お戒壇めぐり(岐阜編) [岐阜]
【2017年1月7日(土)】 お戒壇めぐり(岐阜編)
一昨日、また奈良まで出掛けてまいりましたが、奈良へは今年になって月1回ペース。
何かに取りつかれたのかもしれませんがシリーズで更新している伊勢神宮125社レポが終わり次第、奈良についてお伝えする予定です
さてさて、伊勢神宮ばかりでは飽きてしまうので、お口直しとして岐阜・愛知に訪れたお出掛けレポをお伝えします。テゴリーは岐阜としていますが一部愛知県も含まれています
昨年の2016年12月に同エリアに訪れたのですが、不思議な「稲荷神社」や「お戒壇めぐり」と面白い寺社仏閣が多かったので、1月になって老夫婦を連れて行って来たレポをお届けします。
一部で2016年12月17日の写真も使用しておりますことを先にお断りさせていただきます
早朝05:00に自宅を出発し目指すは岐阜県海津市。
名神高速岐阜羽島ICを降りて走ること約15分。
名神高速岐阜羽島ICを降りて走ること約15分。
田園地帯に何故ここに?と賑わう場所がある
訪れた方もおられると思いますが、こちらは海津市平田町にある 千代保稲荷神社(ちよほいなりじんじゃ) 、日本三大稲荷とされているんだそうです。
近くに鉄道の駅がある訳でも無いのに人がいっぱい押し掛ける不思議な稲荷神社なのです!
【岐阜 多治見】 永保寺 [岐阜]
【岐阜 下呂】 禅昌寺 [岐阜]
【2013年5月4日】
かなり間があいておりましたが、前回からの岐阜県飛騨地方の旅を続けさせていただきます。
高山から下呂へ国道41号を南下して気付いたのですが、似たような地名が幾つもあるんですわ。
それは「上呂、中呂、下呂」と言う地名。
下呂は下呂温泉として全国に名が通っていますが、「下」だけではなく「上中下」がセットあるって知っていました?
飛騨川(益田川)の上流から「上呂(Jouro)」「中呂(Cyuro)」「下呂(Gero)」となっているんですわ。
下呂は本来「下留(Shimotutomari)」と呼ばれていたのですが、飛騨は米の収穫量が少なかったことから「下々の国(Gege no kuni」と呼ばれ、そこから下留を「Geru」と音読みに変化させ、後に「Gero」に落着いたと言われています。
でも漢字で書くと「下留」に変わりはなく、それが何故「下呂」となったのかと言うと、先程も書きましたが下呂は温泉で名が知られていますよね。
温泉は「風呂」ですが、なんとその温泉の風呂の「呂」が「留」のあて字に変わり、下留が下呂となってしまったそうです。下呂だけではおさまらず、結局「上中下」はそのままで、全ての「留」が「呂」の字に変わったんだそうですわ。
何年ごろに名が変わったかというと、これは定かではありませんが江戸時代初期は「下留」だったそうで、江戸時代後期には「下呂」に変わり、明治に入って市町村名が付いた時には「下呂村」となり、1930年(昭和5年)になって国鉄高山本線が下呂まで延伸開業し、温泉地として脚光を浴びて「下呂」という地名が全国へ広がったんだそうです。
そうなると若い時に「宜しく」を「4649」と書いたり、「四露死苦」なんて書き替えて遊んだりしたけれど、これってとんでもない遊びで、普段使い慣れちゃうと「宜しく」は「四露死苦」に漢字が変わってしまうってことなんですよね?
勝手に作った造語が独り歩きして地名をも変えてしまう。。。最近では漢字から平仮名に変えてしまう自治体があるけれど、本当にそれでいいの?なんて考えしまう私は、、、、考え過ぎなのかな。
今回はかなり前置きが長くなってしまいましたが、5月4日の超お出掛けレポートは今回が最終回。
行先不明のまま下呂市に入り、地図でも大きく記載されていた「禅昌寺」に立ち寄ってみました。
かなり間があいておりましたが、前回からの岐阜県飛騨地方の旅を続けさせていただきます。
高山から下呂へ国道41号を南下して気付いたのですが、似たような地名が幾つもあるんですわ。
それは「上呂、中呂、下呂」と言う地名。
下呂は下呂温泉として全国に名が通っていますが、「下」だけではなく「上中下」がセットあるって知っていました?
飛騨川(益田川)の上流から「上呂(Jouro)」「中呂(Cyuro)」「下呂(Gero)」となっているんですわ。
下呂は本来「下留(Shimotutomari)」と呼ばれていたのですが、飛騨は米の収穫量が少なかったことから「下々の国(Gege no kuni」と呼ばれ、そこから下留を「Geru」と音読みに変化させ、後に「Gero」に落着いたと言われています。
でも漢字で書くと「下留」に変わりはなく、それが何故「下呂」となったのかと言うと、先程も書きましたが下呂は温泉で名が知られていますよね。
温泉は「風呂」ですが、なんとその温泉の風呂の「呂」が「留」のあて字に変わり、下留が下呂となってしまったそうです。下呂だけではおさまらず、結局「上中下」はそのままで、全ての「留」が「呂」の字に変わったんだそうですわ。
何年ごろに名が変わったかというと、これは定かではありませんが江戸時代初期は「下留」だったそうで、江戸時代後期には「下呂」に変わり、明治に入って市町村名が付いた時には「下呂村」となり、1930年(昭和5年)になって国鉄高山本線が下呂まで延伸開業し、温泉地として脚光を浴びて「下呂」という地名が全国へ広がったんだそうです。
そうなると若い時に「宜しく」を「4649」と書いたり、「四露死苦」なんて書き替えて遊んだりしたけれど、これってとんでもない遊びで、普段使い慣れちゃうと「宜しく」は「四露死苦」に漢字が変わってしまうってことなんですよね?
勝手に作った造語が独り歩きして地名をも変えてしまう。。。最近では漢字から平仮名に変えてしまう自治体があるけれど、本当にそれでいいの?なんて考えしまう私は、、、、考え過ぎなのかな。
今回はかなり前置きが長くなってしまいましたが、5月4日の超お出掛けレポートは今回が最終回。
行先不明のまま下呂市に入り、地図でも大きく記載されていた「禅昌寺」に立ち寄ってみました。
【岐阜】 高山から下呂へ [岐阜]
【岐阜】 飛騨高山の街並み 02 [岐阜]
【2013年5月4日】
前回に続き、飛騨高山の街並みをお伝え致しまする。
飛騨高山に来て、何故か昔の記憶を思い出してしまいました。
かれこれ30年以上の昔に、テレビショッピングという名前が無く、テレビ直販?みたいなCMで、包丁のセットを販売し、今回お申し込みの方には「飛騨の職人さんが包丁にお名前を・・・」てな感じで放送していたのを覚えている。
今でもあのCMはやっているのだろうか・・・と言うか、知らない方には全くわかりませんよね(笑)
古い街並みを歩いていたら、もう1ヶ所の朝市に辿り着く。
こちらは「宮川朝市 (Miyagawa-Asaichi : Miyagawa Morning Market )」でありまする。
前回に続き、飛騨高山の街並みをお伝え致しまする。
飛騨高山に来て、何故か昔の記憶を思い出してしまいました。
かれこれ30年以上の昔に、テレビショッピングという名前が無く、テレビ直販?みたいなCMで、包丁のセットを販売し、今回お申し込みの方には「飛騨の職人さんが包丁にお名前を・・・」てな感じで放送していたのを覚えている。
今でもあのCMはやっているのだろうか・・・と言うか、知らない方には全くわかりませんよね(笑)
古い街並みを歩いていたら、もう1ヶ所の朝市に辿り着く。
こちらは「宮川朝市 (Miyagawa-Asaichi : Miyagawa Morning Market )」でありまする。
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