そんな 針 T・R・S に深夜1時半に到着。
助手席側シートを急いで寝床に整え、5時間ほどの仮眠をし7時前に出発です
笠縫邑比定地めぐりも今回が最終回で3か所に訪れます。最初はこの針T・R・Sから近い小夫天神社へ
針より桜井市へと抜けられる県道38号線で15分程走り、小夫 (おおぶ) という集落に天神社があり、笠縫邑の比定地とされている。この天神社は笠縫邑比定地だけでなく、泊瀬斎宮伝承地ともされている。この時代の歴史好きな者しか訪れそうもない神社と思われますが、参道入口には立派な石碑が建てられていた
ここから真っ直ぐと伸びる参道を上がって行くと鳥居があり、その先に神社が見えてくる
笠縫邑比定地 6
寺社名 小夫天神社 (おおぶてんじんじゃ)
ご祭神 主祭神:天照皇大神 (あまてらすすめらおおみかみ)、天兒屋根命 (あめのこやねのみこと)、
菅原道真 (すがわらみちざね)
相祭神:大来皇女命 (おおくのひめのみこと)、品陀別命 (ほんだわけのみこと)[応神天皇]
創 建 第10代崇神天皇の時代
所在地 奈良県桜井市大字小夫字神前田3147
駐車場 なし。神社階段下のスペースある場所に停めました
社伝として石碑があり、記された内容をまとめると、、、
前回までも書いておりますが、第10代崇神天皇の時代に天照大御神を皇居内から外部に遷した最初の遷宮地である笠縫邑(かさぬいむら)を創る。その笠縫邑と比定される1つがこの小夫天神社。
アマテラスオオミカミを漢字にするとかなり多く書かれている。
私がいつも記している「天照大御神」が正式かどうかはわからないが、他にも「天照大神」「天照太御神」「天照太神」があり、読み方は違えどもアマテラスオオミカミと同じ神である「天照皇大神 (あまてらすすめのおおかみ)」「照坐皇大御神 (あまてらしますすめのおおみかみ)」もあるんです
笠縫邑は比定地でしかわかっていないため、こちらが本当かどうか不明。
また、第40代天武天皇によって斎宮制度が確立され、天皇で未婚の皇女を選び伊勢で天照大御神の巫女として生涯を神と共に捧げたと伝わる斎王。
実は天武天皇以前の斎王とされる者達は記紀でしか書かれておらず、倭姫命を含め本当に存在したのかどうかはわかっていない。だが斎王制度が確立されてからは記紀以外でも歴史書に残されているため、本当の斎王は天武天皇が斎王として選んだ皇女の大来皇女命(おおくのひめのみこと)が実在する斎王ともされている
天武天皇とは第38代天智天皇の弟で、当初は皇太子とされていたが天智天皇崩御後、家臣達は皇子である大友皇子へ皇位を継承しようとする。それに反発(ほぼ謀反)し天武天皇が大友皇子を討ち皇位を勝ち取った。これが歴史の授業でも勉強した壬申の乱(じんしんのらん)なのです。
天智天皇は近江京が都だったが、天武天皇によって飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや:現在の明日香村飛鳥、若しくは岡周辺とされている)へと都を遷すが謀反によって奪った皇位であったため、民や豪族の信頼も低かった。その時に天武天皇は天照大御神の力を利用(言葉が悪いですけど)するために斎王制度を作ったとされている。天照大御神の威光はかなり強かったんだと裏付けられる
斎王が奈良(飛鳥)を発し最初の頓宮が泊瀬(初瀬:はせ)、その泊瀬がここ小夫だったと伝承されている。
でも疑問が生じる。
それは奈良(飛鳥)から伊勢へと向かうなら三輪山の南山麓を通るのが近道なのだが、ここ小夫を通るとなるとかなり遠回りの気がするんです。仮に当時は天災等によって三輪山南側の道が通れなかったのならばあり得るのかもしれませんが、かなり難しいかもしれません
上写真左側に朱塗りの社殿が見えますが、こちらは斎王神社で豊鍬入姫命と倭姫命をご祭神として祀られていました(写真を撮ったつもりだったのですが、本殿含め記録が残っていませんでした)。悲しい・・・
境内裏手には奈良県では2番目に古い巨木の欅。第23代顕宗天皇(けんぞうてんのう)の御代に植えられたと説明書きに記されていて、樹齢は1500年。幹回りは11mもあるとの事。確かに大きく写真を撮るにも大変です。
顕宗天皇と第24代仁賢天皇の継承は疑問があるのですが、ここに書くと文が長くなってしまうため後日いたしますね
小夫天神社を後にして次の笠縫邑比定地とされている笠山荒神社へ。
赤く塗った〇印が小夫天神社で、途中で右へ入る細い道を進むと10分程度で到着する
こちらが笠山荒神社の入口
駐車場があるのは裏参道らしく、蕎麦屋の看板が気になってこちらの山門前に到着
ご老人が植物の手入れをされていて挨拶して追い抜くと「お待ちなさい」と声を掛けて来た。
最初、何かあるのかな?と考えていたが、ご老人は植物の手入れを済ませて私を先導し、そのまま社務所の中に入って行かれた。神職だったみたい。
どこから来たのかといった質問を受け、神奈川から笠縫邑伝承地を訪ねて来た旨を説明すると、朝から当神社に来てくれたお礼として氏子より納された御酒を頂く。奉納された瓶入りのお酒。いわゆるワンカップですけど、神社より逆に頂くことなんて今まで無かったような・・・有難く頂戴し返礼、、、違う違う、参拝です(汗)
笠縫邑 7
寺社名 笠山荒神社 (かさやまこうじんじゃ) 別名:笠山三宝荒神社 (かさやまそんぽうこうじんじゃ)
ご祭神 土祖神 (つちのみおやのかみ)、奥津日子神 (おきつひこのかみ)、奥津比賣神 (おきつひめのかみ)
創 建 不明
所在地 奈良県桜井市大字笠2415
駐車場 表・裏参道に駐車スペースあり
別名の笠山三宝荒神社にある「三宝」とは、「仏」「法」「僧」を指し、三輪山山麓にある社寺を守る神として鎮座されたと思われるが、由緒書きの一部には3000年前に・・・とある。
3000年前だと仏教も伝来していないので何とも言い難いですが、あくまでも由緒書きと言うことにしますかね
荒神信仰は西日本で多く、関東では馴染みが薄いが竈(かまど)の神として今でも信仰を残している。
だが古い家ではどこでも竈があって、師走に竈の煤を取り除く大掃除をするのは、荒神さま怒らせないためにしているそうですよ
灯篭が続く参道の坂を下っていくと幾つもの鳥居がある。
こちらが本来の表参道らしい
周囲には閼伽井不動(あかいふどう)が祀られている。
閼伽井不動前にある閼伽井池で遣唐使から帰った空海がこの笠山に立ち寄り21日間修行をした後に高野山を開くが、幾度か災害等に合い再び笠山へ来て不動明王を寄進。その際に荒神を高野山に勧請し無事開山したと伝わっている。空海が寄進した不動明王を閼伽井不動として今でも祀られているそうです
この閼伽井不動から少し下った所に倭姫命を祀る祠があるそうですが、この時は見逃してしまいました
笠山荒神社参道前にある天満神社にも立ち寄る
境内には由緒書き等が無く創建含め不明ですが、上の拝殿の後ろには朱塗りの本殿があり、神社名からして菅原道真が祀られていると考えられます。
また、本殿手前には皇大神社も祀られていて、ここでも天照大御神にお会いできました
天満神社より谷を下っていくと竹林寺がありました
本堂がぽつんとあって重要文化財指定されている薬師如来立像が祀られているそうですが、周囲には誰もおらず拝観は不可みたい。
調べてみると4月8日、8月14日、9月8日に御開帳されるそうです
竹林寺はそもそも笠寺と呼ばれ、閼伽井の池にて修行した空海によって創建されたとも伝わっている。
当時は神社と寺院が習合していたが明治時代入って執行された神仏分離によって切り離されてしまったそうです
ここから笠山荒神社参道の階段を上って戻るのは疲れてしまいましたが、別に入口があって竹林寺や閼伽井不動、天満神社まで車で来ることが出来そうですよ
この次は笠縫邑比定地とされる最後の地へと向かうのですが、三輪山を周辺の地を「神奈備 (かむなび、かんなび)」と呼ぶ。また、似たように山や自然を神とする事を指すとも言われている
神奈備とは「神が居る地」「神が鎮座する山や杜」「自然をご神体とする地」をし、万葉集でも読まれている
私が住む「神奈川」とも何か縁があるのでは?と調べてみましたが、神奈川の語源は「上無川」から来ているそうで、神奈備に似た字にしたのは、多分神のご加護をと思って付けられたのではと考え、神奈川と神奈備、何か縁があると思うんですがどうなんでしょうかね。
※あくまでも個人の意見です
また、ここまでレポを読まれていると皆さんは私が宗教活動に目覚めたと思われそうですが、それは全くございませんのでご心配なく(笑)
それでは最後の笠縫邑比定地レポをお伝えします
笠縫邑 8 飛鳥坐神社
今まで三輪山周辺と田原本周辺でしたが最後は飛鳥の地
寺社名 飛鳥坐神社 (あすかにいますじんじゃ)
ご祭神 八重事代主命 (やえことしろぬしのみこと)、高皇産霊命 (かたみむすびのみこと)、
飛鳥神奈備三日女神 (あすかのかんなびみひめのかみ)、大物主神 (おおものぬしのみこと)
創 建 不明
所在地 奈良県明日香村大字飛鳥字神奈備708
駐車場 あり(参拝者無料)
飛鳥資料館の先にある交差点を左折すると前方に赤色を灯す信号がある。
道幅が狭いために路線バス等運行を補助する行き違い用信号なのだが、異様に待たされるので注意が必要。
赤信号の長さは4分だそうで、カップラーメンが食べる事が可能かな(笑)
信号が青になり左手に飛鳥坐神社へ到着
周囲には飛鳥大仏で有名な飛鳥寺や、奈良県立万葉文化館がある地。
創建は由緒書きにも記されていないが829年に神奈備山より遷座されたとあるが、神奈備山は何処かと調べるとこれまた不明で、興味を持たれている方のHPを見させていただくと明日香村祝戸にある「ミハ山」ではないかと囁かれている
標高200m程の小さな山で飛鳥坐神社より2km南に位置する
下は2014年2月9日に訪れた石舞台古墳で後方の山々がミハ山
ミハ山と聞いて三輪山を思い浮かべてしまうのはどうしてか?
もしかしてミワ山は2つあったのだろうか・・・これを調べるのも面白いかも、、、また新しいフィールドワークが生まれそうな予感が。。。(笑)
さてさて、飛鳥坐神社へ戻ります
飛鳥には性器を神として祀る信仰が多く、男女の形をなした磐がこの境内に多い。
飛鳥坐神社では「おんだ祭」という奇祭が毎年2月に行われている。
性器をご神体とした奇祭は三河の田県祭をはじめ西日本の地域で行われているそうですが、この飛鳥坐神社では五穀豊穣と夫婦和合の秘事として天狗とお多福にて演じられる。また、天狗たちは青竹を持ち出して参拝者の尻を叩いているんだとか。。。意味があるのかわからないげど、夫婦円満、子宝祈願をこめて昔からこの奇祭を続けているのでしょう
社殿は2001年に老朽化のため、吉野郡川上村の丹生川上神社上社より移築された
境内には摂社や末社が多く、一番奥には「奥の社」がある
建物の中に神明造りの社があり、天照皇大神と豊受大神が祀られている
社の奥にはご立派な御皇産霊神(たかみむすびのかみ)の大石が鎮座している。
御皇産霊神は男性神で神皇産霊神は女性神とされる。
普通なら対で祀られるのだが、こちらでは男性神だけ。
もしかすると天照大御神と豊受大御神を女性神としたならば、男性神を近くに鎮座させ、人間界でも神の世界でも男女が等しく存在し、次の世へ永遠と続く事を意味して祀られているのかもしれませんね
前回はJR桜井線東側の三輪山北西地域周辺でしたが「弐の巻」は近鉄橿原線の笠縫駅より西側で笠縫邑比定地とされている3か所をめぐってみました。
奈良や伊勢をめぐると近鉄線と並走したり横切ったりして馴染み出始めているのですが、10数年前に四日市から大阪難波まで特急を利用した以外は全く利用したことが無いんです。
しかし奈良では路線網が入り乱れて、いざ利用しようとすれば関東人には難しいかもしれません。
ただ近鉄は幼少の頃から2階建て車両が走っていて、いつかは乗りたいと思っている鉄道。
でも最近では関東でもJR線のグリーン車等で乗る機会があって珍しさは薄れてしまっているかもしれません
檜原神社、穴師坐兵主神社より5~6km程、西へ行った場所に笠縫邑比定地があり、近鉄橿原線笠縫駅より徒歩10圏内の距離と思われます
昨年10月3日にUPした倭姫命巡幸 2 【倭笠縫邑 桧原神社】でレポした「笠縫邑」をもう少し深掘りしたく、檜原神社以外の比定地を巡ってみました
笠縫邑 (かさぬいむら)
第10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代、疫病等を含め荒れた時代に天照大御神を宮殿外に遷したという内容を前回の「倭姫命巡幸 13」でも書いておりますが、天照大御神を最初に祀ったのが「笠縫邑」と記紀にも記されています。その時に巫女として選ばれたのが豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)、崇神天皇の皇女で初代「斎王」とされている
一般的に笠縫邑は大神神社摂社の檜原神社と言われているのですが、調べてみるとここ以外にも比定地とされている場所が多数あることを知り、ならば行ってみようと行動開始!
これから数回に渡って「笠縫邑」をお伝えしま~す。
お付き合い下さいませ
初回は三輪の「檜原神社」と、穴師の「穴師坐兵主神社」へ
① - 1 笠縫邑 比定地 1
寺社名 檜原神社 (ひばらじんじゃ) 大神神社 摂社
ご祭神 天照大御神 (あまてらすおおみかみ)、伊邪那岐神 (いざなぎのかみ)、伊邪那美神 (いざなみのかみ)
創 建 第10代崇神天皇の時代
所在地 奈良県桜井市三輪字檜原
駐車場 あり(無料)
訪問日 2017年1月28日
自動車で行くと箸中より三輪山方向へと行くのですが、軽自動車クラスでないと厳しいかも。
歩きなら狭井神社より「山辺の道」を通って15分位かな・・・
2016年7月に初めて訪れ、今回が2度目の参拝。
境内に入って振り向くと鳥居越しに二上山を望むことができる。
左側の建物は「檜原御休処」で甘味と食事も出来る茶屋。檜原神社参拝用駐車場はその先の右側です
前回は時間が早かったため社務所は閉まっていたが今日は開いています。
勿論、ご朱印を頂戴いたしました
拝殿や本殿も無く大神神社独特の三ツ鳥居がある。
ご神体は三輪山で、豊鍬入姫命から倭姫命へ託され伊勢へと遷された後も天照大御神を祀る神社として残されている
豊鍬入姫命は笠縫邑へ天照大御神を遷された後、丹後や吉備、紀伊と2回遷宮されたのち、再度この笠縫邑に戻られたと伝わっている。豊鍬入姫命が高齢となったため、その後は倭姫命へとバトンを引継いだと伝えられている
こちらは檜原神社末社の豊鍬入姫宮
檜原神社より穴師地区へと移動し、穴師坐兵主神社へと向かう
徒歩なら直線コースで行けちゃうのですが、車だと箸中に一旦出てからとなってしまいました
あっ、ここだここだと車を止めるともう1つ神社が・・・
① - 2 相撲神社
寺社名 相撲神社 (すもうじんじゃ) 穴師坐兵主神社 摂社
ご祭神 野見宿禰 (のみのすくね)
創 建 第11代垂仁天皇の時代
所在地 奈良県桜井市穴師
駐車場 雑木林内にあり(5台程度)
訪問日 2017年1月28日
垂仁天皇の時代にこの地にて初めて相撲が行われた場所らしい
當麻邑(たいまむら[現在の葛城市付近])と呼ばれる地に賭け事で力自慢をし、相手を殺してしまう程の暴れん坊の当麻蹴速(たいくのけはや)を知った垂仁天皇は、出雲国に住む野見宿禰を呼び寄せ、捔力(すまひ)=相撲を初めて行ったのがこの穴師であったそうな。
当麻蹴速は蹴り技が得意だと伝えられている。
また、現在の天覧試合はこの垂仁天皇の前で行ったのが最初とされている。
勝負は野見宿禰が勝利し、当麻蹴速はその取組で亡くなったんだとか。。。
勝利を得た野見宿速には垂仁天皇から当麻蹴速が所持していた當麻邑の土地を褒美として渡されたと伝えられている
野見宿禰はこの後、天皇に使えるのだが、当時天皇が崩御されると生き人を墓(古墳)に埋める習わしを止めるよう進言し、代わりに埴輪を作って人の代わりとして埋葬したそうです。
初代横綱の地位は天皇にも進言出来る身分だったと思われます
↑は東京国立博物館に展示されていた「踊る男女」と名付けられた埴輪。
埼玉県熊谷市出土
この小さな祠が相撲神社の本殿
相撲神社より先へ進むと穴師坐兵主神社の参道が見えてくる
① - 3 笠縫邑 比定地 2
寺社名 穴師坐兵主神社 (あなしにいますひょうずじんじゃ)
大兵主神社 (だいひょうすじんじゃ)とも呼ばれている
ご祭神 兵主神 (ひょうすのかみ)、大兵主神 (だいひょうすのかみ)、若御魂神 (わかみたまのかみ)
創 建 不明。第10代崇神天皇、第11代垂仁天皇、第12代景行天皇の時代と伝わっている
所在地 奈良県桜井市穴師
駐車場 参道前に2台ほど止められる駐車場あり
訪問日 2017年1月28日
当初、弓月岳(現穴師坐兵主神社の山間)に鎮座していたが、焼失したために現在の地に移された。
当時は上社と下社があり、現神社は下社なんだそうです
拝殿の裏に本殿があり、間近では見れないが3連屋根で3神が祀られている
参道入口に立派な由緒書きがあったが、拝殿には手書きの由緒もある
手書きの由緒書きには「第10代崇神天皇六十年に命を受けて皇女倭姫命が創建・・・」とある。
本当かどうかはわからないが、ここも笠縫邑の一つとされているのだから、豊鍬入姫命が創建とした方が信憑性が増すんだけどな~
次は近鉄笠縫駅周辺をめぐります
]]>倭姫命(やまとひめのみこと)と呼ばれる皇女に興味を持ち始めたのは2016年1月。
斎王(さいおう)にクローズアップしたテレビ番組で、そこから伊勢神宮に天照大御神を祀られた最初の斎王をもっと知りたくなり、調べている内に倭姫命は笠縫邑(かさぬいむら)より伊賀、甲賀、近江、美濃を経て伊勢へ向かわれたのを知った。
ならばその巡幸路を辿ってみたいと大神神社(おおみわじんじゃ)に訪れたのは昨年の7月。
10月には無事に伊勢神宮へ着き、無事に巡幸路を辿れた御礼を2017年1月にお陰参りをさせていただいた
倭姫命が存在したとされる時代に焦点を絞り、崇神天皇や垂仁天皇、その時代背景や痕跡、足跡、伝説を追いかけて再び奈良にやって来た次第。最初は何気なく奈良へとやって来たのですが、アレやコレや訪れて見たり触れたり感じたりしたいという衝動に駆られ、今では月1回のペースで奈良に来ちゃっています
どんな表現が正しいのかわかりませんが、奈良は京都とは違う何かがあるんです。
その何かを見付けられるまで当分は通うのかな
まずは大神神社から
前日の金曜日、仕事を終え帰宅後に準備を整えて出発。
新東名~伊勢湾岸道~東名阪~名阪国道を経て奈良県桜井市の大神神社へ着いたのは午前1時過ぎ。
5時間程、大鳥居前の駐車場で仮眠をとって早朝に参拝です
伊勢神宮125社めぐりを始めたのは7月30日の瀧原宮を皮切りに9月からは3週連続。
熱が入るとホント手に負えないんです(笑)
1回目 2016年7月30日(土)瀧原
2回目 2016年9月25日(日)外宮、宮川、外城田、田丸、機殿・斎宮
3回目 2016年9月30日(金)瀧原、小俣、大湊、五十鈴、二見、磯部・鳥羽
4回目 2016年10月8日(土)内宮
いつもの夜に自宅を出て伊勢自動車道の多気PAで仮眠をとり6時15分に伊勢神宮内宮に到着。
この時間に来たのは宇治橋前の駐車場に停めたかったのと、参拝客が少ない早朝だと気にせずに写真が撮れるのが理由です。神宮内で三脚使用はまずいので手ブレ気味の宇治橋からスタートです
こんな時間だからか宇治橋前の駐車場はガラガラ。やっぱり早かったかな・・・
【内宮めぐり 106~125】
辺りが暗く写真は全くダメなのですが、我慢してお付き合いください
しかし、これだけ参拝者が少ないと気持ち良いです
手水舎で清めるよりも五十鈴川での禊してこそ内宮です
このすぐ裏手にあるのが内宮参拝最初の社となる「滝祭神」
106 内宮所管社 滝祭神 (たきまつりのかみ)
ご祭神 瀧祭大神 (たきまつりのおおかみ)
所在地 内宮宮域
五十鈴川と島路川の合流に近く、治水を願い祀られ、内宮へ来たならば正宮の天照大御神に参拝しますと報告する社とされ、いわゆる取次ぎをこちらでしていただけるんだそうです。
『私めは東国の神奈川から遥々やって参りました わけん と申し、倭姫命さまの道程を巡り、神宮125社めぐりも内宮をもちまして全ての社に詣でる事が出来ました。この社まで無事に来れた御礼と今上天皇が健やかにお過ごされます事をお祈りしに参りました。』とね
滝祭神の参拝を済ませたら風日祈宮に向かう。神楽殿や正宮へと向かう広い参道には出ずに右手へ折れていく参道を行けば風日祈の鳥居が見えてくる。川は鳥路川と呼ばれ五十鈴川の支流で、その川に架かる風日祈宮橋と称し宇治橋を少し小さくした感じかな
107 内宮別宮 風日祈宮 (かざひのみのみや)
ご祭神 級長津彦命 (しなつひこのみこと)、級長戸辺命 (しなとべのみこと)
もとは風神社と呼ばれていましたが鎌倉時代に蒙古が襲来し時に神風を起こした事から、それを機に風日祈宮と名を変えたんだそうです
内宮に訪れ半数の方はこちらにお参りせず正宮内へ向かってしまうため、この宮に訪れる方は少ないみたいです。私が訪れた時は誰もおらず、神様とマンツーマンで私の祈願を聞いて貰えるなんて有難や〜有難や〜
今来た風日祈宮橋を戻りそのまま神楽殿へ
この神楽殿で御札や御朱印をしていただける。
伊勢神宮の御朱印帳は大きく分けて普通サイズと大判サイズの2種類があり、神楽殿では普通サイズのみを扱っています。大判サイズをとお考えならば参集殿か、神宮会館でどうぞ
神楽殿で御札と御朱印を授かり正宮方面へ。
少し進むと左手に2つの社と白石で囲われた四至神が見えてくる
正面の木々の下に四至神が祀られている。
このご祭神は正宮の境界を神て、こちらも立派な125社の1つ
108 内宮所管社 四至神 (みやのめぐりのかみ)
ご祭神 四至神 (みやのめぐりのかみ)
四至神から左手、少し戻った所に2社並んであります
右手が由貴御倉神、左手の大きいほうが御酒殿神でその左手奥が神楽殿です
109 内宮所管社 由貴御倉神 (ゆきのみくらのかみ)
ご祭神 由貴御倉神 (ゆきのみくらのかみ)
神嘗祭などの時に天照大御神の食事を納めた御倉の守護神を祀っている
110 内宮所管社 御酒殿神 (みさかどののかみ)
ご祭神 御酒殿神 (みさかどののかみ)
大御饌にお供えする神酒4種がこの社に納められている
111 御正宮 皇大神宮 (こうたいじんぐう)
ご祭神 天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
本日メインの正宮御正殿。
日本各地に鎮座する神社の総氏神にもあたるんですよ
かなり湿度が高く神苑は霧が出ていて撮影をまた難しくさせているんす。
写真撮影はこの鳥居より先からは厳禁。なので御正殿の撮影はここまでとなります
同殿には相殿神として東側に天手刀男神(あめのたぢからおのかみ)と、西側に万幡豊秋津姫命(よろずはたとよあきつひめのみこと)も祀られています
御正殿内には他に3社あるのですが、参拝出来ないのでこちせで遥拝
112 内宮所管社 興玉神 (おきたまのかみ)
ご祭神 興玉神 (おきたまのかみ)
113 内宮所管社 宮比神 (みやびのかみ)
ご祭神 宮比神 (みやびのかみ)
114 内宮所管社 屋乃波比伎神 (やのはひきのかみ)
ご祭神 屋乃波比伎神 (やのはひきのかみ)
この3社は社殿が無く、3社共に正宮や神庭の守護神。
興玉神は板垣内西北の隅に祀られ、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)とも伝えられている。
宮比神も興玉神近くに祀られ、こちらも猿田彦大神の妻である天鈿女命(あめのうずめのみこと)と伝えられている。
屋乃波比伎神は板垣御門の外側に祀られているそうです
こちらは御正殿の鳥居なのですが、伊勢神宮の鳥居でも特殊な形をしているんです
この鳥居の名前は「内宮源鳥居」と呼ばれるんだとか。。。微妙に違いがあるんですね
正宮から荒祭宮へ行く途中にあるのは御稲御倉神の社殿が見えてくる
115 内宮所管社 御稲御倉神 (みしねのみくらのかみ)
ご祭神 御稲御倉神 (みしねのみくらのかみ)
伊勢神宮内で唯一神明造の建物を目の前で見る事が出来るのはこの御稲御倉神だけ。
建築物がご趣味の方は誰しもこの場に留まって見入ってしまうらしい・・・
116 内宮別宮 荒祭宮 (あらまつりのみや)
ご祭神 天照坐皇大御神荒御魂 (あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)
天照大御神の荒御魂を祀りる。
御正殿は天皇陛下や皇室の方に対し健やかお過ごしいただける事を願い、個人的な願いはこの荒祭宮で行うのが習わしなのです
こちらは御池
そして外御厩を過ぎると参集殿があります
参集殿は休憩所としているのですが、この日は時間が早くまだ戸は閉ざされていたのですが、その参集殿前には神鶏が2羽が門番をされておりました
宇治橋近くまで戻り右手の坂を行けば2社があり、奥に座すのが大山祇神社で手前は子安神社
117 内宮所管社 大山祇神社 (おおやまつみじんじゃ)
ご祭神 大山祇神 (おおやまつみのかみ)
大山祇神は山の神とも言われ、神奈川県の大山(おおやま)に座す大山阿夫利神社もこの大山祇神
118 内宮所管社 子安神社 (こやすじんじゃ)
ご祭神 木華開耶姫神 (このはなさくやひめのかみ)
手前にあるのが子安神社。
猛火の中で3人の子を出産したことから子授け、安産の祈願としてお参りされる方が多いそうです
宇治橋を渡り正面の駐車場の先にある杜の中に3つの社がある。
宇治橋を背に右手(北側)にあるのが津長神社
119 内宮摂社 津長神社 (つながじんじゃ)
ご祭神 栖長比賣命 (すながひめのみこと)
所在地 伊勢市宇治今在家町
倭姫命が現在の伊勢神宮に天照大御神を祀られるまで、この宮にて一時祀られていたと伝わっている。
また同座で新川神社と石井神社も祀られている
120 内宮末社 新川神社 (にいかわじんじゃ)
ご祭神 新川比賣命 (にいかわひめのみこと)
所在地 津長神社 同座
121 内宮末社 石井神社 (いわいじんじゃ)
ご祭神 高水上命 (たかみなかみのみこと)
所在地 津長神社 同座
122 内宮所管社 饗土橋姫神社 (あえどはしひめじんじゃ)
ご祭神 宇治橋鎮守神 (うじばしのまもりかみ)
所在地 伊勢市宇治今在家町
津長神社へ行く手前にあるのが饗土橋姫神社。
ご祭神の名前の通り宇治橋の守護神として橋の反対側に鎮座している
その饗土橋姫神社の前を通過して南側へと向かう坂を上がると大きな楠の巨木がお出迎え。
その大楠の裏側にあるのが大水神社
123 内宮摂社 大水神社 (おおみずじんじゃ)
ご祭神 大山祇御祖命 (おおやまづみのみおやのみこと)
所在地 伊勢市宇治今在家町
124 内宮末社 川相神社 (かわあいじんじゃ)
ご祭神 細川水神 (かわあいのみずのかみ)
所在地 大水神社 同座
125 内宮摂社 熊淵神社 (くまぶちじんじゃ)
ご祭神 多支大刀自神 (たきおおとじのかみ)
所在地 大水神社 同座
大水神社は山の神を祀り、倭姫命によって定められた社。
同座する2社は五十鈴川上流に鎮座していたのを明治初期に移されたそうな
こちらの参拝を以って伊勢神宮125社めぐりも完拝。
倭姫命と縁があるこの社で終えられた事に礼を申し内宮をあとにいたしましたとさ
【19 矢田宮 (やたのみや)】
【20 矢田田上宮(やたのたのうえのみや)】
【21 奈尾之根宮 (なおしねのみや)】
「倭姫命世記」によると矢田宮は伊勢市楠部町字口矢田にあったと記されているが、比定地は無くあくまでも推察による場所として諸先輩の著書等で紹介されている
神宮神田を通り過ぎた先の路地を右へと折れ、近鉄のガードを潜った先が矢田宮らしい
赤〇印が矢田宮、青〇印が矢田上宮。どちらも神宮神田の右左に位置する
【19 矢田宮 (やたのみや)】
車で行けるところまで行ってみる事に。
何も案内看板は見当たらず道幅の狭い農道をひたすら走り抜けると左手に開けた田圃が見えてくる。
この先は道も細くなり進むのは断念したが、諸先輩の書籍にて紹介された写真と同じ場所に辿り着く
はっきり断定はできないが、この辺りが矢田宮らしいです
この場所で遥拝をして来た道へと戻る
こちらは神宮神田。
神宮神田は倭姫命によって定められたと伝えられ、面積は30,000㎡でもち米とうるち米が作られ、1年を通じ神事が行われている。10月に行われている神嘗祭(かんなめさい)では新米を天照大御神に
この神宮神田と伊勢市役所四郷支所の間の道を進む(下の写真で右側の道)
【20 家田田上宮 (やたのたのうえのみや)】
竹林が現れ、その先は家田地蔵尊の参道みたい。
道に苔が生えているので車で行くと行き止まりぽいのでここまでにする。
諸先輩の書籍だとこの辺りが家田田上宮と思われるのだが神社等の形跡は全くない
上の写真付近で遥拝し楠部町へ
楠部町の住宅街へ入り、ちょっと坂を上っていくと豫樟尾神社旧跡地がある
橙色の〇印が豫樟尾神社 (くすおじんじゃ) 旧跡地。
明治40年に5社が合祀され現在は以前に「伊勢神宮125社めぐり 10」で紹介した大土御祖神社、国津御祖神社の隣にある。
豫樟尾神社旧跡地は家田田上宮跡とも伝えられのだが、こちらが本当の家田田上宮なのではと思われます
下は現在の豫樟尾神社
【21 奈尾之根宮 (なおしねのみや)】
次の奈尾之根宮が全くどこなのからず、3か所が候補としてあげられている
①宇治山田神社 (うじようだじんじゃ)
こちらも「伊勢神宮125社めぐり 10」にて紹介した神社。
参道入口がどこだか分らなかった神社で、興玉の杜(おきたまのもり)とも呼ばれている
②皇女ヶ森 (こうじょがもり)
神宮神田から五十鈴川を渡り月讀宮方向へ向かう田圃の中にポツンと小さな杜がある。
ここは第2代雄略天皇の皇女で斎王となった皇女稚足姫(わかたらしひめ)が五十鈴川に神鏡を埋め自害された事からここに「宇治乃奴鬼神社」を定めたそうですが、社は全く無く小さな杜だけが残されているのみ。
※上の写真は10月に訪れた時に立ち寄りました
③津長神社 (つながじんじゃ)
最後の候補地は皇大神宮(内宮)の宇治橋前にある津長神社。
五十鈴宮(いすずのみや)に天照大御神を祀られる前に宇治橋近くまで船で来られた倭姫命が降り立ったのが津長神社だと伝えられている。こちらは伊勢神宮125社の1つでもあるため、詳しくは後ほどに紹介します
写真は2016年9月と10月に撮影をしました。
さてさて、次のレポはやっと内宮の参拝です
3月25日(土)は法事があって福島県白河市へ。
老父母も歳を重ねてしまい今回が最後かもと出席しましたが昼食は辞退させていただき、懐かしい白河の街を廻って来ちゃいました
行先を決めるのは老夫婦なのでかなり非効率でしたが、私も幼い頃の記憶も蘇り昔を思い出す旅となりました
東名厚木IC~圏央道~東北道白河ICまで約5,800円。
首都高速経由よりは100円程安いけど、このルートが一番早いので我慢するしかありません
早朝出発だったので渋滞はちょっとだけ。都度休憩をし3時間弱で白河に到着です
法事を無事に済ませ昼食を断っていたので、わけん一家は白河ラーメンを食してみました。
最近、〇〇ラーメンなる地元ラーメンが流行っていますが、白河もラーメンで名が知られているらしい。
立ち寄ったのは南湖公園近くの火風鼎(かふうてい)
11時過ぎたところだったので店に入ってすぐに案内され、注文は醤油チャーシュー麺。少ししょっぱく、チャーシューは燻製臭で私にはちょっと口に合いませんでしたが、食べ終わった頃にはウェイティング客が数名。やはり人気店なのでしょうかねぇ
この火風鼎からすぐ近くの南湖公園へ
母曰く、小学生(当時は疎開していたそうです)の時に遠足で来たんだとか・・・
雪をまとった那須の山々が眺められる
湖の周りには歌が刻まれた歌碑が多くありました
こちらは大正時代に創建された南湖神社。
ご祭神は松平定信で八代将軍徳川吉宗の孫にあたり、白河藩主の養子となったが老中を命ぜられるが失職後は白河藩主に専念。天明の飢饉では白川藩の民のために各地から食料を調達し、白河では名君と称されたそうだ
本殿手前には松平定信が利用した茶室「松風亭蘿月庵(しょうふうてい らげつあん)」がある
また、先の大震災にて鳥居は倒壊してしまい、今は当時の残骸が残されている。
社務所横にはセルフお神酒が用意されている。私は運転手なので写真のみでしたが、一升瓶が3本あって酒好きなら宴会になっちゃうのかな(笑)
南湖神社隣には日本庭園「翠楽苑(すいらくえん)」がある。
松平定信は大沼と呼ばれていた付近を整備し、藩主や家臣だけでなく民にも開放したのが南湖公園の始まりとされている。1995年、白河市によって定信公が茶を楽しんでいただろうと庭園を築いた
春になれば庭園に花が咲き誇るのでしょうが、まだ花々は蕾の状態。ちょっと訪れるのが早かったかな
続いては栃木県に近い場所に白河関(しらかわのせき)跡がある
白河関は奈良時代から平安時代にかけて設置された関で、その後は荒廃しどこに関があったかは江戸時代に入って比定されたそうだ。
比定のきっかけはこちらの白川神社で、周囲には堀がめぐられていることから往時の関ではないかとの事だった
この白川神社が関跡だったと思わせるのがこちらの巨木。写真だと大きさがわからないかもしれませんが、幹回りは5m、推定樹齢は800年の「従二位の杉」。とても大きくしかも立派な杉に圧倒される
これはWikipediaに記載されていたが、宮城県の新聞社「河北新報社」の「河北」とは白河を境に北に位置する事から名づけられているそうです
この後は老夫婦指示により棚倉町(たなぐらまち)、塙町(はなわまち)と回り、白河駅周辺へと戻る
小峰城(こみねじょう)
小峰城は私が子供の時から知っている。
白河駅のホームから石垣がよく見えていたが今ある建物はほぼ無かった記憶がある。
案内看板によると1991年(平成3年)に三重櫓が木造復元されたそうですが、城内は工事現場の仮囲いがあるのだが、これは東日本大震災にて石垣が崩れてしまい、10年近い期間を掛けて修復工事がされているんだそうです
実はこの修復工事は熊本で発生した地震によって同じく石垣が崩れた熊本城の修復工事で小峰城の修復工事を伝えていた。石垣の写真を基に石1個ずつ番号を附し元の状態に組み上げるという途方もない工事なんだそうだ。
新しく石を加工し積めば短期間で工事は終わるが、そうなれば史跡としての価値が無くなってしまう。
年月が掛かっても元のとおりに復元してこそ文化財なんだと思います
肉眼ではわかりませんが石垣の石にタグが付いているのは番号札だと思われます
本丸から見る三重櫓。天守閣にも見えますが櫓です。
復元櫓は震災でも崩れず良かった
小峰城を見た後は東北本線の白河駅へ
今でも残る木造駅舎は私の記憶(40年前)と変わっていない
以前は荷物扱い事務所と母が言い当てた場所は駅カフェとして喫茶店になっている。
老夫婦に指示され隣の観光案内所でタウンマップを仕入れてカフェに入ると老夫婦はこんな席に座っていた。
元成田エキスプレスにて使用されていた車両の座席らしい。。。列車なら良いがカフェで座るにはかなり不安定なんですけど・・・
観光案内所の市街地マップを広げ、老夫婦はもう少し白河の街を廻りたいみたい。
気が済むまで帰れそうもありません(笑)
昭和50年前後の白河駅は特急列車が数本しか停車しなかったため、上野まで急行列車で往復したのを覚えている。途中の黒磯駅で車内の電灯が消え驚いたのを薄っすら覚えている。
当時は指定券を買うのは大変で祖父が苦労して購入した事をこのカフェで教えられた。
最近、忘れ事が多くなって来ている老夫婦ですが、何故か土地の空気を吸うとドンドンと思い出すみたい
白河の街を出る際、窓の外をずっと眺める老夫婦にちょっと涙腺が緩んでしまいました
今日は法事だったけれど昔を懐かしみ、子供の時を思い出して楽しめたのかな
粟皇子神社より一旦、国道42号を二見方面へと戻り、国道167号(第二伊勢道路)で磯部へと向かう。
第二伊勢道路は高速道路規格で無料開放されているのが有難い
トンネルで峠を越すと近鉄志摩線と並走するように志摩市へと入る。
志摩市は2004年の平成大合併によって生まれた市で、目的地の磯部は以前磯部町だった
9月30日(金) 15:30
099 内宮別宮 伊雑宮 (いざわのみや)
ご祭神 皇大御神御魂 (すめのおおみかみのみたま)
所在地 志摩市磯部町上之郷374
駐車場 あり (無料)
伊雑宮のご祭神は皇大神宮(内宮)と同じ天照大御神。地元では「いぞうぐう」とも呼ばれている。
漁師や海女から崇敬があり、社務所で授けられる「磯守」を身に着けて海に向かうそうです
別宮だけにとても立派な社殿が建っている
参拝を済ませ駐車場へと戻ると稲田の前に鳥居が立っている
こちらは重要無形民俗文化財に指定されている「磯部の御料田(おみた)」で、 毎年6月24日に御田植式が執行われている。日本で初の稲田とも言われていますが本当かどうか定かではありません。
また、磯部には浦島太郎伝説があり、伊雑宮の宝物に玉手箱があるそうです
伊雑宮入口に周辺地図があり、その中に「倭姫命旧跡地」なる場所を見付け行ってみる事に
伊雑宮は倭姫命が皇大神宮(内宮)に天照大御神を祀った翌年に鶴がやって来て昼夜ともに鳴き声が響き、その鶴が運んできた稲穂が気になり、倭姫命は大若子命等に鶴がどこから来るのか調べさせた所、鶴はこの磯部から飛んで来ていたとわかった。
磯部葦原の中に穂を実らせた稲が一基だけあり、その稲穂を咥えて五十鈴川まで鶴が飛んで来ていたんだそうです。姫命は地元の神であった伊沢波登美神(いざわとみのかみ)に社を定めるよう命じた事が伊雑宮の始まりとされている
五十鈴に倭姫宮が祀られた翌年(大正12年)にこの地で石棺の天井石と鏡楠の残根、白銅鏡2面が出土した。
当時は倭姫命の石棺ではないかと騒がれたそうですが、憲官によって出土品は一旦押収したが一部は現在の志摩市立歴史資料館に保管されている。
但し、石棺の天井石なのかは特定されていないそうです
伊雑宮から車で5分とも掛からない佐美長神社へと向かう
9月30日(金) 15:55
100 伊雑宮所管社 佐美長神社 (さみながじんじゃ)
ご祭神 大歳神 (おおとしのかみ)
所在地 志摩市磯部町恵利原
駐車場 なし。駐車できるスペースがありました
鶴が五十鈴まで飛び天照大御神へ稲穂を祀っていると倭姫命は思い、その鶴を五穀豊穣の神と称えこの場所に社を定めたのが由縁と伝わっている
また、境内には4社の佐美長御前神社がある
この社も神宮125社としているためカウントするみたい
101、102、103、104 伊雑宮所管社 佐御長御前神社 (さみながみまえじんじゃ)
ご祭神 佐御長御前神 (さみながみまえのかみ)
計5社の参拝を済ませ鳥羽へと向かいます
本日最後の赤崎神社に到着です
9月30日(金) 16:15
105 外宮末社 赤崎神社 (あかさきじんじゃ)
ご祭神 荒崎姫命 (あらさきひめのみこと)
所在地 鳥羽市鳥羽4丁目
駐車場 なし。路肩に辛うじて車1台が停められるスペースに停めました
毎年6月22日に赤崎祭と呼ばれる例祭が行われ、年に1度ですがこの神社は多くの参拝者で賑わい、近くの道路では100店舗以上の露店も出て、夏を前にした「浴衣まつり」とも呼ばれている。
この日は境内で御神杉が授けられ周囲の家の玄関に祀られる
そんな賑わいは全くありませんが、境内は狭いかと思いきや社殿手前はこの規模の神社としては広く、社全景が撮りやすく有難い
本日も無事に参拝出来たお礼も捧げ車に戻って時刻を確認したら16時22分。
鳥羽港からの伊勢湾フェリーは16:30発なので間に合いそうもない。最終便かな・・・なんて考えながら鳥羽港へ行ってみると係員からまだ乗船出来ると聞き、急いで2階で乗船券を購入し忙しなく乗船。
指示された位置に停めたら間髪入れずに出航!
伊勢湾フェリー鳥羽港は建物内の1階に一度駐車し、階段・エスカレーターで2階にある乗船券購入カウンターへ向かう。その際、車検証が必要となるので忘れずに。
普通車だと運転手と車両で6,690円、軽自動車は5,660円。同乗者は1名1,550円。
乗船後に売店カウンターで特別料金330円を支払うと乗船甲板2階の特別室が利用できます
この日の船内は平日とあってガラガラ(写真は伊良湖岬港到着時なので誰もおられません)。
売店カウンターでは土産品の他に軽食も販売されています
出航後55分で愛知県の伊良湖岬に到着。ここから一般道(国道42号)を使って湖西市を経て東名三ケ日ICへ。
国道42号細谷交差点を左折し国道23号豊橋東バイパスに入りば国道1号潮見バイパスへと入れば1本道で東名浜松ICに向かえるのですが、今回はあえて新東名高速方向に向かう
その目的は
新東名高速「掛川パーキングエリアで夕食をする」でありやす
掛川パーキングエリア上下線のフードコートにステーキ店が出店しているのです。
昼食をコンビニにしてしまったので、この食事がこの日一番の贅沢なのであ~る
注文は毎回同じでサイコロステーキの肉ダブル! ライス大盛無料でサラダとスープもついてくる。
シングル950円、ダブル1,598円(税込)
ステーキダイニング デンバープレミアム 08:00~22:00
ちょいと食べ過ぎ感はありますが、新東名高速で夕食をとお考えな方にお勧めです。
サービスエリアほど客は多くなくゆったりと食事できるのが良いんですわ
次の伊勢神宮125社めぐり皇大神宮(内宮)となります!
]]>9月30日(金) 13:35
092 内宮所管社 御塩殿神社 (みしおでんじんじゃ)
ご祭神 御塩殿鎮守神 (みしおどののまもりがみ)
所在地 伊勢市二見町荘
駐車場 なし。道路上のスペースに停めました
御塩殿神社周辺には塩を作る神宮御料や、野菜や果物が栽培されている神宮御園があるそうです。
塩を作る塩田等を鎮守しているのが御塩殿神社なんだそうです
神社本殿よりも建物としては大きい御塩殿
この御塩殿の裏手には御塩焼所や御塩汲入所もあり、今でも塩を作っているそうです。
塩を作るため神社は海に近いのですが雲行きが怪しく写真だけ撮って退散です
9月30日(金) 13:50
093 内宮摂社 堅田神社 (かただじんじゃ)
ご祭神 佐見都日女命 (さみつひめのみこと)
所在地 伊勢市二見町茶屋
駐車場 神社の参道に縦列で停められるスペースあり
御塩殿神社から二見浦方面へ進み伊勢市二見総合支所前を通り国道42号を渡ると住宅と住宅の間に神社らしき参道が見えたらそこが堅田神社
入口(参道)はこんな感じです
二見に来られた倭姫命に来られた時、佐見都日女命より堅塩を奉られ、その塩を愛でたことからこの地を堅田の社と定めたと伝わっている
堅田神社を参拝した所で空からは無上の雨が落ちてくる。こから先は傘の出番となりました
次は江神社なのですが、二見浦に行ってみようと今来た道へ戻り二見浦の無料駐車場に駐車・・・いやはや満車で停められず。諦めて二見興玉神社前をUターン。
すると賓日館なる建物が目に入り、ちょっと寄ってみるかと専用駐車場に停めて見学です
9月30日(金) 14:00
重要文化財 賓日館 (ひんじつかん) 伊勢市二見町茶屋566-2
開館時間:09:00~17:00、休館日:火曜日、入館料:300円、駐車場:無料
説明書には当時伊勢神宮に参拝される賓客の宿泊所として神苑会によって明治20年に建てられ、幼少時の大正天皇が来館された際は二見浦の海岸で水泳訓練をされたそうです。大正天皇以外の皇族も避暑や療養として滞在されたそうですが、明治44年に二見館(ホテル)に払い下げられ、平成11年まで貴人が来館されたのですが、二見館が閉館となったため平成15年に二見町に寄贈され現在は往時の姿を見学できる博物館となったそうです
建物は2階建てで120畳の大広間もあります
五十鈴川が朝熊付近で二方向に分かれ、二見は洲のような地形から「二水」とも呼ばれますが、あまりにも美しい景観だったので倭姫命は二度振り返えられた事から「二見」と名付けられたとも伝わっている。
館内には和紙で作られた倭姫命が草薙の剣を抱えられた作品が展示されていました。
これは阿部夫美子氏による作品で倭建命(日本武尊)が東征する際に伊勢へ訪れ、叔母である倭姫命が倭建命に草薙剣を授けるシーンを再現していると思われます
和紙で出来ているなんて思えないぐらい素晴らしい作品でした
再び車を走らせ江神社へと向かう
正覚寺前を通り過ぎた所で右へ折れ「二見町江」地区へと入る。
栄野神社手前を右に入り狭い路地に入るのですが、次の目的地である江神社の場所が全く分からず、たまたま通りかかった初老の方に声を掛けると詳しく教えて貰えた。ついでに駐車場も尋ねると車では入れないと言われ、ここに停めろと指示を受ける。
「ここに停めていいんですか?」と再度聞き「誰も来ないから構わん」と返された
車は上の写真で手前の場所に駐車しトコトコと歩く。
遠くで踏切の音が聞こえると思ったらディーゼル音を響かせながら列車が通過していった。
農道のような道を左カーブして行くと前方に神社らしき杜が見えてくる
9月30日(金) 14:30
094 内宮摂社 江神社 (えじんじゃ)
ご祭神 長口女命 (ながくちめのみこと)、大歳御祖命 (おおとしのみおやのみこと)
宇加乃御玉命 (うかのみたまのみこと)
所在地 伊勢市二見町江
駐車場 近くにはありません。近隣の方に了承をいただいて草地に停めさせていただきました
私は神気とか全く感じない方なのですが、この江神社の境内に入り、伊勢で初めて身体がゾクゾクとする感じがしたんです。
「これって何?」
言葉に現すのは難しいのですが、近くに誰かがいるような感じがしたんですわ。
倭姫命かも・・・なんて考えちゃいましたが、怖さも感じてしまい参拝を済ませ境内を出た所でその感じは解けたので心は「あぁ、よかった」と神社へ振り返り頭を深々と頭を下げて江神社をあとにした
神宮125社の中で鴨神社と並ぶ登山参拝となる神前神社に向かいます。二見町江地区より五十鈴川を渡る日の出橋を渡り住宅街から少し入ったにペット火葬場なる看板が目に入る。
そのまま進むとペット火葬場の敷地となり、神社はこの先のようですが、車を停められる場所が全く無く、火葬場を訪ねても誰もおらず、致し方なく車を後退させ駐車できるスペースに駐車させこの先は徒歩で参拝です
青いラインは車で移動し、赤いラインは徒歩
写真がちょっと斜めになっていますが、この先がペット火葬場で、神社の参道が敷地内を通っています
「失礼しま~す」と挨拶して先へ進む
参道は降った雨が小川のように流れている。。。マジっすか?
道が違うのかな?と思っていたら神宮司庁の定書き看板があり、間違えてはいないらしい
そしてここから階段が続くんです
250段近く階段が続き、かなり息が切れちゃいます
まだあるのかな・・・なんて思いながら不揃いで歩くにくい階段をまだかまだかと昇ると参道は直角に右へ曲がり、神社らしき建物が見えてくる
更に10数段上がった先に神前神社がありました
9月30日(金) 14:55
095 内宮摂社 神前神社 (こうざきじんじゃ)
ご祭神 荒前比賣命 (あらさきひめのみこと)
096 同座 許母利神社 (こもりじんじゃ)
ご祭神 粟嶋神御魂 (あわしまのかみのみたま)
097 同座 荒前神社 (あらさきじんじゃ)
ご祭神 荒前比賣命 (あらさきひめのみこと)
所在地 伊勢市二見町松下
駐車場 なし
1つの社に3神が祀られている神前神社。
小井戸口山の頂に神前神社がありますが、そもそもは海岸近くに社はありましたが浸水等で社地を失ったため、この山の頂へ移されたそうです。
倭姫命が江神社を定めた後、海岸近くで荒前比賣命が迎えられた事からこの地に神前神社を定めたそうです
登山参拝は登りが約15分。下りは約10分ちょっとなのですが、階段がずっと続くと上りよりも下りの方が足腰に負担が掛かるので参拝される際は自身に合ったペースで行きましょう!
雨による湿度で蒸し暑く車に戻って衣服を着替えて二見めぐり最後の社へ
登山参拝の次は最も参拝が難しい神社へ
私有地を通らないと参拝できない神社。それは粟皇子神社。
なんとホテルの敷地を通らないと入れないと行けないんだとか。雨が降る中、ホテルのエントランス前に車を停めて係りの方に参拝したい旨を伝えると、雨なのでこのままゲートを抜けてもらって構わないとの事。
ホテル敷地なのかわかりませんがBBQレストラン?みたいな建物があるエリアへ抜け、スマホ地図で確認して粟皇子神社へと向かう
あとから調べてみるとこのアプローチルートは神前神社より徒歩で来るルートになるらしく、車で来られた方はホテル横の遊歩道を下れば粟皇子神社へと行けるそうです
崖のような海岸線の淵を越すと砂浜の海岸が続いている。
誰もおらず夏はホテルのプライベートビーチのような感じがします
砂浜を少し歩くと右手に案内看板があり見落とさなければ粟皇子神社に辿り着けます
9月30日(金) 15:20
098 内宮摂社 粟皇子神社 (あわみこじんじゃ)
ご祭神 須佐乃乎命御玉道主命 (すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)
所在地 伊勢市二見町松下
駐車場 ホテル駐車場利用(許可を得ましょう)
倭姫命が伊勢志摩を巡られた後に立ち寄られ、天照大御神と須佐乃乎命による誓約にて生まれた女神とされる淡海子神を海岸鎮守の神として祀られたのが由縁。普通の神社ならば海に対して正面を向いているのが当たり前ですが、伊勢では海を背にしているのが面白い
参拝を終え今来た道を戻り、ホテルのエントランス前まで戻り、再度係りの方にお礼を申し上げてホテルを離れる。それにしても私有地であるホテル敷地内を通り抜けるのは驚き。
また、ホテルの係りの方の配慮も有難かった
宣伝とまではなりませんがこちらを載せておきます。
ホテルのキャッチフレーズで「海の蝶から1秒で神宮!?」は面白いです
さすがに年度末。予算達成出来るかどうかの瀬戸際であります。
また、新規事業の準備やらで毎晩残業が続き、今月の総残業時間はこのまま行くと80時間に迫る勢い。
毎年の事ですがいつも3月は忙しなく、あっと言う間に新年度を迎えるのが恒例。。。これじゃいけないんですけどね
さて、神宮125社めぐりシリーズも10回目となり、前回まで75社をめぐり残りは50社。
伊勢神宮完拝までは更にもう1回は来ないと出来そうもありません
外宮の参拝を済ませ、五十鈴川周辺の16社をめぐります
【五十鈴川めぐり 076~091】
最初は内宮別宮の月讀宮からです
ここは知る人ぞ知る稲荷神社で、何度も訪れる方が多いそうで、参道の南側と東側に大きな私設駐車場が多く、無料駐車場もあるそうですが、ほぼ有料。私が駐車したのは南参道の大きな鳥居前に停めました。
前払いで500円を支払い参道を歩く
飲食店や土産物店が軒を連ね、中でも衣服を取り扱うお店が多く、小さい店舗かと思いきや、奥行きがあって「こんな所で商売になるの?」と感じるのですが、東京・巣鴨のとげぬき地蔵商店街と雰囲気は似ているかもしれませんね
また正月明けとあって縁起物も売られておりましたよ
南門から歩くこと10分足らず(店舗等で足を止めなければ)で千代保稲荷神社に到着
境内に入ると「お揚げ(お稲荷)」と「ロウソク」を販売している。
2つで50円。こちらをお供えして願を掛けるのです
ロウソクは階段を上ぼった先にある献灯台にて行うのですが、種火が無いので他人が献灯したロウソクから譲りも貰い、既に燃え尽きたロウソクの上から献灯するシステムなんですかね?
そしてお稲荷さん(お揚げ)は本殿前の大きな盥に奉納するのがこちらの決まり?みたい
お揚げがいっぱいになると係りの方が段ボールに詰めて持ち去るのですが、それを眺めていた老夫婦から「アレってまた売っちゃうのかな?」だって(笑)
確かに奉納した油揚げを食べる方はいないと思うので、回収して再販すれば。。。
こんな考えはしないようにしよう
上は12月に訪れた時で、下は今回1月に訪れた時
時刻は09:40頃なのでまだ参拝客は少ないみたい
本殿を逆時計回りでつたって行くと重軽る石や、大量な名刺などを見て回り、もうすぐ本殿正面となる渡り廊下前で皆さん賽銭を屋根に投げているんです!
賽銭箱は定位置にあるんですけどね
説明書き等は一切無いのですが、参拝者は次から次へとこの場で立ち止まり、お賽銭を屋根目掛けて放り投げる。写真を撮っている時に中年のご婦人が放り投げ、見事屋根で止まった時は渾身のガッツポーズ
それじゃ私も、、、エイッヤー!
カラーン、コロコロ。。。私の足元に戻って来てしまった。
今年の良運は無いのか、それとも良運が戻って来るのか・・・神のみぞ、いやキツネさまのみぞ知るかな(笑)
まぁ、今年も何も起きないが正しいのだろうと戻った賽銭は投げずに賽銭箱へ
社務所にはこんな張り紙が
それはそれで致し方ないのですが、こちらの神社では御札や御守りを扱っていない。
これだけ参拝される方が多いのに・・・何とも不思議です
境内はかなり狭いのですが、キツネ様もちゃんとおられました
なんか通勤電車に乗せられているような感覚になりますがね
そして参道では数多くの飲食店で串カツが売られている。
お目当ての金ピカ店も含めほぼ準備中だったので「てっ平」さんの軒先で立ち食い。
店員から「食べられるだけ食べて~」と言われ、揚げたての串カツを頬張る。
寒い中でアツアツの串カツはめちゃくちゃウマし!最後に串を渡してお会計。1本100円也。
勿論二度漬け禁止デス
串カツ以外では長良川や揖斐川に近いとあって川魚を扱うお店も多い。
また、草餅を売る店もあって、柴又帝釈天と雰囲気がどことなく似ている
千代保稲荷神社 岐阜県海津市平田町三郷1980 駐車場はほぼ有料で1日500円
毎月晦日(末日)にお参りされる方が多く、月末日は翌朝まで賑やかなんだそうです
この後の予定は行き当たりばったりのノープラン。
こんな時はインスピレーションを働かせる・・・ポクポクポク、、、チーン
停めていた駐車場の看板に祖父江善光寺なる文字が目に入り、善光寺???
「あっ、これだ」と閃いた!
今日は「お戒壇めぐり」の梯子をしようと思いついた訳です
ナビにセットしてまずは祖父江善光寺へ
約15分程で到着
本堂は長野の善光寺と同じ造り。
正式には祖父江 善光寺東海別院
写真は載せられませんが、長野善光寺の暗闇を手探りで進むのとは少しと言うか、全く違うのが特徴。
こちらのお戒壇めぐりは、別名「極楽めぐり」と呼ばれていてご本尊下には極楽の世界が再現されている。
とても煌びやかで驚くこと間違いなし!
お戒壇めぐりは本堂にて人数を告げるとブレスレットのような蛍光札を貰い入場します。大人300円也
祖父江 善光寺東海別院 愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2 駐車場無料
祖父江善光寺の後は名神高速と東海北陸道を走り岐阜県関町へ
正式には宗休寺(そうきゅうじ)なのですが、通称で関善光寺と呼ばれています。
こちらには他には無い卍型のお戒壇めぐりがあり、何度か折り返すので長さもある珍しいお戒壇めぐりとなっている
私はこちらに訪れるのは二度目で、上は2015年に訪れた時の写真
こちらでは蛍光ステッカーを手に貼って戒壇内へと入ります。
卍の形をしているのかどうか全くわかりませんが、何度も曲がりくねった作りになっていて本堂下と思われる場所には錠前があり、こちらに触れるとご本尊と結縁されると言われています。ロープをつたって行けば誰もが錠前に触れることが出来ますよ
関善光寺 岐阜県関市西日吉町35 お戒壇めぐり 大人300円 駐車場無料
最後のお戒壇めぐり先は岐阜県谷汲
実は祖父江からだと次に向かう谷汲山華厳寺の方が近いのですが、お戒壇めぐりの旅に変えてしまったのでクライマックスはどうしても谷汲山華厳寺だなと考えたんですわ。
それは何故か?。。。ふふふそれは秘密です(笑)
こちらは2016年12月17日に訪れていますが、今回は正月明けって事で駐車場はかなり下の場所に停めざるをえませんでした。普段は山門近くで停められるのですがね
と言うわけで長い門前通りをひたすら歩かなければなりません
老夫婦の片割れ(父)は途中棄権で車に戻ってしまい、母のみが参戦です
歩き始めて15分で山門に到着。
本殿まではあと10分は歩かないといかんのです。。。遠い
あとはこの階段を昇り切れば本堂です
老夫婦代表の母は本堂で疲れが出てしまい、暫しの休憩をとり、いざお戒壇めぐりへ
谷汲山華厳寺は西国三十三ヵ所霊場の最終札所。
初詣と西国霊場めぐりの方が入り乱れていましたが、幸いにしてお戒壇めぐりに入られる方は少なく、私と母以外は誰もおりませんでしたわ
入壇料はセルフで100円を盆にのせて階段を降りる
こちらも暗闇の中を進むのですが天井から足音と喋る声が漏れてくる。
この上は何があるのか分かりませんが気になります
暫く暗闇を進むと錠前が右手に現れるのですが(もちろん見えないので手で触れて確かめる)、華厳寺の錠前は長野善光寺と比較して数十倍もの大きさなのです!
どの位かと聞かれても行ってお戒壇に入られた方のみがおわかりになりますので、まだ訪れておられない方は是非訪れて確かめてみてくださいませ
谷汲山華厳寺 岐阜県揖斐川町谷汲徳積23 駐車場有料
お口直しの旅レポをお読みいただきありがとうございます
今後の わけん 旅レポは、「伊勢神宮125社めぐり完拝」「倭姫命巡幸で伊勢へ」の夫々完レポを目指しております
]]>【大湊めぐり 071~075】
【倭姫命巡幸 16】
9月30日(金) 09:10
071 外宮摂社 河原淵神社 (かわらぶちじんじゃ)
ご祭神 澤姫命 (さわひめのみこと)
所在地 伊勢市船江
駐車場 なし。船江上社前の道路にて駐車できるスペースに停めました
河原淵神社は船江上社の境内に祀られている。
鳥居を潜ると左手には朧ヶ池(おほろがいけ)があり、昔は宮川と勢田川を結ぶ運河のような役割を持っていて船着き場があったことから船江と呼ばれる地名が名付けられたそうです
こちらが船江上社。
河原淵神社は先に伝えた志等美神社を境内に祀る上社と同じで、一度荒廃した後に再興された神社でもある
境内には稲荷社をはじめ多くの神が鎮座している。
向かって右側に河原淵神社が祀られている
国道23号を渡ると河原神社と同座する毛理神社がある
9月30日(金) 09:30
072 外宮摂社 河原神社 (かわらじんじゃ)
ご祭神 川神 (かわのかみ)
073 外宮末社 毛理神社 (もりじんじゃ) 河原神社 同座
ご祭神 木神 (きのかみ)
所在地 伊勢市御薗町新開
駐車場 なし。道路上の停められるスペースに停めました。
神社近くには参拝者の駐車お断り立札が見受けられ、神社を通り過ぎた場所に
停める事をお勧めします
ご祭神は宮川下流を守る川の神と、森の木々を守る木の神が祀られている。
シンプルなご祭神は珍しく、自然を守る神となるのでしょうか
境内の入口には掃除道具が用意されていて町内の氏子によって手入れされているみたい
志宝屋神社は、島のような大湊町へと湊橋を渡った先にある。
大きな岩や山もなく、農地と住宅があるので島とは呼べないかな
9月30日(金) 09:40
074 外宮末社 志宝屋神社 (しおやじんじゃ)
ご祭神 鹽土老翁 (しおつちのおじ)
所在地 伊勢市大湊町
駐車場 なし。広場のような空き地に停めさせていただきました
ご祭神は塩業や海で仕事する者達の守護神として祀られている。
また、安産の神として参拝される方もおられるそうです
どの神社へも車の往来は少なく信号も無いため次の神社まで5分とも掛からないのは有難い。
9月30日(金) 09:50
075 外宮摂社 御食神社 (みけじんじゃ)
ご祭神 水戸御饗都神 (みなとのみけつかみ)
所在地 伊勢市神社港
駐車場 なし。防波堤に近い道に駐車できるスペースに停めました
この地は古くから港として栄え、ここより伊勢神宮に海産物が揚げられ、御料を調達する御食の神を祀られてきた。祭神の水戸(みなと)とは水の入り組んだ港の意味
【倭姫命巡幸 16】
倭姫命世記によると鷲取の翁が倭姫命に清水を奉った功績を讃えて創建されたと記されている。
下の写真は「辰の井」と呼ばれ、鷲取の翁が倭姫命に清水を奉ったとされる井戸と伝えられている
防波堤の外へ行くと往時から続く港が今でも残っている
本来なら五十鈴川めぐりへと向かいたいのですが、実は前回の外宮で忘れ物と言いますか、
参拝していない社が1つ残っており、行かないと完全参拝とならないので再度参拝となってしまいました
9月30日(金) 10:20
外宮 豊受大神宮
前回は早朝とあって参拝者も少なかったのですが、今は10時過ぎとあって多くの参拝者がおられました。
そしてこの時間だからこそ訪れる事が可能となったせんぐう館を見学。
館内は撮影禁止なのでお伝え出来ませんが、遷宮による本殿の実物大レプリカながらも近づけるのは嬉しい。ゆっくり出来ない制約もあって10数分で出てきてしまった。次回はゆっくり見たいな。。。
豊受大神宮は参拝しないとね
そしてこちらが忘れ物。
9月25日から始めた「伊勢神宮125社めぐり 1」 にて005番として紹介した下御井神社(しもみいのじんじゃ)は、実は9月30日に訪れた写真を載せておりました。
早朝の雨で砂や砂利の色に違いがありますが気付かれた方はいないと思います。。。たぶん(汗)
次は「五十鈴川めぐり」となりますが、ゆっくりと空の雲が厚みを帯びて来ています。
やはり天気予報は当たっているみたいです。
もうちょっと持ってくれれば良いのですが・・・
前回の9月25日から始めた「伊勢神宮125社めぐり」 。
そもそもは倭姫命巡幸を辿る旅として始め、倭姫命の名が残された遷宮地(元伊勢)を巡り、最後に辿り着く内宮へ行くのが目的だったんですけど、伊勢神宮は周辺にある125社全てを指すのだと知り、ならば全てを参拝しなきゃと考えたのが始まりなのです
始めたら行き着く所まで行かないと気持ちを満たせない性格。
この性分を治せる薬は無いって事でまた出掛けちゃいました。それも5日後に(笑)
30日の金曜日は振替休日だったので、前夜29日(木)の夜に出発です
新東名は走り易いんですけど愛知県に入ると防音壁とトンネル、それと街の灯りが少なく1人だと何故か寂しさを感じるんです。これって私だけなんですかね
21:00前に自宅→東名→新東名→伊勢湾岸道→東名阪→伊勢道→紀勢道を走る
休憩が多いと寝る時間が減ってしまうので、仮眠場所に選んだ紀勢道の奥伊勢PAまでは亀山PAの1回のみ
01:30頃に到着し4時間ほど眠る
テレビの天気予報で午前は晴れるが午後から雨が降るらしい・・・
雨は好かないなぁ
たっぷりとは眠れませんでしたが、約4時間半程の仮眠と軽めの朝食を済ませ、奥伊勢PA(夜間は施設が閉店しているので亀山PAで購入した朝食をとる)を06:00頃に発し大宮大台ICで降りる。
ここは8月に瀧原宮へ来た時に降りたICであります
神宮125社には瀧原宮も含まれているのですが、7月30日に訪ねているので参拝済として今回はパス。
詳しい記事は「倭姫命巡幸 11」をご覧ください
【瀧原めぐり ② 060 ( ① 7月30日 055~059)】?
【小俣めぐり 061~070】?
【倭姫命巡幸 15】?
上左写真の右側が瀧原宮、その隣が瀧原竝宮
右写真の手前が長由介神社、その奥が若宮神社となります
参拝の順番は紹介した順序が正しい参拝
055 内宮別宮 瀧原宮 (たきはらのみや)
ご祭神 皇大御神御魂 (すめおおかみのみたま)
所在地 大紀町滝原
駐車場 宮の入り口に数台。道の駅は大駐車場があります
056 内宮別宮 瀧原竝宮 (たきはらのならびのみや)
ご祭神 皇大御神御魂 (するおおかみのみたま)
057 瀧原宮所管社 若宮神社 (わかみやじんじゃ)
ご祭神 若宮神 (わかみやのかみ)
058 瀧原宮所管社 長由介神社 (ながゆけじんじゃ)
ご祭神 長由介神 (ながゆけのかみ)
059 ?瀧原宮所管社 川島神社 (かわしまじんじゃ)
ご祭神 川島神 (かわしまのかみ)
※059 川島神社は「058 長由介神社と同座」
大宮大台ICを降りて右へ曲がれば瀧原宮。多岐原神社は左に曲がり、最初の交差点を右折。
1本道を走り続けると高速道路の高架下をくぐり、民家が見えて少し行くと左へ入る道がある。
小さいながらも神社の案内板が見えてくる
下り坂を50mほど行くと右手に入る道があって、こちらが神社へと続く道。
確か案内板は無かったような・・・
畑作業用のスペースに駐車して本日最初の参拝です
9月30日(金) 06:15?
060 内宮摂社 多岐原神社 (たきはらじんじゃ)
ご祭神 真奈胡神 (まなこのかみ)
所在地 大紀町三瀬川
駐車場 なし。神社手前まで入れる道は軽自動車でやっとの幅です。?
鬱蒼とした杜の中に多岐原神社がある。早朝のせいかとても静寂で神を近くに感じる雰囲気な社。
倭姫命巡幸で宮川を上り川砂をも流す急流で渡れず困っていたところに地元の真奈胡神が浅瀬へと案内してくれた場所にこの神社を定めたと伝わっている
樹齢数百年はあろうかと思われる大木があって、とても神秘的な気持ちにさせられ、けがれた心をも全て消し去ってくれるような気がする
今日の伊勢神宮125社巡りの安全も一緒に祈りを捧げ、多岐原神社をあとにした
再び大宮大台ICから伊勢方面へと向かい、玉城ICへと車を進める。
伊勢神宮125社巡りはガイドブックにて13エリアに分かれている。
個人にて好きなエリアを選んでめぐるのですが、外宮→内宮の正式な参拝ルートは守りたいので、初回は外宮で最後が内宮になるよう自身で計画を立てる。でもかなり無計画な回り方をしたので、今後やってみようと思われる方にはあくまでも参考程度にしてくださいませ
初日(9月25日)は外宮めぐり、宮川めぐり、外城田めぐり、田丸めぐり、機殿・斎宮めぐりの5エリア
今日(9月30日)は瀧原めぐり、小俣めぐり、大湊めぐり、五十鈴川めぐり、二見めぐりの5エリアを予定。
時間があれば磯部めぐり、鳥羽めぐりにも行きたいのですが、内宮めぐりもあるので無理は禁物です
玉城ICを降りて宮川駅方面へと向かい小俣めぐりを始める
9月30日(金) 07:30?
061 内宮摂社 湯田神社 (ゆたじんじゃ)
ご祭神 大歳御祖命 (おおとしのみおやのみこと)、御前神 (みまえのかみ)
所在地 伊勢市小俣町湯田
駐車場 数台駐車できるスペースあり
湯田とは斎田(神田の意味)から来ていて、かつてこの周辺は神宮の神田だったそうです。
かつては社殿が2つあったそうですが室町時代に一旦廃し、江戸時代になって復興されましたが一殿のみとなったと言い伝えられている
湯田神社から小俣神社へと向かう。
平日とあって道は職場へ急ぐ車が多く、学校付近の道路は通学路となり規制がちらほら。
それでも10分ほどで小俣神社に到着。
「おまた」?ではなく「おばた」と読むそうです
9月30日(木) 07:50?
062 外宮摂社 小俣神社 (おばたじんじゃ)
ご祭神 宇賀御魂神 (うかのみたまのかみ)
所在地 伊勢市小俣町元町
駐車場 なし。駐車可能な路側帯に停めました
伊勢神宮125社にしては珍しいな・・・とお参りしたら八柱神社でありました。
小俣神社とは隣り合っていて、入口は八柱神社の向かって左側(下の写真では奥が小俣神社)
まずは八柱神社にいて
八柱とは字の如く八つの神が祀られている。
天之忍穂耳命、天之菩卑命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須昆命、多紀理昆売命、市島比売命、多岐都比売命
本殿は伊勢神宮と同じ神明造り?
杜の中を歩けば小俣神社へ行けそうですが、ちゃんと表より入らないとダメだなと回り込んで小俣神社へ
宮川の外側で外宮摂社として唯一の社。
地元では「いなべの杜」「稲女」と呼ばれ五穀豊穣の守り神とされている?
小俣神社から宮川を渡り外宮の杜が見え隠れする辻久留地区へと向かう。
ここは上社(かみのやしろ)と呼ばれる境内に志等美神社、大河内神社、打懸神社の3社が祀られている
9月30日(木) 08:05
志等美神社、大河内神社、打懸神社は古くから祀られていたが戦国時代に荒廃し、その後に民が地元の守護神として産土神(うぶすなかみ)を祀り再興。また、伊勢神宮の神も境内に祀られたと伝わっている。
二の鳥居を入って直ぐ右手に神宮の3社が見えてくる。
二の鳥居から入って手前が打懸神社。奥が志等美神社と大河内神社?
063 外宮末社 打懸神社 (うちかけじんじゃ)
ご祭神 打懸名神 (うちかけみょうじん)
打懸の「懸」とは懸税(かけちから)から来ていて五穀豊穣の守護神。
因みに「懸税」とは神嘗祭(かんなめさい)で初穂の束を瑞垣御柱や鳥居に懸ける事を指します
向かって左側が志等美神社、右側が大河内神社?
064 外宮摂社 志等美神社 (しとみじんじゃ)
ご祭神 久久能智神 (くくのちのかみ)
065 外宮摂社 大河内神社 (おおこうちじんじゃ)
ご祭神 大山祇神 (おおやまづみのかみ)
志等美神社は木の神で宮川堤の守護神と言われている。
同じ瑞垣内にある大河内神社も宮川堤を守る神として祀られています?
こちらは上社の社殿。
明治41年に辻久留、中島、二俣、浦口の4町の神社を合祀された。
主祭神は志等美、大河内、打懸と同じで、境内には稲荷神社や北野天満宮別宮(上天神)、櫛玉宮、内宮・外宮遥拝所、橿原神宮遥拝所と数多く神が祀られている。
中でも樹齢1000年以上と言われている牛頭夫婦楠の巨木が素晴らしい?
上社 (かみやしろ)
所在地 伊勢市辻久留1-13-6
駐車場 あり
上社の参拝を済ませ大間国生神社、草奈伎神社へと向かう。車で5分も掛からずに着く
上の地図にて大間国生神社と記されている社に2社が祀られている
9月30日(金) 08:25?
066 外宮摂社 大間国生神社 (おおまくになりじんじゃ)
ご祭神 大若子命 (おおわかこのみこと)、乙若子命 (おとわかこのみこと)
067 外宮摂社 草奈伎神社 (くさなぎじんじゃ)
ご祭神 御剣仗神 (みしるしのつるぎのかみ)
所在地 伊勢市常盤
駐車場 なし。通行の邪魔にならない所に停めました
入口を入ると城造りと似た鍵の字になっていて、その先に境内がある。
右手に大間国生神社、左手が草奈伎神社が並んでいる
大間国生神社?
板垣の中に2つの社がある。
右奥が大間社で大若命を祀り、左手前が国生社で乙若子命を祀る。
2社共に伊勢の国造りあった天日別命(あめのひわけのみこと)の子孫とされている
遷宮の真っ最中である草奈伎神社?
工事中につき近寄ることは出来なかったが、遷宮工事中は隣の大間国生神社にて同座されている。
草奈伎神社は外宮一位の摂社で、大若子命が垂仁天皇(すいにんてんのう:第11代天皇で倭姫命の父)?の勅令により標剣杖(みしるしのつるぎ)を賜り、越の国(現代では福井県敦賀から山形県の庄内までを指す)の阿彦(あびこ)を平定しに行く際、御神威があった剣を祀られたと伝えられている。
また、別の伝えでは倭姫命が日本武尊へ授けた草薙の剣をこの社にて祀っていたとも。。。どちらも言い伝えで定かではない
しかし上の写真にあるユンボが神だとしたら剣よりも強いと思われる(笑)
100mも離れていない場所に次の清野井庭神社がある
9月30日(金) 08:35
068 外宮摂社 清野井庭神社 (きよのいばじんじゃ)
ご祭神 草野姫命 (かやのひめのみこと)
所在地 伊勢市常盤
駐車場 なし。駐車可能な場所に停めました
街の中にポツンとある神社でした。
この付近の灌漑用水の神を祀っているそうです
小俣めぐりはあと2社のみ。この清野井庭神社からJR参宮線と近鉄山田線の踏切を渡り、国道23号方面に向かった住宅街に宇須乃野神社と縣神社がある。
神社に近付くと巨木が目に入り、ここが神社だと知らせてくれる。
なんかトトロの森のような雰囲気です
9月30日(金) 08:45
069 外宮摂社 宇須乃野神社 (うすののじんじゃ)
ご祭神 宇須乃女命 (うすのめのみこと)
所在地 伊勢市御薗高向
駐車場 なし。駐車可能な場所を選んで停めました。カーブミラー先の車が駐車した場所?
070 外宮末社 縣神社 (あがたじんじゃ)
ご祭神 縣神 (あがたのかみ)
所在地 宇須乃野神社 同座
宇須乃野神社は五穀の霊神で、縣神社は地元の守護神として祀られ、どちらも五穀豊穣を祈る神とされている。
また、神社の目印となっている楠の巨木は樹齢1000年以上で、幹の太さは5~7m以上はあるかもしれない。
この巨木に手を触れて1000年の歴史を肌に触れました
瀧原めぐり(多岐原神社)と、小俣めぐりの11社をめぐり、次は大湊めぐり。
宮川河口から宇治山田港と海に近いところをめぐります
【斎宮めぐり 037~054】
【倭姫命巡幸 15】
当初、倭姫命巡幸レポとして書き残していた記事だったのですが、内容が中途半端だったので保存していたのを引っ張り出し「伊勢神宮125社めぐり 7」 として書き直しました。
よってレポの写真は7月と9月が入り乱れておりますが、気にせずお読みください。
倭姫命巡幸も飯野高宮を後にし、佐々牟江宮に向い三重県明和町にやって来ました。
櫛田を抜けて旧伊勢街道を走っていたら「←斎宮駅」とあったので立寄ってみると近鉄の駅。
特急列車が何本も通過しているのを眺めていたら、あっ!ここだここだ!と気付いてしまう
そもそも倭姫命巡幸の旅をする切欠となったテレビ番組「斎王~幻の宮の皇女」にて女優が紹介していた『さいくう平安の杜』を見付けてしまったんです
空腹が一気に消え、華麗なる早業で車に乗り込み、竹神社を右折し、さいくう平安の杜へ
竹神社がある交差点を左折し踏切を渡った先にある駐車場に駐車させ見学です
さいくう平安の杜
2015年にオープンした「さいくう平安の杜」。
近鉄斎宮駅周辺は、天皇の御杖代として選ばれた皇女が斎王となり、都から遠く離れた伊勢へと移り、
日々を天照大神に祈られた。
但し、斎王は伊勢神宮近辺には住まわず、ここ明和町の周辺に宮を造り、ここで日々を過ごされ、行事等がある度に伊勢へと向われたと伝えられている
斎宮の名は伝えられてはいたが、正確な場所を特定出来ていなかったのを発掘等の長年に及ぶ調査によって、段々とわかるようになって来たそうだ
遺跡跡は公園に整備され、斎宮の伊勢寄りとなる東側に、当時のスケールを再現した建物があり、ボランティアの方によって説明してくれる
先日、レポでお伝えした『伊勢うどん』は、いつきのみや歴史体験館の斜向かいにある「いつき茶屋」にて食しました。
確か、400円だったと思います(下の施設が「いつき茶屋」)
いつきのみや歴史体験館には見学しませんでしたが、その裏手には当時の斎宮を再現したミニチュアがあり、とても広い敷地だった事が見てとれます
歴史体験館から500m程北に向った所には斎王宮址が史跡として残され、案内看板に神宮司庁とあるから管理者は伊勢神宮みたい
こちらは少し離れていますが第43代斎王で在位4年で亡くなられた醍醐天皇の孫にあたる隆子女王の墓地。
所管は宮内庁
倭姫命の歴史が覗けるかなと期待し斎宮歴史博物館にも訪れてみた
館内は斎王としての記録や貴重な品がメインで展示され、
歴代斎王は記録が残っているのと伝説的な者を含め74名の斎王が存在していた。
時代的には紀元前から始められ、途中400年の空白も含め鎌倉時代に至るまで続けられていたそうです。
その伝説的な斎王として最初に伊勢へ訪れたのは倭姫命とされています
伊勢神宮は天照大神を祀り、天皇のための神社とされ、天皇ご本人が参拝される事は無い(非常に少ない)。
斎王が天皇に代わって天照大神を祀っておられた斎王が天皇や民に災いが起きないよう願っていた。
よって伊勢神宮とは本来、私達の願い事を叶えるための神社で無い事は明らかで、個人の願いよりも民が平和で今日まで無事に過ごせている御礼を申し上げるのが正式なんだそうですよ
天皇が訪れなくとも皇室と伊勢神宮は今でも繋がっている。
それは祭主が皇室の王女が担っている事を知っておられますよね。
それは今上天皇の姉にあたる池田厚子さまが現在の祭主で、体調を崩されたりされると黒田清子さま(今上天皇の長女)が臨時祭主となられた事もある。
斎王制度は無くなってはいますが、現皇室としては明治天皇皇女である北白川房子さまから皇女等によって続けられていることになるんです
そうそう、云い忘れておりましたが、私達日本人は全て天皇の子供と位置付けられています。
だから天皇陛下を目前にすると自然と頭を下げてしまうのは、父として尊敬の念を抱いているからなのですね。
ですから伊勢神宮にお参りされ、御正宮でお祈りされるのは・・・
父である天皇陛下がお健やかでありますように。
そして私達民を見守って下さい。
となるんです
震災や災害が起きる度に父である天皇陛下が現地へ訪れるのは、子等が心配だからとなるんですね。
その変わりとして昭和天皇のご病状が優れない時に派手なイベントは中止(一部ではそこまでしなくともと云われてました)され、崩御された時は特に両親や祖父母世代の方達は悲しみに包まれ、皇居の記帳台は人が絶えなかったのを覚えています。
先日、タイ王国のプミポン国王がお亡くなりになった際、私は昭和天皇を思い出してしまいました
ちょっと宗教臭くなってしまいましたが、あくまでも私見であって、これを読まれる皆さんにもとは考えておりません
さてさて
伊勢神宮125社に話題を変えましょう。
斎宮から近い場所に2つの大きな神社があり、その2つを一気にお伝えいたします
037 内宮所管社 神麻続機殿神社 (かんおみはたどのじんじゃ) 別称「上機殿」
ご祭神 神麻続機殿鎮守神 (かんおみはたどののまもりのかみ)
所在地 三重県松坂市井口中町
駐車場 なし。かなり手前の道路に駐車しました
所管社だけに境内はとても広く社務所らしき建物もあります
左の建物が神麻続機殿神社で、右は八尋殿。手前の鳥居は八尋殿正面のため、最初は右手から参拝をしてしまいましたわ。
038、039、040、041、042、043、044、045 神麻続機殿神社末社八所
こちらには末社が8社があり、本殿の左右に2社、左手に2社、右手に4社があり計8社。
一気に9社も参拝って、、、宇宙戦艦ヤマトならばワープしちゃった感じです。。。失敬
上機殿より2.5km北へ向かうと神服織機殿神社、別称「下機殿」がある
046 内宮所管社 神服織機殿神社 (かんはとりはたどのじんじゃ)
ご祭神 神服織機殿鎮守神 (かんはとりはたどののまもりのかみ)
所在地 松阪市大垣内町
駐車場 なし。こちらもかなり手前の道路上に駐車しました
こちらも上機殿と同じく鳥居の正面は八尋殿で、本殿は左側となる
八尋殿
春と秋にこの八尋殿内で巫女が神へ供える服を作る場所。
神御衣祭(かんみそさい)に備えて絹と麻が手織りされているそうです
本殿。
両脇には末社八社が見えます
047、048、049、050、051、052、053、054 神服織機殿神社末社八所
末社八所の1つを間近で撮影。
ミニチュア版の伊勢神宮という感じ。
それにしても1所だけ向きが違うのは何か意味があるのでしょうかねぇ
斎宮を最初に訪れたのは7月で、この後は伊蘓宮、瀧原宮へと向かいました。
二度目の9月は、この2社をめぐった後は亀山に立ち寄って自宅へと帰っています。
斎宮は二度とも良い天気に恵まれたので写真だと見分けがつかない位でありました
それにしても2社をめぐって18社と数を重ね、54/125と全体の4割を巡り終えました
]]>坂手国生神社までの道程は下の地図の通り
JR参宮線と並行する道を走り、この辺かな?と左折し少し坂を上がった左手に神社がありました
参道が始まる場所の前に軽自動車1台がやっと駐車できるスペースのみで、普通車だったらかなり先か手前に停めないと苦しいかもしれませんね
緩やかな上り坂の参道を歩くと社が見えてきます
立ち止まって写真を撮ろうとすると「プーン」と藪蚊の飛ぶ音が聞こえ、無意識に顔の周りをタオルで払って追っ払うのですが、彼等は大群となって襲い掛かって来るんです!
禁殺生・・・落ち着いて参拝も出来ないのが悲しいっす
登山みたいな参拝だった鴨神社で汗をかいたのが藪蚊を呼ぶ原因だと思い、コンビニへ再度立ち寄って虫除けスプレーを2つ購入。そしてバッグに入れて来た服に着替えようと確認したら入れ忘れた事に気づく。
なんて大間抜けなんだろう。。。再度コンビニへ入り近くの洋服店を聞き出す
店員から「ファッションセンターしまむら」の情報をゲット。
すぐにカーナビで設定し車を走らせる
「長更」という交差点で信号待ちをしていたら、交差点の先より自転車に乗ったご老人がフラフラ~と近付き、信号の電柱に手を掛けようとした瞬間によろめいて田圃の中に姿を消した。
「あっ!」と車を飛び出して一目散に交差点を渡ったら、ご老人は泥だらけ状態で田圃の中でもがいている
私と同じく信号待ちをしていた方々と一緒にご老人の手を取って引き上げたが、怪我もされておらず大丈夫との事。助けた者を含め全員が泥まみれ。。。自然と笑いが起き始めるが、ご老人はいたたまれずに全身泥まみれのまま自転車で走り出す。今来た道をヨロヨロした格好で自転車を走らせるのだが、ご老人の服からボタ、ボタと泥が落ち、また皆で笑いが起きる。
ちょっとしたハプニングでしたが、助けた者同士で顔を見合わせ笑顔で会釈をしその場を立ち去るのでした
「しまむら」のトイレを借りて手を洗い、着替えを購入し再スタートです
033 内宮 末社 鴨下神社 (かもしもじんじゃ)
ご祭神 石己呂和居命 (いしころわけのみこと)、鴨比古命 (かもひこのみこと)、
鴨比賣命 (かもひめのみこと)
所在地 三重県玉城町勝田
駐車場 なし。道路上で交差可能なスペースに駐車
周囲はブドウ畑に囲まれた一角にあり、登山参拝の鴨神社に対し、山裾にあるこちらを「鴨下」と呼ばれている。地元では水利灌漑の守護神とされている
この後は奈良波良神社となるのですが、探せど探せど見つからず、何処だ?とカーナビで周囲を探す。
すると車を停めた右奥へ入る小さな道があり、その道を降りていくと目的の神社が現れる。
資材置き場っぽい仮囲いがされた場所を下るような細い道。。。訪れた方々も迷ったのでは?
倭姫命巡幸 14-1
034 内宮摂社 奈良波良神社 (ならはらじんじゃ)
ご祭神 奈良原比女命 (ならはらひめのみこと)
所在地 三重県玉城町宮古
駐車場 なし。ほぼ車が往来しないので駐車は問題なし
楢の木の原野であったこの辺りの産土神で、倭姫命が定めた社と伝えられている
小社神社へ向けて車を走らせ5分程で、あれだなと直ぐに気づく
倭姫命巡幸 14-2
035 内宮末社 小社神社 (おごそじんじゃ)
ご祭神 高水上命 (たかみなかみのみこと)
所在地 三重県玉城町小社曽根
駐車場 なし。社へと向かう道で駐車させていただきました
ご祭神は坂手国生神社と同じ高水上命。
こちらも倭姫命が定められた社と伝わっている
外から見て田圃の一角にある社。
以前も書きましたがこのような社を構える神社って伊勢にしか無いかもしれない。
暑い日差しから一歩杜に入ると幾分の涼しさを得られる
JR参宮線の踏切を渡り、外城田川を渡った先に狭田国生神社が見える。
周囲は民家があって町中の神社ってな感じがします
倭姫命巡幸 14-3
036 内宮摂社 狭田国生神社 (さたくなりじんじゃ)
ご祭神 速川比古命 (はやかわひこのみこと)、速川比女命 (はやかわひめのみこと)、
山末御魂 (やますえのみたま)
所在地 三重県玉城町佐田
駐車場 なし。市街地にあり駐車可能なスペースに停めました
ご祭神は外城田川の神である速川比古命と速川比女命、そして土地の守り神である山末御魂。
倭姫命世記では倭姫命が外城田川を上られた際、速川比古命が現れ神田を献上したことから「速河狭田社」と名付けられたのが起源だそうです
倭姫命は伊蘓宮(いそのみや:「倭姫命巡幸 10」参照) より舟に乗り、外城田川・宮川を上り瀧原へと向かう際、ここ田丸と外城田付近も立ち寄られたとされている。
行く先々で命達が現れ、道案内や神田(しんでん)を献上するのは、やはり武力によってこの地を治めていたのかもしれませんね
田丸には城跡があり、伊勢を所領していた北畠氏の居城。
その後、田丸氏と変え織田氏によって滅ぼされ織田、蒲生、紀州徳川、久野と城主を変え、明治維新まで至る。現在は外堀や石垣が残されていて城内は玉城中学校となっている
田丸エリア5社を巡り終え、次は斎宮エリアと向かいます
]]>先日の続きで2016年11月18日の旅レポ最終回です。
舞鶴でカニ購入後、まずは舞鶴若狭自動車道の舞鶴東ICから若狭上中ICを目指す。
その後は国道303号で琵琶湖畔の近江今津に向かうのですが、時刻は11:25。
近江今津には遅くとも13:00までにはたどり着きたいのですが、距離にして約75kmを片側1車線の高速道路と一般道を走って1時間半で間に合うのか?
そんな急いだつもりは無かったのですが、12:45に高島市の近江今津に到着
目的地は竹生島。
一度は訪れてみたいと思っていたのが本日叶いました~
竹生島への渡航は東岸の長浜・彦根からと、西岸の近江今津が主ルートみたいです
こちらは今津港。
駐車場は乗船ターミナルより少し離れていましたが、無料で停められるのは嬉しい。
1階に乗船券売場と売店があり、2階は食堂のようでした。
食堂が混みあっているみたいなので斜向かいにある蕎麦店で昼食を済ませる
乗船する便は13:10発で本日の最終便。
それでも竹生島には75分間滞在できるみたいなので、島内をゆっくり回れそうです
大きな船なのかと思ったら小さめのクルーズ船。
私を含めて20名程が乗船し出発です。船越しに見えるのが竹生島かな
出航から20分ちょっとで竹生島が見えてくる。
こじんまりとした島なんですね
平日だからか竹生島港は閑散としていました
土産物店が連なる道を少し歩けば拝観口
拝観券は自販機で大人400円を支払って左の階段を昇ります
どのルートを辿れば良いのかわからずも、最初の分岐点となる道を右へ折れると、
重要文化財の舟廊下を真下から見上げられる
その先は竹生島神社。都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)とも書くみたいですが、HPを確認すると「竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)」が社名らしい
国宝 竹生島神社 本殿
伏見城から移築したとも言われているが、豊臣氏と関係深い神社だそうだ
本殿向かいには竜神排所があり、御朱印はこちらでお願いできる
こちらでは「かわらけ投げ」ができるそうですが、遠慮しておきました。
まず投げて的に入った事がないのでね(笑)
本殿へ戻り参拝後は舟廊下を渡ります
この廊下は豊臣軍が朝鮮出兵した際のご座船に使われていた船櫓を利用したそうです
この廊下を渡ると重要文化財の観音堂。
竹生島神社と一緒に宝巖寺があり、神仏融合時代が残っていました
宝巖寺(ほうごんじ)
こちらは西国三十三観音霊場の第30番札所でもあります
観音堂は平成25年より修復工事がされていて完成は来年の平成30年12月までは仮囲いがされている。
こちらでは国宝 唐門があるのですが、一部(扉)だけのみ見ることが可能
観音堂から本堂まではもう少し階段を昇ります
昇り切った所で振り返ると・・・
竹生島港が見えるのですが、逆光で琵琶湖もちょっと霞んでしまいましたわ
こちらが本堂
ご本尊は秘仏「弁財天」で60年に1度の御開帳。次回は2037年、、、20年近くは待たないといけません
本堂の前には鎌倉時代に造られた重要文化財の石造五重塔がある。
また、本堂前に納札場があって2種の朱印がいただけます。
「どちらにされますか?」と聞かれ、西国三十番は次回のお楽しみとし、弁財天さまのみをいただきました
渡航時間のズレなのかわかりませんが、段々と参拝者が少なくなり境内はかなり静まり、寺院らしい雰囲気になったと思っていたら、次の船が到着したら白装束姿の諸先輩方々が波のようにゾロゾロと階段を昇られて来て、一気に賑やかな境内へ大変身。札所巡りの団体さんみたいでした
約1時間ほど島内を巡り帰りの今津港行に乗り込むと10名も満たない乗船客。
もしかして大半は長浜方面に行かれたんでしょうかねぇ
15:20 定刻通り今津港に到着。
そろそろ帰路につくかと地図を眺め、北陸道木之本IC付近を見ていたら「木之本地蔵院」なる文字を見つけ、16:00頃には着けるかな?と考えながら車を走らせる
浄信寺(じょうしんじ) 木之本地蔵院
地蔵院の前を北國街道が通り、地蔵院周辺が旧宿場町だったそうな
浄信寺の歴史は古く創建は7世紀後半。ご本尊は秘仏だそうです
本堂の奥にも建物があるので向かってみると、お戒壇巡りがあり入ってみました。
入って直ぐに銅鑼があり、入壇する際は鳴らすみたい。
どう見ても私一人だけでしたが、一応鳴らしてみるかと叩くと、かなり大きな銅鑼の音に驚く。
手加減しないといけませんね
戒壇内は長野善光寺と同じように暗黒の闇の中。手探りで錠前を探し願いを込める
陽が傾いたところでこの旅を終える
北國街道を北へ少し向かうと古い酒店があり、土産にでも購入していくかなと入ってみる。
店名は「山路酒造」。とても丁寧な対応をされる女将さんと少しお話をさせていただくと、創業は1532年で500年近く歴史があり、日本でも5番目に古い酒蔵なんだそうです。
桑酒なる珍しいお酒もありましたが、純米酒1本を購入。
店舗のガラス戸も古く、建物全てが文化財のようなお店でありましたわ
北陸道なら直ぐに高速道路へ入れるのですが、今日は平日とあって自宅近くのICでは深夜0:00以降の到着が望ましい(深夜割引適用)ため、名神高速の関ケ原ICまでは一般道で向かう。
途中で給油をしていざ高速道路を東へ
午前0時を過ぎて東名高速を降り無事に自宅へ到着。
11月17日(木)の17時前に出発し、19日(土)の0時過ぎまで約31時間を要する超日帰りドライブ。
運転好きな方以外は決してお勧めいたしませんが、当の本人はとても有意義な1日でありました。
残燃料の読み間違えやETCエラー、職務質問等もありましたが、京都の元伊勢や・滋賀竹生島をめぐる旅の走行距離は1189.3km也。
土曜日は1日中睡眠に明け暮れ、日曜日は休日出勤だったような・・・
皆様あけましておめでとうございます(節分も終わっちゃいましたね)
昨年から今まで更新もせず怠けておりましたが、やっと更新再開をいたします
この間に起きた出来事としてPCが壊れる大事件が発生し、一度修理をしたものの再び動かなくなる事象に見舞われ、仕方なく新しいPCを購入したらWindows10なる新兵器に戸惑い、デスクトップの大画面からノートに変えた事で画面が小さくなり更に更新が遠のいてしまった次第
別でモニターを購入したり、外部HDを購入したり、Windows10をマスターしたり、数週間の海外出張したり・・・
まぁ、はっきり言ってサボっていたんですが、お出掛けはサボりませんでしたよ。
この間に岐阜へ2回、奈良に1回、関東周辺を数回ほど出掛けておりますが、更新スピードを上げないとお伝えする記事がどんどんと賞味期限切れを起こしそうです(笑)
それでは前回からの続きとなっていましたレポをお伝えします。
日付は2016年11月18日となります
元伊勢外宮 豊受大神社
元伊勢内宮 皇大神社 ・ 天岩戸神社
京都(丹後)には元伊勢と称する神社が、籠神社以外にもあるんです。
場所は宮津から府道9号で普甲峠を越え福知山市に入った大江町には、内宮と外宮と称する神社があると倭姫命巡幸で知り向ってみることにした
府道9号は宮津街道と呼ばれ古代より道があったと伝えられている。
京や奈良から籠神社へ向う道は、この宮津街道を通っていたと思われます
伊勢神宮と同じく内宮(皇大神社)と外宮(豊受大神社)があるのだから、最初は外宮からがしきたりかなと思い、まずは豊受大神社へ
宮津からだと先に内宮(皇大神社)があり、一旦通過しちゃいます
府道9号の普甲峠はカーブの連続で運転は注意が必要です
まだネット地図でも更新されていない10月30日に与謝天橋立IC~京丹後大宮IC間の4.3kmが開通した山陰近畿自動車道(正確には国道312号となりますけどね)。既に開通している与謝天橋立IC~宮津天橋立ICを含め通行料無料開放されている。
1区間だけですが利用してみると宮津天橋立IC手前にはETC料金所があってインター出口では通常の料金所がある造りとなっている。昨夜のETCエラーが気になりながらも無事に通過(料金は「0円」です)できました
鉄道だと京都丹後鉄道に『大江山口内宮』という駅があり、内宮と称する「皇大神社」の最寄駅。
また、大江高校前駅近くには外宮と称する「豊受大神社」の最寄駅。
どちらも徒歩10分程で行けそうな距離にあます
途中には内宮、猿田彦公園、五十鈴川、宮川もあって、伊勢神宮そのものです
さっきまで晴れていたのに普甲峠を越えたら深い霧に包まれてしまいました
外宮と内宮を地図で示すとこんな感じ
09:20 元伊勢外宮 豊受大神社 (とゆけだいじんじゃ)
社務所手前にあるスペースが駐車場に駐車して参拝。
ご朱印は写真にある社務所にてお願いが出来ますが、ほぼスタンプでございました
110段の階段を上がります
階段を上りきり左手に折れると珍しい黒木鳥居がある。
黒木鳥居(くろきとりい)は樹皮そのままで建てられている鳥居で、京都嵯峨野の野宮神社(ののみやじんじゃ)が有名かもしれませんが、そもそも野宮神社は天皇の御杖代として選ばれた斎王が最初に禊をされた地。
原始的な黒木鳥居は、古代で最もポピュラーな鳥居であったと伝えられていますが、現在では石材やコンクリートが主流になっていますね
ご祭神は豊受大神(とようけおおかみ)で、伊勢の外宮と同じ神を祀っている。
豊受大神は農耕の神で、天照大神へ食を提供する存在なのは伊勢神宮外宮や籠神社でも説明済みなので省きます
社殿左右には多賀宮や土之神が祀られ、摂社が社殿を囲むように配置されている
こちらの豊受大神社の由緒では豊鍬入姫命が笠縫邑より天照大神を吉佐宮に遷宮させた地がこの豊受大神社なんだそうです。どこが本当の吉佐宮なのかと言うと正解は無く、古文書含め残されていない。
よって籠神社を含め「この地が・・・」となってしまうんです
元伊勢外宮 豊受大神社
所在地 京都府福知山市大江町天田内東平178-2
駐車場 あり(無料)
外宮参拝の後は内宮へ
09:50 元伊勢内宮 皇大神宮 (こうたいじんじゃ)
駐車場に停めると・・・
えっ、こんな砂利の駐車場で500円?それも料金は徴収箱に。。。
領収書も発行されないって事は、収入に対する税金についてを・・・やめておきましょう。
参拝を終えた帰りに500円硬貨を投入いたしました
参道途中右側に天皇神社なる社務所?がありましたが、そのまま階段を上がると大きな樹が参道の中央には「麻呂子親王(まろこしんのう)御手植えの杉」と札が書かれた杉がドーン。
しかし気になるのは麻呂子親王って誰?である。
調べてみたら用明天皇(ようめいてんのう)の第三皇子で当麻皇子(たいまのみこ)のことらしい。。。
用明天皇と云えば厩戸皇子(うまやとのみこ)の父にあたり、厩戸皇子は聖徳太子とも伝えられている。
すなわち当麻皇子は厩戸皇子の弟が御手植えされた杉って事になりまする
そうなると樹齢1500年近くとなるんでしょうかねぇ
御手植えの杉は3本あったそうですが、台風等によって今ではこちらの1本だけ。
他はこちらのような切り株だけを残すのみ。
でも切り株から新しい命が生まれているのを見付け、1500年後には立派な巨木となるのでしょうね
巨木が多い神社。
確かに元伊勢と称するだけのことはありますね
由緒にご祭神が書かれていて、天照大神かと思いきや『天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)』とある。
そもそも天照大神は「アマテラスオオミカミ」や「アマテラスオオカミ」と呼ばれ、漢字では天照大御神や天照大神となる(私は「天照大神」と書いています)。
はっきり言うとどちらも正解でアマテラスに敬意を持てば天照大御神となる。
そうなると天照皇大神は?
調べてみると天照大神は天皇の祖で天皇家との関係もあることからアマテラスを天照皇大神と書くそうです。
その辺りからこちらのご祭神に敬意を払う意味でこの漢字を使っているのではないでしょうか。。。
こちらも黒木鳥居がありました
豊受大神社同様に本殿を囲むように摂社、末社が並んでいます
こちらの皇大神社はとても宗教力が強いように感じられ、参道石段途中には天皇神道なる社務所があり、ご祭神に記された「天照皇大神」はこちらに影響があるのでしょうか
ご朱印をいただきましたがこちらもスタンプでございました
元伊勢内宮 皇大神社
所在地 京都府福知山市大江町内宮宮山217
駐車場 あり(有料)
事前調べで皇大神社近くに天の岩戸神社があり、その社殿の写真を見て行ってみたくなり駐車場から車で3分程で到着。山道で停められるスペースは少なく、私は神社よりちょっと先に行った所にあったスペースに停めて参拝です
10:20 天の岩戸神社 (あまのいわとじんじゃ)
こちらが天の岩戸神社
おぉ! 写真の通りだ
参拝するには鎖をつたって登るみたい
しかし何でこんな絶壁に建てたんですかね~?
期待いっぱいな気持ちで訪れたのですが・・・
先に参拝されていた方を入れてみるとこんな感じ。
心の気持ち→ 小っさぁ でありました(笑)
勝手に縮尺を大きくしていた私がいけないのですけどね
でも
やはり断崖に建つ社殿は凄いですねぇ
あっ、そうそう。
先程、断崖を登られていたお二方とは、まだ紹介をしておりませんが既に参拝を済ませた伊勢神宮内宮(紛らわしいですが三重県の伊勢神宮です)でお会いした方々でした。
あまりにも偶然で驚いてしまったのですが、こんな事ってあるんですね。
伊勢と元伊勢、、、やはり繋がっているんですね
時刻は10:30。
ちょいと買い物で舞鶴によって一気に滋賀県へと向います
舞鶴での買い物、、、それはこちらです
10:50 舞鶴港とれとれセンター
目的は・・・
舞鶴かに
本来はズワイガニなのですが舞鶴港に水揚げされたズワイを「舞鶴かに」と呼ぶそうです。
活きたカニや特大茹でカニは高価で手が出ず、
サイズ大を二杯(活きたカニは匹。生きていないカニは杯と数えます)を購入。
しかし気になるのは小さなカニで卵を抱えている「セコガニ」って何?
店員に聞くと「ズワイガニのメスで、他ではコッペカニとも呼ばれ、プチプチとした卵を食すと美味しいですよ」と勧められ、こちらも一緒に購入
帰宅して食べてみたけど味は・・・うーん。。。食べ方を間違えたかなって感じでありました
軍港として栄えた舞鶴は一度訪れていたので、今回はパスして滋賀県を目指す
予定する時刻までにたどり着けるかどうかは運次第。
渋滞等にはまりませんようにと祈るのみ
今更何ですけど、最近スマホでこちらのブログを見る事を知りました。。。ホント今更ですけどね。
そんでもってログインパスをメモって入れるのを覚えちゃいまして、通勤時にチラチラ見る事にしました。
まぁ、皆さんは知っておられるのでしょうが、私にとっては画期的な発見でございまして、
これからはナイスもコメントもスマホから出来るようになりまして・・・
今朝(21日の朝)から試しにやってみた次第です。
しかし、スマホから見ると何度も戻るボタンを押さなきゃならないのは普通なんですか?
アイフォンユーザーの中でも使いこなせていない率85%と高めであります(笑)
さて、伊根を後にし次に向うは丹後一宮でもある籠神社 (濱の寅次郎さん、、、予想を外しすんません)
07:55 籠神社 (このじんじゃ)
籠神社と書いて「この じんじゃ」と読みます。
こちらは倭姫命巡幸の冒頭でも書いておりますが、崇神天皇の命を受けた皇女豊鍬入姫命が天照大神を皇居より笠縫邑(奈良県巻向:桧原神社[比定地])へ遷し、その後更に良い地を求めて丹後のこの地へ遷されたのが籠神社。
約4年間過ごされたと伝えられている
籠神社の名はご祭神の彦火明命が竹で編んだ籠舟に乗り、龍宮に行かれた事から名付けられたと伝わっている
伊根は30年ぶりとお伝えしましたが、籠神社もその時に立寄っているんです
青春18きっぷを利用し中央~小海~信越~篠ノ井~大糸~北陸と乗継ぎ、金沢から急行きたぐにを利用し敦賀へ。
敦賀から小浜線を利用し西舞鶴、天橋立に到着。
伊根行のバス発車まで時間があったため、天橋立を対岸まで歩き、バス停前が籠神社だったので参拝した次第です
今から思えば若かったので元気があったのでしょうね。今なら絶対パスを待ち続けるでしょうね(笑)
伊根より車で20分ちょっとで到着。
天橋立は南側のピューロランドと、北側にある傘松公園の2箇所から眺められ、どちらも股覗きで有名
下は2014年春に訪れた際のビューランドから見た天橋立と、文殊堂の写真ですが、籠神社は時間が無くて(日没前で行けなかったが正解)行けなかったんですわ
そう云えば「股覗き」から見える世界が違う事を研究し、今年9月にイグ・ノーベル賞を受賞したニュースを耳にしている
イグ・ノーベル賞とは「いかに人を笑わせ、そして考えさせてくれるか」が選考基準なんだそうで、風変りな研究をし、その研究へいかに無駄遣いをしたか等のユーモアな人に贈られると事。
本家ノーベル賞とは違い、授賞式への旅費は全て自己負担。
でもそんなイグ・ノーベル賞は10年連続で日本人が受賞していて過去に22名も・・・
ノーベル賞でもイグ・ノーベル賞どちらでも海外で賞を取るって凄い事だと思いますね
こちらが籠神社の鳥居。
左上の山が傘松公園と思われます
籠神社の創建は719年で奈良時代。
そもそもは現在奥宮となる真名井神社が紀元前59年に豊鍬入姫命によって吉佐宮(よさのみや)として天照大神を遷された事が始まりで、その後はご祭神を天照大神の孫にあたる天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)にされ、719年に籠神社へと遷された歴史があるんです
駐車場は鳥居横から入り30分は無料なのですが、平日早朝は参拝に来られる人が少ないので係員はいないみたいです
こちらは重要文化財に指定されている狛犬
【倭姫命巡幸 14】 吉佐宮 (よさのみや)
ここ籠神社にも倭姫命が来られた伝説が残されている
最初にも書きましたが、倭姫命へ託される前の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって天照大神を遷座させた地。
倭姫命に託される前に天照大神は奈良の笠縫邑(かさぬいむら:[比定地]大神神社、若しくは桧原神社辺り)に鎮座されているので、倭姫命は籠神社には来ていない筈
しかし、天照大神が伊勢に鎮座された後に倭姫命は丹波のこの地まで来られたと伝えられているんです。
伊勢に天照大神が遷座して480後に倭姫命の枕元に天照大神が現れ、天照大神曰く「伊勢にひとり居るのは淋しい。食事は豊受大神に作って貰いたいから、丹波の豊受大神を伊勢に招いて欲しい」と告げられたそうです。
その翌年に多くの神々が丹波へ向い豊受大神をお迎えに来られ、衣食住の神様で吉佐宮(奥宮 真名井神社)から伊勢に遷されたそうです。
その時に倭姫命は丹波まで来られたそうですが、その時の年号は雄略天皇22年(西暦だと478年)なんですが、その事から倭姫命の年齢に疑問が湧いてしまうんです
倭姫命が父である垂仁天皇より御杖代と任命したのは紀元前。
ここ丹波に来られたのは西暦478年。
ね?おかしいでしょ(笑)
倭姫命の年齢は500歳を越してしまうんですよ。
でも今では神様のお一人ですから、追及は致しませんけどね
吉佐宮(よさのみや)と言う名は、宮津市の隣に位置する与謝町(よさまち)として残っているんですよ
こちらの籠神社は神門より中は撮影が禁止されているため、写真はここまでとなります
御朱印をいただき、奥宮までの道程を神職より伺って籠神社をあとにする
08:20 真名井神社 (まないじんじゃ)
車でも行けるとの事で神職に教えられた道を行くと最初の鳥居が見えた
ここから200mほど坂を上った先が真名井神社
神社は現在修理工事がされていて、ご祭神は一旦籠神社に遷されているそうですが、境内までは入れるとの事でしたから行ってみる事に
二の鳥居前には御霊水「天の真名井の水」と、「真名井水神社」。
蛇口があるので水を汲みに来られる方がおられるんでしょうか
そしてこちらが参道
こちらも撮影禁止になっています
写真が無いので代わってお伝えいたします
この先に本殿があって、本殿より先は柵で仕切られ、その奥に磐座が並んでいる。
磐座から機がそそり立ち、ここが神域なんだと感じさせてくれます
その柵の手前からずっと神域を眺めていたら、
磐座から涼しいと云うか清らかが正しいのか分かりませんが、風が顔にあたるんです。
伊勢神宮125社全ての神社を巡り終えましたが、内宮や外宮も含めこのような風を受けたのは初めてで、
驚きと嬉しさと怖さを感じました。
多分、今まで何百と神社に足を運んでいますが、この真名井神社より「凄い」と思ったのはありません
パワースポットと祀り上げるメディアが多いですが、今まで私にはそのパワーたるモノを感じた事が無かったのですが、
この風をパワーだと言われるならば、初めてパワーを貰ったのかもしれません
あの風は何だったんだろう。。。
籠神社 (このじんじゃ) 古称:籠宮 (このみや)
所在地 京都府宮津市大垣430
ご祭神 天照照国彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
ご相神 豊受大神(とようけおおかみ)、天照大神(あまてらすおおかみ)、
海神(わたつみのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)
駐車場 約50台。最初の30分は無料
奥社 真名井神社 (まないじんじゃ) 古称:吉佐宮 (よさのみや)
所在地 京都府宮津市中野
ご祭神 豊受大神、天照大神、伊射奈岐大神、伊射奈美大神ほか
駐車場 有りませんが5台程駐車できるスペースがありました
振替休みを利用し11月17日(木)の夕方に自宅を出発し一路西へ
行き先は京都府の丹後半島。
今回もハードな超日帰り旅(出発から帰宅まで丸1日を要する旅)
何処へ行こうか考えに考え、目的地は当日に決めちゃいました(いつもこんな感じです)
高速道路へのアプローチは箱根越えを選択。
秦野中井インターから東名高速へ入るのが時間的に早いと思うのですが、出発したのが帰宅ラッシュ時間と重なり、インターまで時間が要しそうなので箱根を越えて沼津から高速に入る。
西湘バイパス~箱根新道~国道1号~伊豆縦貫道を経て沼津インターへ
自宅から1時間ちょっとで沼津まで来れたから、御殿場回りの東名利用とほぼ同じかな
箱根新道と国道1号では大型車も多く、減速しがちですが信号が少ないので停止するような渋滞はありません。
しかし箱根湯本駅前を通る国道1号は特に土休日は渋滞が日常化しているのでご注意を!
沼津からは新東名と東名の2コースを選択できるのですが、私的には古い東名高速が好き。
走り易さは新東名ですが、途中のPAやSAは東名の方が多く、好きなところで休憩できるのが助かるんです。
また、走る上で景色(夜景)やアップダウンによる運転を飽きさせない所が良いのかもしれませんね
今回のドライブで初めて経験した事がETCのトラブル
ETCレーンの入口ゲートを通過した際 ピーー カードが読めません と音声ガイドが流れる
えっ? 今のは何? 普通にゲートを通過した後に車載器から発した音声は初めて聞きました
時々、ETCカードを挿入し忘れ ピー カードが挿入されていません は1、2回経験済みでしたが、
ゲート通過後は初体験
ETC車載器のカードを出し入れし ポーン ETCカードが挿入されました と通常な状態になり一安心。
これで大丈夫だろうと思い込み、そのまま走行を続ける
東名高速⇒北陸道⇒若狭道を通ります。
途中、美合PAと賤ヶ岳SAで食事&休憩を取る。
事前に調べたら秦野中井IC~与謝天橋立IC間は512kmと無給油で走れる距離なので気にもせず走行。
すると小浜IC手前辺りで給油警告灯表示がされ、ナビには残り90km以上を表示されている。。。
満タンにして600kmは走るのに何で?
スズキ車の燃料警告灯は残り4リットルとなった所で表示されるから、4L×20km/Lだから走れる距離は80km!
これでは燃料が足りない!
最後に給油したのは16日の水曜日。出発した17日は日用品の買い物や病院へも行き、山坂道の箱根越えをした分が計算外だったみたいデス。。。致し方無いと判断し舞鶴東インターで降りる
ETCゲートを通過しようとしたらゲートバーが開かない!
※上記画像はETC総合情報ポータルサイトHPより
こんなこと初めて。
交通量が多い都心ならば後続車に追突されたかもしれません
係員に誘導され一旦ゲート外へ移動し、ETCカードを差し出して対応していただく。
入口通過記録が無いとの事。
やはり入った時のエラーは通過記録がされなかったと判明。
係員曰く、再度同じような事が発生したら入口ゲート通過後に停車(安全な場所があったならば)させ、係員対応してもらうか、出るインターでゲート通過手前で停車させ係員対応して貰うようにすれば良いとの事。
この時にナンバーとETCカード記録を控えられるとの事だから嘘の申告は後で追及されるみたいです。
東名沼津インターを18時過ぎに入った事を告げると何やら操作し、通行料金領収書を手渡さて無罪放免。
午前0時を超えて与謝天橋立IC到着に合わせていた為、舞鶴東ICでは通常料金を請求されてしまった、、、悲しい。
このような失敗は行きだけにして欲しいが、ETCトラブルは勉強になったので授業料だと思えば良いのかな
嫌な事は忘れ再スタート。
インターを出て接続する道路を左折した所でスマホを使い、舞鶴市内で24時間営業しているガソリンスタンドを検索。
すると、、、コンコンとドアを叩かれる。
驚いて振り向くと外に警察官が立っていた。事情(給油警告灯が出たのとETCトラブルに遭った事を告げる)を話すと免許証を拝見と言われ、俗に言う職務質問と思われる。
平日の夜中に地方ナンバーの車が停車していれば「何をしているの?」と思いますわな
警察24時みたいな番組を見過ぎているので車内捜索もされるのかと思いきや「そうですか」と免許証をチラっと見て職務質問は、あっけなく終了。
つい「テレビではもっと執拗に質問しているけど・・・」と聞いたら、ベテラン風な警察官から『運転手さんは大丈夫ですよ』と返された。何が大丈夫なのか分からんけど、24時間営業のスタンドを教えて貰うのと、道が暗くカーブも多いので安全運転をと言われ2度目の無罪放免!
無時給油を済ませ宮津市内へと向う道はカーブが多く、道が非常に暗く運転に気を使う
すると茂みで何かが動いたかと思ったら、鹿が道路に出てきて仁王立ち。
思わず急ブレーキ!
勘弁してよ~と声を出したのを聞いたか、私の心とは裏腹に何も無かったかのような足取りで歩きだす
今日は何なんだ?
こちらも声を出してしまいましたが、大きく深呼吸をして再々スタート
今夜の寝床予定は道の駅「舟屋の里 伊根」
走るにつれ経ヶ岬と書かれた青看板が目に入り、10数kmなら宿営地はそっちでも良いかなと決め近畿地方最北端の経ヶ岬を目指す
経ヶ岬展望駐車場なる場所に駐車させ仮眠。
翌朝、完全に寝坊をしてしまい日の出時間ちょい手前に起床。
給油警告、ETC、職務質問、鹿、そして寝坊。。。一夜でこんなに色んな事が起きるとは・・・
06:30 経ヶ岬 (きょうがみさき)
京都府京丹後市丹後町袖志
展望駐車場はバス停も兼ね、30台近く駐車可能。トイレ、自販機あり
灯台まで片道15分近く山道を登らなければならないとの事で、目的を日の出にと待ち続けても太陽が見えない。
手前の山が遮っているみたいで、ここにても仕方なく車を走らせる
5分程京都方面へ戻った所で撮影。
日の出、、、いや、天照さまに向い「今日1日が良い日でありますように」と願いに力をこめて祈るのでした
伊根は30年近く前に訪れた事があり今回が2度目
伊根は舟屋と呼ばれる独特な家屋が建ち並んでいて、1階が舟を入れる場所として海に面し、住居は2階で玄関は山側を向いているのが特徴。また、舟屋は重要伝統的建造物群保存地区にも指定され、現在でも約200軒が残っている
30年前に訪れたきっかけは、映画「男はつらいよ第29作 寅次郎あじさいの恋」。
私が好きな作品の1つで、京の葵祭りで鼻緒を切らした老人と出会うところからドラマが始まる。
老人は美術界の人間国宝"加納作次郎"扮する13代目 片岡仁左衛門さんで、寅さんは素性を知らず宴会でバカ騒ぎをし記憶も無く翌朝が訪れ、宿屋の女中だと思ったマドンナ役の"いしだあゆみ"さんが扮する"かがり"に恋をする(正式には"かがり"寅さんに猛アタックする位に恋をしてしまう)。
加納とかがりが口論となって実家に帰ってしまうのだが、寅さんは加納に頼まれ、かがりの実家にやって来るのだが、その実家が伊根の舟屋。
夕陽の中を舟が横切り、寅さんとかがりが眺めているシーンは焼きついている。
ここって何処なんだろうと思いながらも当時はインターネットすら知らず、調べる事も出来なかったが、その後たまたま見たNHKの旅番組(だったような・・・)で紹介され、初めて伊根町を知り、たまらず行ってみたくなったのが約30年前だったんです
だから伊根町は思い出の町。
あの時は映画のシーンを思い出し、ここかな?あそこかな?とスクリーンに映された場所を探し回りましたが、今回はそんな悠長な時間は無いので車で町の中を移動し、撮影できるポイントを選んではパチリ、パチリと撮っておしまい
舟屋は下の地図で入江となっている全てに家が建ち並んでいるんです。
海に面した場所は舟屋が密集し、海側から撮影できるポイントは数少ない。
唯一出来るとしたら、それは漁港の桟橋からとなります
↓ いづれの写真も上の地図で伊根小学校付近で撮影。
亀島の陰で陽が差しこまなかった舟屋に段々と朝日が入り込んで行きます
ガレージ付住居なのですが、伊根町の観光協会HPでは「日本一海に近い暮らし」がキャッチコピー。
確かに近い。台風が来たらどうするのかと心配してしまいます
山側の道を行くと町並みはこんな感じで、何軒かは舟のガレージ越しに海がのぞけます
滞在は20分ちょっとでしたが、伊根の町並みを堪能し宮津方面へと夜に走った道を戻ります
宮津、天橋立付近を旅され神社仏閣好きな方なら次に向う地は簡単に予想できるでしょうね(笑)
]]>一旦、お休みした伊勢神宮125社めぐりレポを再開です
【2016年9月25日(日)】 伊勢神宮125社めぐり 5
【外城田めぐり ② 026~031】
【倭姫命巡幸 13】
外城田川に面した穀倉地帯周辺にある3箇所の神社をめぐります
さっきまで青空だったのに少し雲が出て来たよだ。
伊勢では1週間近く太陽を隠す天気だったらしく、今日は久しぶりの晴れ模様
田圃は休耕田が多く稲穂があるのは少なかった。
伊勢神宮125社には田圃の真中に杜がある風景を多く見る。
日本各地の神社と比べると伊勢はちょっと違うような気がします
それでは外城田めぐり②をお伝えしま~す
車で10分程で朽良神社に着きます
11:25
026 内宮 摂社 朽良神社(くちらじんじゃ)
ご祭神 千依比賣命(ちよりひめのみこと)、千依比古命(ちよりひこのみこと)
所在地 三重県玉城町原
駐車場 駐車するスペースは限られていて農道に近い道を跨ぐように駐車させました
参道に入ってすぐの場所に大きな切り株が。
まだ元気な時はとても大きな御神木だったのでしょう
本殿は式年遷宮後とあってとても美しい。
ついつい鳥居に顔を近付けてクンクンと香りを嗅いでしまうのは私だけでしょうか?(笑)
ご祭神は農耕の神で、朽良=籠もる と云う意味らしく、神が籠もる杜として昔から拝まれていたのでしょう
朽良神社の次は御船神社に向う。
田園風景を突き進み、外城田川を渡った先に御船神社がある。
下の地図を見てお分かりのように、今の外城田川は灌漑用水のような一直線。
御船神社の辺りは道がクネクネ。多分、昔は神社スレスレを外城田川が流れていたんだと思われます
027 内宮 摂社 御船神社(みふねじんじゃ)
ご祭神 大神御蔭川命(おおかみのみかげかわのみこと)
028 (同座) 内宮 末社 牟弥乃神社(むみのじんじゃ)
ご祭神 寒川比古命(さむかわひこのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)
所在地 三重県多気町土羽
駐車場 なし 神社前の道路幅が広く駐車しても問題ありません
【倭姫命巡幸 13】
倭姫命が外城田川を船でさかのぼり、ここら辺りで舟を止められたと伝えられている。
川が冷たく寒かったから川の名を寒川と名付けたとも伝えられていますが、今では外城田川と変わっている
神奈川に住む者にはピンとくる『寒川』という名前。
相模川の東側にあり、相模国一之宮でもある寒川神社(さむかわじんじゃ)を思い出す。
ただそれだけならば「ふ~ん」で終わってしまうが、御船神社同座で祀られている牟弥乃神社のご祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)、寒川比女命(さむかわひめのみこと)と紹介したが、ちょっと調べてみたら、なんと寒川神社のご祭神と一緒だと判明
寒川神社(写真は寒川神社HPより)
神奈川県寒川町宮山3916
寒川神社の由緒は1500年前に創建されたとHPに記されている。
御由緒を開いてみると・・・
明治にご祭神が寒川比古命と、寒川比女命の2神とされたと書かれている。
そもそも寒川神社のご祭神は何度か火災があって確かな記録が残っていないんだそうですが、古代から「寒河」と名が残っている事から、伊勢神宮と何処かで繋がっていたのかもしれません。
私の家の近くでは「伊勢原」「伊勢山」「大神」「神明」「神戸」と、伊勢と関連する名が多くあるのも気になる。
案外、住んでいる町の歴史って知っているようで知らないんですね。
日本武尊は足柄峠を越えて三浦半島へと向っている事から、もしかするともしかするかも!
遠くばかり出掛けていないで身近な町にこそ誰も知らない古代から続く歴史があるのかもしれませんね
029 内宮 摂社 蚊野神社(かのじんじゃ)
ご祭神 大神御蔭川命(おおかみのみかげかわのみこと)
030 (同座) 内宮 摂社 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)
ご祭神 御前神(みまえのかみ)
所在地 三重県玉城町蚊野
駐車場 なし 駐車させられるスペースは限られていました
入口は秘密基地のような感じでした
こちらはまだ式年遷宮をされていない本殿。
少し朽ちた感じが逆に良かったりもします
また田園地帯を通り抜けJR参宮線の踏切を渡る。
右手には外城田駅が見えたがこじんまりとした無人駅みたい。
踏切を渡って一旦右折し、左斜めへと入る幅員狭い道へと向うが、次の榛原神社は・・・
見落としたかな?と車を後退させ左手に入る路地の先にこんもりとした杜が見えた。
多分ここだろうと決め、駐車させる場所が全く無い。
結局上の地図にある赤〇印の場所に停めて参拝しました
左上が神社前の通りで、右上の路地が神社への参道。
住宅へ通じる道にしか思えないでしょ?
榛原神社はこの杜の中にあります
関東ローム層のような赤土の切り通し
こちらが本殿。
031 内宮 摂社 榛原神社(すぎはらじんじゃ)
ご祭神 天須婆留女命御魂〈あめのすばるめのみことのみたま〉、御前神(みまえのかみ)
所在地 三重県玉城町上田辺
駐車場 なし
ご祭神は「すばる」とありますが、あの星の昴を指しているんだそうです
「昴:ブレアデス星団」 フリー画像より
おうし座のプレアデス星団、日本では「昴」と呼ばれますが、漢字の「昴」とは星の形から字が出来たとも云われている。
また、平安時代の清少納言が書いた「枕草子」に『星はすばる・・・』と一節があり、1000年以上も前から名が付けられている事に驚く。それにしても望遠鏡も無い平安時代に昴が「昴」の字に見える事にも驚きます。
古代の方の視力は2.0以上あったのでは?
伊勢神宮だから太陽のみを崇めるものかと思っていたが、夜に輝く星々にも手を合わせ拝まれていたんですね
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