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【秋田】 角館 その弐 [東北]

【2012年7月14日】

7月14日からの3連休を利用し、東北へお出掛けした内容を記事にしています。よって写真や記事内容は当日のものと御理解下さいm(_ _)m

『角館歴史村・青柳家』 午後3時55分

間が開いてしまいましたが「角館その弐」として巡った武家屋敷を記事にいたしまーす

角館には市や所有者が公開する武家屋敷が7施設あり、その内の所有者が保有する武家屋敷2施設だけ(時間が時間なもので)紹介いたしまする。まず最初に紹介するのは「青柳家」から

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入口となる薬医門の屋根は最近変えられたのでしょうか、杉の皮で作られているのでしょうか?どっしりと構えた門で主の格が決まるといいますが、ほんと長きに渡る歴史を持っている感じです

中に入ると右脇に受付があって、500円の入村料を支払って母屋から中に入り、建物内にある美術・工芸品や武具等を見て廻ります

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上の写真の右にある蔵は武器蔵、展示されていた品々を写真に撮りましたがここで掲載するのはどうかなと思い、外観や部屋内、お庭をメインとさせていただきまーす

武器蔵を裏側からみるとこんかな感じです

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青柳家の敷地は3000坪、母屋の他に蔵や古民家を利用した展示室に、飲食が可能な施設まである青柳家、パンフレットにも書いてある「角館歴史村・青柳家」を見て、そうか・・・ここは博物館的な施設なんだと入ってから認識いたしましたわ

そんなことはさておき、敷地内を巡っていきます

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上の写真の蔵を使って「ハイカラ館」なる展示室と喫茶室を兼ねた建物の前には

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黒い炭酸飲料メーカーの自動販売機みたいなのですが、外観を敷地内と融合させ、広告欄には家紋付きの「青柳家」が入っていて、思わず撮ってしまいましたわ

こちらの青柳家は庭を巡って母屋へ戻るルートが設定されていて、雨だと傘を差さないと廻れない構造、この日は雨が上がったので助かりましたわ

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こちらは入口正面からみて右側の母屋で、建物内には入れませんが、200年以上歴史がある建物です

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各展示室や敷地内をゆっくり廻ると45~60分は要するかもしれませんが、そこを短縮して30分弱で退散

『石黒家』 午後4時30分

青柳家から歩いて1~2分の場所に、いまでも住居として使用されている「石黒家」も観て参りました

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入口を入って300円を支払って室内へ 

事前のお勉強で室内は撮影禁止という情報がありましたが、撮影は可能でありました。禁止しているのは動画撮影とのことでありましたわ

まずは靴を脱いで室内をガイドさんが約10分程度説明をしてくれます

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欄間には亀の透かし彫りがあって、昔の人は影を使った遊び心を持っていたのでしょうね

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えっと、、、わかりますか?

写真の撮り方がまずく、うまく撮れなかったのですが下の写真は透かし彫りの陰となりまする

説明を終え、先日(今年5月)放送されたNHKの番組(あえて番組名は書きませぬ)について質問してみたら、突然やって来てビックリしたんだとか、、、この後に御主人や奥様とも番組の話をして少しだけ歓談させていただきました

母屋の奥は蔵や炊事場は展示室として開放されています

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立派な蔵です

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お土産として観光用の複写版ですが角館町割図(1000円也)を購入

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広げるとA0判の大きさがあって、両面に角館の町割が記載されています。地図マニアでもあるわけんとしては買わない訳にもいかず、折り目無し(筒状)か折り目有り(封筒入り)を選べるのですが、本物の古地図じゃないので封筒入りを購入し、帰宅してからニマニマと不気味な笑みを浮かべて眺めているのだとか・・・怖い!

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こちらはお庭で、記事「角館その壱」でも掲載した大きな木は、石黒家の敷地内にあるモミの木で、樹齢は300年なんだとか

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今回は時間の関係で2施設の武家屋敷しか観て廻れませんでしたが、1日滞在若しくは半日は滞在して角館の町並みを堪能したい・・・が感想でありました

角館はまた来たい。。。と感じる町でありました


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【秋田】 角館 その壱 [東北]

【2012年7月14日】

岩手県の平泉や奥州市を訪れ、次に向かうは秋田県の角館

再度、東北道を北へ向け途中、北上ジャンクションから秋田自動車道へと進路を西に向ける

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時刻は午後1時45分、岩手県奥州市から秋田県仙北市の角館までは距離にして約120km、順調に行けば1時間半で角館に着けるかもしれませぬ

しかし、殆ど片側1車線なのと最高速度が70kmと制限がされていて、思っていたよりも時間を要し、角館に近い大曲インターに着いたのは午後3時、ここからは一般道で北へと向かう

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大曲インターからは一般道で約30km、何とか午後3時30分過ぎには角館町(現在は合併等により仙北市となっています)に到着

そもそも角館は一度来たかった町。朝間義隆監督(脚本家でもあります)の映画「思えば遠く来たもんだ」(昭和55年作)で、主演の武田鉄也が扮する青田先生が角館に赴任し、柔道を通して生徒と向き合い、青春・恋愛・別れとファミリー向けな映画なんですが、角館の町並みが見事にスクリーンに映し出され、見終えてから「観て良かったな」と思わせてくれる作品

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朝間義隆監督は、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」で脚本を手掛け、邦画界では煮え切らない恋愛映画の脚本を書かせたら右に出る人はいない脚本家兼映画監督・・・あくまでも私見ですけどね

そんな記憶から離れない角館、行きたいと思い立った1980年代から数えて30年、やっと念願の角館へ来れました

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今回は角館の第一段「角館 その壱」として、町並みを中心に書いてみますね

午後3時40分に桧木川沿いにある桜並木駐車場(1日500円)に車を停めて角館の町並みを散策です

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角館は「武家屋敷と桜並木が美しい、まさに『みちのくの小京都』と呼ぶにふさわしい風情を漂わせた観光名所」と角館町観光協会のHPに書かれていますが、まさにその通りな場所でありまする

角館は江戸時代に入り、水害や火災に見舞われたことによって、現在のこの場所へ新たに城下町を築いたそうです。その当時の町割りが400年近く経ってもそのままに残され、観光名所となっている部分は武家屋敷なんですわ。この広い通りは火災を嫌って道幅を大きくした名残なのだそうです

武家屋敷については「角館 その弐」以降で書きまする

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今年の桜は開花が遅く、かつ開花期はたったの3日とあって、多くの観光客から見損ねたと呟いておいでだったとか・・・(土産店での情報)

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上の写真はいずれも角館町観光協会からの転載

因みにですが山田洋次監督の「男はつらいよ 知床旅情」ではオープニングで角館の満開な桜が映し出されておりまする。。。

そんな桜のシーズンはとっくに終わり、新緑の季節も過ぎた7月中旬、木々の緑が段々と濃くなって来ている角館は誰もが「来て良かった」と口にするのでは?

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何度か記事でも紹介している「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定され、観光協会のHPでも書いてある「みちのくの小京都」はナイスな印象

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・・・と、ここまでは午後3時40分過ぎから2時間近く散策し、一旦角館を離れるのですが夕闇に迫る角館もいいのでは?と日暮れ前の午後6時30分過ぎに再度訪れてみました

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数時間前まで私を含めた観光客は誰もいなくなり、土産物店や武家屋敷の戸はどこも閉められている

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陽が落ちるまで待つつもりだったのですが、街灯が無いことに気付き、夜になったら真っ暗な町並みになりそうだったので、午後7時前で角館を後にして宿泊先へ

今回のお出掛けは東北を広く回る旅となったため、角館の時間は少なく限られた時間となってしまいましたが、是非とも再訪してみたい町の1つとなりましたわ。次回は遠野と角館で1泊2日的なお出掛けでもいいかな

このペースで東北のお出掛けを書き続けていたら、終わりはだいぶ先になりそうな予感がして参りました。途中、別なお出掛けが入るかもしれませんが、お盆までにはすべてを書き終えたいと思っておりますので、いつも来訪していただける皆様におかれましては何卒お付き合い下さいませ


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【岩手】 えさし藤原の郷 [東北]

【2012年7月14日】

先の3連休を利用して東北にお出掛けをした記事を書かさせていただいておりまする

平泉を後にして東北道で水沢インターへ

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平成18年に水沢市や江刺市など2市2町1村が合併して誕生した奥州市、水沢市は水沢区、江刺市は江刺区と区制をとっている奥州市に訪れた目的は「えさし藤原の郷」という歴史公園に行ってみたかったから

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平安時代のオープンセットがこの公園にあって、毎週放送している「大河ドラマ」ではよく撮影協力として「江刺市」若しくは「奥州市」と字幕に出る場所がここなんです

まぁ、たんなるミーハーな気分で訪れた、、、が正解かもしれませんね(笑)

時刻は午後0時20分、まずは食事とレストハウスへ

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団体客向けのレストランや土産店が備わっているレストハウスで昼食です

メニューを見てすぐに決めて御注文!

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盛岡名物の冷麺、、、実は私、冷麺は初めて食べたのですが・・・こういう味なんですね

暑い夏で食欲が無い時は冷麺を選択するのはアリかもしれませんね

しかし。。。隣のテーブルでお婆さんがお雑煮?けんちん汁?すいとん?みたいな汁モノを食べているのが気になって、メニューの中を探してみると、それは「ひっつみ」と呼ばれる岩手県北上周辺の名物料理らしい

冬ならば美味しそうに感じるんだけれど、夏には・・・うーん。。。かな

お腹も満たされ公園内へ

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200,000㎡もの広さがある園内を隈なく廻ると2時間は要するんだとか、、、そんな時間は無いのでお急ぎ40分コースを選択してGo!

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こちらは大河ドラマ「平清盛」で使用された山門。ウンウン見た見たとのっけからハイテンション

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次は律令時代の平安期にこのような建物があったであろうと再現された政庁

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正面が正殿、両側には脇殿があって回廊で繋がっている。。。ほほぅ

そしてお次は「伽羅御所」と呼ばれる建物へ

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奥州藤原氏、秀衡の居館を想定して再現されたんだとか

こちらの御所は靴を脱いで中を見ることが出来るのですが、床が撮影によって磨かれたことによってかなり滑りまする

御所内から庭を望むと

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平安期をミニチュア化したような庭が綺麗に再現されています

そしてこちら!

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奥の平等院のような建物は、さきほど訪れた無量光院の再現なんだそうです。。。盆栽のような低木も見事な仕上がりで、かなりお金が掛かっている感じがいたします

それにしても茹だるのような暑さ、じっとしていても身体から泉のように湧き出る汗、汗、汗

雨が降った後に太陽が出たお陰で湿度はかなり高く、そして全くの無風。。。かなり辛いです

それでも何とか歩きまわるのですが、フラフラして来ちゃいましたよ

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ここもテレビドラマ等で目にする道ですわ

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せっかく来たのだからと先へ進むと

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戦国時代のオープンセットが見えて来ました、、、が!

もう限界で先に進めず、ここで断念

まだ先には藤原三代の館や、金色堂なんかがあるのですがもうダメ。。。暑いっす

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帰路へ向かうのですが、オープンセットなので木陰が少なく、売店もあったのですが店員はおらず。。。水分補給もままならず正味45分程度で脱出

車に戻って寒暖計を見てみると温度は33度、湿度79%。。。エンジン掛けてエアコンを効かせ、少し休憩をした後に「えさし藤原の郷」を離れましたとさ

何しに来たんだか。。。

江刺区の市街地に戻るとこんな場所がありましたよ

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歩行者専用の道路で「蔵町ロード」と呼ばれている道で、この日はフリーマーケットが開催されているそうなのですが、あまりにも暑いからかお客さんはおらず、マーケットの商店主もエアコンの効いた室内に避難しているみたい

東北だから・・・となめてかかって訪れると大変なことになりまする

当初はここ奥州市から遠野へ向かう予定だったのですが、行先を変更したことにより遠野は次回として岩手県はここでおしまい

えさし藤原の郷は入場料800円、駐車場は無料で園内をゆっくり巡りたいのであれば最低でも1時間半は要しそうです

さてさて次へ向かった場所はどちらでしょうかねぇ?


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【岩手】 平泉 [東北]

【2012年7月14日】

高館義経堂 (たかだちぎけいどう) 7月14日 午前11時10分

中尊寺の入口近くから左へ逸れる道を行き、東北本線の踏切を越した先に「高館義経堂」がある

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こちらは源頼朝に追われ、奥州藤原氏を頼り平泉へ落延びた源義経の居館があった場所

別名で「衣川館(ころもがわのたち)」とも呼ばれている

源義経は頼朝とは異母兄弟で常盤御前の子で、平氏を滅ぼした立役者であったけれど、平氏亡き後は頼朝と兄弟で敵味方となり、奥州藤原氏によって幼少期を過ごした平泉へ落延びたが、逆に藤原氏に攻撃され、ここ衣川館にて自害したそうな

その後、仙台藩伊達家が義経を偲んで建てたのが「高館義経堂」なのだそうですわ

拝観料200円を支払って階段を昇り高館義経堂へ

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写真正面が「高館義経堂」、右に見える宝篋印塔は義経の供養塔

義経堂はガラス張りのお堂の中に凛々しき義経武者木像が安置されています

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写真だとガラスが邪魔でお顔を撮るのが精一杯で、出来れば拝観時間内だけはガラスを取ってくれると助かるんだけれど・・・それは私の自分勝手な考え方なのでしょうね。仮にガラスが無ければ誰かしら木像に触れるため、せっかくの色鮮やかな義経木像はくすんでしまいますもんね

それじゃ

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こちらはHPからの転載、、、硝子が無いと綺麗に写りますね

そして、ここ高館は小高い丘の上にあって、眼下にはゆったりと最上川北上川(修正)が流れています

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ここで私は大失敗をしたのですが、この時は全く気付かず、石碑を観て「ここにもあるんだ~」なんて軽く流し、1枚も撮影しなかったのですが、義経堂とは反対側に松尾芭蕉の石碑があったんです

実はここ高館から眺めた風景を読んだ句が、、、先日紹介した句の場所だったんですわ

夏草や 兵共が 夢の跡

まさしくこの風景を芭蕉が観て、上記の句を読んだそうで、その石碑には芭蕉直筆の拓本がデザインされた石碑だったと後日に知り、なんとも勿体無いことをしたなと後悔。。。事前の勉強が足らなかったのがこんな所で出ちゃうのでしょう

芭蕉にちなんで「五月雨を あつめてはやし 最上川」の句は、こちらで読んだのではなく、山形県の立石寺(山寺)で読まれたのですが、芭蕉が立石寺にいたのは旧暦の6月で、5月はここ平泉周辺から立石寺へ向かう途中だったんだそうです

そうなると「五月雨を・・・」と書き出すのは変ですよね?

実は立石寺に着く前に「五月雨を・・・」の句は出来あがっていたらしく、当初は「五月雨を あつめてすずし 最上川」だったのを、6月に入って立石寺近くでの最上川は濁流渦巻く川の早さが目に付いたことから、中の句を「すずし」から「はやし」と変えたんだとか

松尾芭蕉と言えども俳句の下書きをしていたってことは、、、即興で読んだのではないのですね

このエピソードを知り、何故か親近感を湧いたのは私だけでしょうか?(笑)

石碑は撮り損ねましたが、東北では今が見頃のアジサイで我慢くだされ

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駐車場(無料)は麓にあったのですが、するすると車を走らせ拝観受付近くで駐車し観て参りました。最上川北上川(修正)の景色を堪能しなければ10分程度で拝観が可能です

無量光院跡 (むりょうこういんあと)  午前11時25分

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ここ「無量光院跡」は藤原秀衡が建立し、今では跡地として整備されています

無量光院跡には京都宇治の平等院を模して建てられた寺で、またここの無量光院は宇治の平等院よりも大きかったと伝えられています

中尊寺を降りてきてすぐに高館義経堂へ向かったお陰で、身体の汗が引かずこちらは車の中から撮影して、ハイおしまい。。。なんとも面倒臭がりな奴だとおわかりいただけたでしょうね、、、だって汗が引かないんだもん!

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無量光院跡は平泉駅にも近く、歩いて5分ってところでしょうかねぇ

平泉最後は「柳之御所遺跡」です

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柳之御所遺跡 (やなぎのごしょいせき) 午前11時30分

奥州藤原氏が政を行った「平泉館」と想定され、平成22年に公園として整備されました

10000㎡もの広さをほこる遺跡で、発見された土器や陶磁器により京都とや中国等の交流が盛んだったと伝えられています

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平泉はここ柳之御所遺跡で最後にし次の目的地へと向かうのですが、世界遺産として登録された5か所の遺産のうち「金鶏山」を抜かした4つを観て廻ることが出来ました

帰宅して金鶏山が写っていないか確かめたのですが、どこが金鶏山かわからず断念。因みに上の写真で右端手前の山が高館でありまする

そうそう、今日の朝刊で世界遺産ならぬ「機械遺産」5点が発表され、吉野山のロープーウェイやTOTOウォシュレット、元東急線のステンレス車輛が登録されたんだとか、、、世界遺産ブームによってどこまで底辺が広がるのか・・・私の部屋の中でブーンと唸っている10年選手の扇風機は、個人的に夏のみどこの国の世界遺産よりも大切な奴です。。。今年の夏も無事に乗り切ってくれーぃ

追記:当初文中に丘から見える川は「最上川」と書いておりましたが「北上川」の間違いでありまするm(_ _)m。。。修正いたしました


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【岩手】 中尊寺 その弐 [東北]

【2012年7月14日】 

もう1週間も前になりますが、先週の3連休を利用して東北へお出掛け記事を書かさせていただいておりますが、本日は昨日に引き続き、中尊寺その弐となりまする

讃衡蔵で金色堂拝観券800円を買い求めて、さぁ本日のメインイベントでもあります「光堂」へ

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1962年にコンクリート製の覆堂となり、金色堂はすっぽりとこの覆堂の中におさめられている。また何度かの修復によって現代でも黄金の輝きを保っておりやす。入口は一旦奥まで進んでガラス張りの室内に金色堂があるのですが、行く度に「案外小さいんだなぁ」が感想ですかね

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堂内は撮影禁止なのでHPからとパンフレットからの転載、それと堂内でいただいた御朱印です

ガラス越しであるのと、3連休とあって拝観客が多くゆっくりと観ることが出来ませんでしたが、金色堂の中には御本尊の阿弥陀如来をはじめ、十数体仏像が並び、須弥壇の中には奥州藤原氏の初代清衡、二代基衡、三代秀衡の遺体と四代泰衡の頸が納められています。また装飾では金箔や夜光貝を使用した螺鈿(らでん)が見事ですわ

約5分程度ですが、久々に金色堂を目にし、覆堂をあとにする

因みに中尊寺での御朱印で、各お堂でいただけるのですが、中には書かれている御朱印をいただくお堂もありますので、御朱印帳に書いていただけるか確認が必要です。私はこの金色堂だけいただいて、あとはパスさせていただきましたわ

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こちらは経蔵で、経蔵手前には芭蕉の句碑がありまする

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五月雨の 降りのこしてや 光堂

周囲のお堂が雨風で朽ちている中で、光堂(金色堂)だけが輝きを保っている。

絶え間なく降る五月雨も、輝かしい光堂だけには降りそそがない。。。てな感じでしょうかねぇ

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ルビ無くて たぶんアレだと 勘で読む 。。。わけん

俳句じゃなく川柳ですな、、、情けない(笑)

松尾芭蕉さま。。。すんませんm(_ _)m

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こちらは1962年に建てられたコンクリート製の覆堂が出来るまで、金色堂を覆っていた旧覆堂

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この旧覆堂があったからこそ、現代も金色堂が残されているんですねぇ、、、旧覆堂の中に入って何故か感動してしまいましたわ

有料拝観はこちらまでで

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こちらは大長寿院があった場所

鎌倉で永福寺跡という寺院の跡地が残っていますが、源頼朝がここにあった二階大堂に素晴らしさ(伝えによると腰を抜かすほど驚いたそうです)を感じ、鎌倉に模して建てたというのだから、相当な素晴らしいお堂があったのでしょうね

なんでも15mにも及ぶ伽藍で、9mの阿弥陀如来が安置されていたとか・・・今ではそんな建物は残っておらず、伝えられた歴史だけしかないんですわ

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庭も相当素晴らしかったのでは?、、、大長寿院があった山門を裏から撮ったもので、右手奥は旧覆堂です

また現在のお堂に向かって右手には竹林が広がっていて、その竹林脇から降りれる道があるのですが、木の根があらわになってなんとも言えない雰囲気がありまする

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竹林から降りて来ると白山神社の入口

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ここで面白い話を聞きました

そもそも「平泉」という地名はどのように名付けられたのか?

調べてみると3つの諸説があるらしく、1つはこの地の近くで湧き出た「平泉野」の泉から平泉となったという説。2つ目は秀衡の館から湧きだした「酒の泉」から名付けられた説。最後は越前平泉寺白山神社(先月のお出掛けで訪れた場所)から名付けられた説。

諸説はいろいろありますが、奥州藤原氏が繁栄していた時代は平安時代の末期で天下は平氏から源氏へと移ろうとしていた時代、奥州藤原氏は京とも繋がっていたが、物資等を運ぶ際に源氏が治める関東(鎌倉)を通らず日本海側のルートを利用していたそうですから、越前の白山神社とも繋がりがあったと思われます

奥州藤原氏以前においても日本海側ルートで京へ行くのは、太平洋側を通るよりも近道でありますから、奥州藤原氏以前から白山神社と繋がっていた説も考えられますね

白山神社が中尊寺内にあることから、越前の平泉寺からここを「平泉」と名付けられた・・・かもしれないんですね

中尊寺の白山神社内には立派な能楽殿があって、萱葺き屋根の能楽殿。。。いいっすねぇ

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白山神社を後にして最後に拝したのはこちらの弁財天堂

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池の浮島に建てられていて、なんともいえませぬ

平泉中尊寺はちょっと蒸し暑い日でありましたが、空が明るくなって本当に良かったですわ

芭蕉さま、、、ありがとうデス

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芭蕉さま・・・「何か呼んだ?」てなお顔をしているような

中尊寺は結局1時間ちょっと滞在し、それなりに観て廻りましたが時間があればもう少しゆっくりしたい所ですね

駐車場は中尊寺の麓に第1、第2、第3駐車場があり、駐車料金は400円です。坂の上駐車場(30台程度駐車可能)は500円で金色堂にかなり近い場所でありまする


タグ:世界遺産
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