光バスもやってくる甲州市の観光名所らしく、どこの観光地へ行ってもよく見る「クラブツーリヅム」の名札を付けた御一行さんがぞろぞろ。。。こりゃまずいと急いで境内へ
こちらも境内には大きな桜の木がありました
品種は「イトザクラ(シダレザクラ)」
こちらの桜はあと少しで花が開きそうです
お寺内は拝観自由で、桜が咲くと見物客がドッと押し寄せるそうです
1週間早かったかもしれませんね
境内の右奥には一葉の碑がありましたわ
ここは父母が知り合った寺で、一葉の祖先が住んでいた場所だけなのですけど五千円札の肖像モデルであるから、この慈雲寺に人が訪れるのでしょうね
(加筆)碑の内容ですが↓写真の通りで、幸田露伴の筆だそうです
お昼も抜きでここまで来ていたので、もうお腹がペコペコ
慈念寺を後にして塩山市街のファミレスで遅めの昼食をいたしましたとさ
お稚児行列に遭遇 [福蔵院] [山梨]
【4月1日 日曜日】 午後1時20分頃
国道411号線を雲峰寺へ向かう際、途中で「七福神めぐり 福蔵院」(甲州市塩山小田原)の看板をチェックしていて、帰り道に立ち寄ってみました
駐車場に車を止めようとしたら車でいっぱい
ありゃ~何か法事があるのかな、、、でも来たのだし立ち寄ってみるかと境内へ
法事っていう雰囲気ではなさそう
すると後方で『ドーン、ドン、ドン』と音花火が聞こえ、運動会?なんてバカな勘違いをしている私。。。
すると本堂から人が現れはじめ「何かあるのですか?」と聞いてみると『オチゴマツリなんですよ』とご婦人
「オチゴ?」・・・と目を天に向け「イチゴ」なんて考えているとご婦人は『子供達が衣装を着て行列するんですよ』と教えられた
子供がいない私にとって「オチゴ」の知識が全く無く、ご婦人は天に目を向け考え込む私を『こいつ知らんな、、、』と笑われたのかもしれん
持ち歩いているタブレットで「オチゴ」を検索すると
「寺院の祭礼や法会で子供(稚児)が天童に扮して行列をすること 」
とあり、天童って「VC3000喉飴の天童さん?」なんてバカな思いつきも検索で
天童とは「仏法を守護(護法)すると言われる鬼神や天人が、子供の姿となって人間界に現れること」
と書いてあった
平安時代から伝われる儀式のようで、現代では子供が主役で衣装を纏うお祭りになっているみたいです
ホラ貝を吹く僧に従われて可愛い衣装を纏った子供達がやってくる
それにしてもラッキー
何も考えずみのような場面に巡り合うってのは、無計画で気ままなお出掛けの中で「来て良かった」と思わせてくれる瞬間なんですよね~
神社だと巫女さんが舞を踊ったりするそうですが、ここはお寺
どんなことをするのか知りたくてしょうがない
しかしご両親や子供の祖父母等は記念撮影の真っ最中
関係者は皆お寺の中に入ってしまい聞けずじまいでありました
少子化でこの地域では今年4名が行列に参加したそうです
その後、帰宅して再度検索してみると「お稚児行列」を3回行うと子供が幸せになれるという言い伝えがあるそうです
あのー、、、40を越し50に近いオッサンも行列させて貰えるかなぁ
まだ幸せは戴きたいし
え? お呼びでない?
忘れておりましたが、ここ「福蔵院」は甲州東郡七福神の布袋さまが祀られております
それとお寺の周辺は「桃」の栽培が盛んで、桃の木は・・・
まだ蕾で咲くまで1~2週間以上は要しそうでした
桃が咲いたらまた来ようかな