和歌山と高野山の巻 2 【高野山 奥の院】 [和歌山]
【2016年5月12日(木)】 07:20 和歌山と高野山の巻 2
高野山に到着早々、ちょっとした計算ミスが発生!なんと拝観できる寺院は全て開門は08:30。てっきり08:00から拝観できると思っていたので少しショック。どうしたら・・・とガイドブックと睨めっこをし、歩く時間も考えて最初の拝観は奥の院に決定
高野山は昨年の2015年に開創1200年を迎え、特別な拝観も可能だったんですが、私の諸事情もあり訪れる事が出来なかったんです。老夫婦はかなり行きたがっていたのですが、1年経ってようやく念願が叶いました
〈高野山開創1200年 マスコットキャラクター 「こうやくん」〉
高野山は空海(弘法大師)が816年に真言密教の聖地として開いた地
空海が開いた高野山は真言宗の総本山。真言宗というと真言密教があり秘密な宗教ぽく感じますが、決して秘密裏に行う宗教ではないようです
高野山は金剛峯寺(こんごうぶじ)を中心に52の宿坊があり、こんな山間にある町だと温泉街が当り前。しかし高野山は寺院を中心とした町とあって、他とはちょっと違う雰囲気がありました
今日1日は高野山に滞在し、回れるだけ回ってみるつもりです
和歌山と高野山の巻 1 【丹生都比売神社・高野山 大門】 [和歌山]
いやはや、「山陽・山陰の旅 Part 2」を書き始めたのですが、急遽休みが取れそうだとほぼ前日(5月10日)に計画を・・・と言いたいところですが、実は昨年の2015年にせっせと計画を立てながら海外出張と重なり計画倒れとなった高野山行を実行に移した次第。よって綿密な旅の計画は全て1年前に作成したもの。そこに多少の肉付けをし、宿泊先やら予約(前日近くになると結構スムーズに予約できるものですね)を済ませ、いざ高野山へ!
老夫婦も急な提案に快諾。しかし年金からの費用捻出は断られる。。。チッ
【2016年5月11日(水)】 15:30 神奈川より大阪経由 和歌山行き
5月11日(水)から休もうと企んだが稟議や決裁をしやがれ(・・・しやがれとは言われませんが)とせがまれ、午前中だけ会社に顔を出して帰宅。大急ぎで準備を済ませて出発~
11日(水)は低気圧が通過し朝まで雨が降っていましたが、翌日以降は良い天気との予報。。。ついているカモ
15:30に東名高速に乗り新東名高速へ。いつも通過してしまっている静岡SAにて小休止
静岡と云えばプラモデルの聖地。タミヤ模型やイマイ模型は静岡が本拠地だ。わけんは航空機や戦艦、ミリタリー系が特に好きで、よく作ったが当時の自宅は狭く、ほぼ母親に捨てられたもんです。ガンダム世代と言いたい所だが、宇宙戦艦ヤマト世代?コンバット(ゴキブリ殺虫剤じゃありませんよ)世代?になるんでしょうかね~
熊野本宮大社 [和歌山]
【5月4日 金曜日】 午前8時50分
新宮より国道168号線を北上し、約35km程、時間にして45分位で「熊野本宮大社」に到着
熊野那智大社(那智)、熊野速玉大社(新宮)、そしてここ熊野本宮大社(本宮)の三つを総称し「熊野三山」と呼ばれています
150段ほどの階段を昇ると本殿の前に
この神門より先は撮影禁止とあってカメラはここまで、、、撮影禁止だと書いてあるにも関わらず撮影されている方ばかりでしたけどね、、、仕方ないのでHP探してみました
※写真は『熊野本宮観光協会』からです
左側が第一殿「熊野牟須美大神(くまのふすみのおおかみ)」を祀った西御前と、第二殿「熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)」が祀られた中御前。第一殿と第二殿は相殿となっています。真中が第三殿で「家都美御子大神(けつつみみこのおおかみ)」が祀られた本殿(なんとなく右側が本殿に見えますが、正面が本殿なのですわ)。そして右側が第四殿「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を祀った若宮。
「牟須美大神」が那智、「速玉大神」が速玉(新宮)、「家都美御子大神」が本宮で、合わせた3神を熊野三神と云い「熊野三所権現」とも云われておりまする。熊野三神は那智も速玉も本宮も共通して祀られていているんですよ
熊野三山は共通して上の写真の「八咫烏(やたがらす)」が掲げられています
八咫烏とは三本足のカラスで、神武天皇が東征し熊野の国より大和の国まで道案内をし、神武天皇の勝利を導いたてくれたことから、神の使いとして縁起の良い鳥とされているんだそうです
そう言えば日本のサッカーチームのユニフォームには八咫烏がおり、勝利を導く鳥としてシンボルマークになったんだそうです。八咫烏をシンボルにしたのは日本にサッカーを紹介した方が那智勝浦町出身だったことから熊野の神の使いとしてシンボルにしたとかしないとか・・・
境内には黒いポストもありました
その名も「八咫ポスト」。葉書を社務所に持って行くと八咫スタンプを押してくれるそうですわ
今来た階段を下りて国道を渡ると大きな鳥居が!
近付いて見ると
かなり大きな鳥居が、、、ドーン。。。高さは33.9m、幅42mで平成12年に造られ、日本一の鳥居なんだそうです
ここは以前に熊野本宮大社があった「大斎原(おおゆのはら)」で、明治22年の水害によって計十二社の内、先程の第一殿から第四殿以外の八社は流失してしまったんだそうです。無事だった四つの殿社を山の上に移築し現在の熊野本宮大社となったんですって
鳥居とは感じない大きなモニュメントをくぐるとそこは大斎原
こちらも撮影禁止とあって入口からパチリ
こんもりと盛りあがった右側に社殿があったそうです
明治に入るまで大きな被害も無かった旧熊野本宮大社(大斎原)が流されたのか、それは明治に入って森林伐採が始められたことから山の地盤が緩み、押し寄せた鉄砲水によって甚大な被害にあったのが原因なんだそうです
天災ではなく人災によって、紀元前から続く熊野本宮大社は失ってしまったのでしょうね。
熊野速玉大社 [和歌山]
【5月4日 金曜日】 午前7時55分
30~40分ほど仮眠を取って新宮市内へ
こちらの新宮市には熊野三山の一つである熊野速玉大社があります。
そもそも熊野速玉大社はここより西にある権現山(神倉山)にある「ゴトビキ岩」がある神倉神社が(元宮)始まりと伝えられ、その後この地に遷り、熊野速玉大社となったそうな。この話を聞くまでは熊野本宮大社に対する新宮が熊野速玉大社だと思っていたのですが、全く違うことを知りました。新宮市の「新宮」とは神倉神社より遷ったことで名付けられたんだそうですよ。那智、速玉、本宮を熊野三山と呼ばれていますが、どれが一番最初に祀られた神社かという下司な考えをしてしまう。。。どこが最初なのかは神社でも記載は無いのですが、伝記等を辿って行くとこちらの速玉が最初と云われる説があるそうですが、真相は全くわかりません
因みに神倉神社は速玉大社より西へ1.1km行った所にあって、500段近くの石段を昇った先にあり「ゴトビキ岩」は男性の象徴のような形をされているそうです
さてさて熊野速玉大社へ参拝
こちらの熊野速玉大社の紹介については神社のHPをご覧くださいませ
なにせ時代が古過ぎて「古事記」「日本書紀」に記される神社で、初代天皇である神武天皇が東征したと伝わる時代なものですからね
新宮といえば日本一長い路線バスの始発駅が、ここ和歌山県の新宮駅から出発し奈良県の八木駅までを全長168kmを約6時間半で結び、各駅にバス停を停車して行くのですが、バスは「特急」と名乗り1日3本走っておりまする
バス停数は168、運賃表は107番までの整理券があり、全線を乗ると5,250円になるそうですわ
途中数回休憩を取りながら走るそうで、全線を乗られる方は相当な日本一制覇チャレンジャーか、路線バスを愛する方に違いありません。因みに私も路線バスの旅は好きで東京から浜松まで乗り継いだ旅をしたことがありまする
新宮市内でたまたま見かけたのでパチリと撮影、時刻は7時50分だから終点の八木駅に着くのは14時30分前後なのかな
一度は乗ってみたいものであります
那智大瀧 [和歌山]
【5月4日 金曜日】 午前6時15分
那智大社や青岸渡寺より車で5分にある飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の那智大瀧へ
近くの土産店は開店前とあって、本来観光バスが駐車する場所に車を止めて参道を下る
那智大瀧は20数年ぶりに訪れたのですが、滝を見上げてなんとなく思い出したような
滝に向って鳥居が建っているのですが、ここ飛瀧神社の御神体は那智大瀧だから鳥居の先に建物が建っていないのだそうです
角度を少し変えると滝壺には崩落した岩石が積み上がっていて、昨年の台風12号の爪痕なのだそうです
今は改修工事が行われているのですが、落差133mを1つの滝では日本一の落差なんだそうですが、今では滝壺への落石で落差が短くなったのでは・・・
こちらは熊野古道の1つで大門坂と呼ばれ、途中車道に近付いた場所で写真を撮ってみました
近くの駐車場で30分程仮眠をとって来た道を戻って新宮市内へ