倭姫命巡幸 8 [倭姫命御巡幸]
2016年7月30日(土)】 倭姫命巡幸 8
【14 藤方片樋宮】 + 阿射加神社(大阿坂・小阿坂)
亀山市街より国道1号線へ入り、名阪国道分岐を左折し、伊勢関インターから伊勢自動車道へと入る。
かれこれ30年近く前、運転免許取得後に初の長距離ドライブをしたのが和歌山県潮岬行き。
その時は東名阪自動車道と伊勢自動車道は繋がっておらず、亀山ICから一旦名阪国道を走らなければならなかったと記憶している。最近は高速道路として直結されスムーズに通り抜けられるようになりましたね。
まだ完全ではない新名神と繋げてしまった為、週末は四日市JCT~鈴鹿~亀山JCTで慢性的な渋滞となるみたいです。
確か、この日も下り線は鈴鹿を先頭に渋滞をしておりましたわ
この日は素直に高速へ入ってしまい、後から旧東海道の関宿に立寄るのを忘れたと思いだしたのですが後の祭り。
仕方なく次の遷宮地「藤方片樋宮」へと向うのでした
伊勢関ICから伊勢自動車道で津ICで降り、国道23号「中勢バイパス」でイオンタウン津城山を目指す
ナビで神社そのものを目的地にしてしまった為、参道が全く分からん!
あとで倭姫巡幸を紹介する書物を購入し、藤方片樋宮の項を読んでみると、やはり車では迷うみたい。
旧伊勢街道は道幅が狭いため一方通行規制もあるためかもしれませんね
迂回して旧伊勢街道を右折出来なかったため、紀勢本線の線路が見えた所で右折し、コの字を描くように更に右折。
すると旧伊勢街道と交差する辻に神社の道標がありました。上の地図で青い〇印を付けた場所です
こりゃ間違いない!とこのまま狭い道を進むと鳥居が見えた
しかし、車を駐車させるスペースが全く無く(もしかすると別の入口があったのかもしれません)、辺りを見渡していると近所の方なのか初老の女性と目が合ってしまい、思わず「参拝しに来たのですが10分程こちらに車を停めても宜しいでしょうか」と丁寧な関東弁で尋ねると、すんなりOKいただきました。
他府県ナンバーである事を確認され中嶋宮と同じく質問攻めを戴たのは言うまでも無い
どこから来たのか?
何しに来たのか?
一通りの会話を終え参拝です
11:40 【14 藤方片樋宮】 [加良比乃神社] (からひのじんじゃ)
伊勢国 藤方片樋宮 (ふじかたのかたひのみや)
周囲は市営住宅があってこの神社だけが取り残されたような感じ。
地図を観ておわかりのように、市営住宅を挟んで川が流れている。
どの遷宮地も近くには必ず川や湖があり、倭姫はその水で禊をされていたと思われます
「加良比乃(からひの)」とは「片樋宮(かたひの)」が訛って名付けられたと由緒書きに示されている
こちらが拝殿
拝殿の奥に本殿があり、伊勢神宮と同じ神明造です
こちらは天照大神を祀っておられるため、建築様式は内宮と同じ。
さて、伊勢神宮では内宮と外宮のどちらかを見分ける方法があります。
神社にお詳しい諸先輩方なら御存じだと思われますが、それは、、、千木(ちぎ)と呼ばれる部分で判断するんです
千木とは下写真で天に突き出る2本を指し、千木が水平に削がれている(内削ぎ)のを女神。
すなわち天照大神を祀られる内宮の神明造
そしてこちらが外宮の千木。
垂直に削がれている(外削ぎ)が男神と伝えられてます。
屋根の上に葉巻のようなのは鰹木(かつおぎ)と呼ばれ、鰹節のような形から鰹木と言われるそうです。
この鰹木の本数でも内宮と外宮の区別が出来るんですよ(偶数なら女神[内宮]、奇数なら男神[外宮])
ここまでは半数の方でもご存知かと・・・
この加良比乃神社に来て初めて(今まで気にもならない)気付いたのは、屋根の下に突き出した4本の突起物。
これは何ですかねぇ?
何の意味があるのかな?
調べてみると4本の突起は「鞭掛(むちかけ)」若しくは「小狭小舞(おさごまい)」と呼ぶそうですが、どのような目的までかはわかりませんでした
上の写真、左は出雲大社(2014.4.27)で右は熱田神宮(2011.12.10)。
出雲は「大社造」と呼ばれ伊勢神宮とは違う建築様式で、千木が交差しているのが特徴。右は伊勢神宮と同じ神明造の熱田神宮で本殿の鰹木は10本なので女神(天照)が祀られている?と思いきや、熱田大神。あり?
熱田神宮は熱田大神を祀っていると書きましたが、実は熱田大神とは草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)とされ、神剣を御霊代とし日本武尊とも縁があるんです。また天照大神も相殿神(あいどのしん)として祀られている。
因みに草薙神剣は日本武尊が東征する際に伊勢へ立寄り、叔母の倭姫命から賜った剣で、鏡と勾玉を含めた三種の神器の1つとされています
かなり脱線してしまいましたが、加良比乃神社も神職はおられず10分少々で退散。
蚊の攻撃による勇気ある撤退です(笑)
車まで戻ると先程の初老の女性が日陰におられ「お茶を飲んで行きなさい(と思われる地元言葉)」と冷茶を差し入れされ、これは有り難いと礼を申して冷たい茶をゴクリ。謝礼を告げて立ち去ろうとしたら「まだいいでしょ(と思われる地元言葉)」と魔法瓶から2杯目を頂戴する。
「息子に聞いたら石原裕次郎と同じ所から来たんですね(辛うじて石原裕次郎は聞き取れる)」と云われ、私の車のナンバーを誰かに聞いたのかもしれません。
先を急ぎたいが世間話を" た・つ・ぷ・り "させて戴いて、計4杯の冷茶。。。美味しかったデス(苦笑)
倭姫命は藤方片樋宮に4年間おられました。
阿佐加で人を殺す荒ぶる伊豆速布留神(いつはやふるのかみ)がいて、その話を聞いた倭姫命は大若子命(おおわくごのみこと)を遣わし荒ぶる伊豆速布留神を静めたとされている。
大若子命とは倭姫命と同行した武将のような者。
実は同行した武将は物部(もののべ)、中臣(なかとみ)、阿倍(あべ)、和珥(わこの)、大伴(おおとも)と蒼々たる者達を引き連れていたと伝えられている。
しかし倭の国から伊賀、甲賀、近江、美濃、尾張、伊勢と何の戦いも無く遷座を繰り返す事ができ、ある地では長が田畑を献上したり、魚介類を献上されたりと和やかな印象を受けるのですが、実は強力な武将を引き連れていたのは、倭姫命が遷宮へ入られる前にある種の戦があったのではと感じます。
余所の国の誰とも知らない者を歓迎し、素直に土地を含む献上を行うなんて絶対にあり得ないと思うんです。
古事記や書記ではその戦いといった記述せず良い面だけをしたのでしょうね。。。多分ですけどね
そうなると伊豆速布留神を静めたとは・・・もしかすると土地の豪族で戦によって討ったかもしれません。
その伊豆速布留神を祀る阿射加神社(松阪市)にも行ってみないといけませんね!
加良比乃神社
所在地 三重県津市藤方335
御祭神 御倉板擧神 ・ 伊豆能賣神 ・ 天照大神 他
駐車場 なし
こちらは別の日に訪れた阿射加神社です
[阿射加神社 大阿坂] (あざかじんじゃ おおあざか)
長い参道を歩くとポカリと空いた空間に出て、その正面に本殿があります。
とても神社らしき神社で私には全く感じないのですが、神が宿っているという雰囲気がありました
阿射加神社は現在地よりも山間にありましたが、麓に遷座したのですが「大阿坂」と「小阿坂」の2つ分かれたそうです。
こちらは憶測ですが、山間から麓に御移りされた際、おらが村に鎮座させたい・・・と云った問題が生じたのではと考えます。
まぁ、富士山は誰の地のモノかと云った事と同じで、頂は1つでも麓は裾野が広いですからね(あくまでも私見です)
[阿射加神社 小阿坂] (あざかじんじゃ こあざか)
参道には式年遷宮の幟旗が連なっています
遷宮の真っ最中とあって本殿には近付けませんでしたが、3つの社殿が遠くから見えました
こちらは摂社の大若子(おおわくこ)神社で本殿の仮宮とされているそうですが、こちらは既に遷宮がされているみたい
因みに式年遷宮は2016年11月3日にされるそうです
阿射加神社 大阿坂
所在地 三重県松阪市大阿坂町670
御祭神 猿田毘古大神 ・ 伊豆速布留神 ・ 龍天大明神
駐車場 なし(探せられませんでしたので鳥居前に停めました)
阿射加神社 小阿坂
所在地 三重県松阪市小阿坂町120
御祭神 猿田彦大神 ・ 伊豆速布留神
駐車場 あり(鳥居を正面に右へ曲った所)
以前は嬉野町だったのですが2005年に松阪市と合併となったのですが「嬉野」という地名は倭姫命に由来し、伊豆速布留神を静め倭姫命は「嬉しい」と喜び、その喜び上げられた事に因み、ここを「うれし」名付けられたそうです。
財政的に厳しい理由から市町村合併は致し方無いと考えますが、元々の地名由来を捨ててしまう事は少し悲しい
次の遷宮地を紹介しようかと思っていたのですが、かなり長くなってしまうため今回はここまでとします
松阪市へと入りますよ~
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