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【千葉】 佐原 香取神宮 [北関東]

【2010年6月12日】 [お出掛けアーカイブ]

[お断り] 本内容は2年前の2010年6月にお出掛けをした内容です

時刻は6時を回ったところ、、、地図で確認すると佐原までは数キロの距離

間に合うかなぁ

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夏至に近い6月とあって午後7時までは何とかなるかもしれない・・・ってことで、佐原の町並みを観に行く

佐原の街に入り、空はこんな感じ

まだいけるかも

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佐原は以前「佐原市」でしたが、他の3町と平成18年に合併し「香取市」と名を変えました

佐原は利根川に近い地の利を生かし、水運の町として栄えたそうです

また関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」。。。出た!

金沢東茶屋街、海野宿に続いてまたまたこの保存地区に指定されていたんですね

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写真はちょっと暗めですが、なにせ時刻は午後6時30分なもんで我慢してくだせぃ

こんな時間だからか観光客は人っ子一人歩いていませんわ

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写真を撮るには最高の時間帯かもしれませんね

上の橋は「樋橋(とよはし)」というらしく、橋の真ん中から水が落ちる仕組みになっているんだそうですが、観光客の時間から外れているため、水は止まってしまっています

樋橋は別名「ジャージャー橋」と呼ばれているんだとか・・・

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上の写真はWikipediaからの転載写真

こんな感じで水が流れ落ちているんですね

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樋橋の近くには「伊能忠敬」の旧宅が保存されている

伊能忠敬とは日本各地を56歳から測量をし始め、74歳で亡くなるまで4000万歩も歩いて作られた「大日本沿海輿地全図」を1821年に完成させました(発表は没3年後)

この地図は「伊能図」とも呼ばれ、日本が近代化した明治時代まで使われていたそうで、その後の精密な測量によって作られた地図と比べても遜色ない仕上がりだったそうで、日本を開国させたい欧米各国は我先にと奪いたかった代物だったんですって

多少の確認のためにWikipediaや諸先輩のHPで確認したら伊能忠敬の像を見付ける

その写真に覚えがあったのでピクチャ内を探したらありましたよ~

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この像は門前仲町にある富岡八幡宮の境内にありやす

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写真は2007年に撮影したものです

因みに樺太(サハリン)が島だと確認し、海峡名にもなった間宮林蔵は伊能忠敬の弟子なんだとか。。。

何しろ寸分の狂いもない地図を作られた伊能忠敬は、私の地図マニアとしての血が騒ぐほどの人物でやんすわ

それじゃ佐原の町並みに戻りまする

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運河の両側に蔵がある元商家の町並みが続いていて、運河にある階段を使って舟から蔵へ荷揚げや荷出しをしていたのでしょうね

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佐原の町並みをひと通り歩き観て、車に戻り再度地図を確認

よし!次に行くどぉぉぉぉ

時刻は午後7時、カメラの性能のお陰なのか、、、辺りは暗いにも関わらず撮れるものなんですよね

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香取神宮でござーます

鹿島神宮が創建された数十年後に作られたんだとか。。。

こちらも紀元前600年代の神社、利根川を挟んだこの地は昔から肥沃な土地だったのが窺えます

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写真もそろそろ限界に近付いてきています

ストロボで撮れば少しはきれいに撮れるのでしょうが、ストロボだと周囲が暗くなってしまうので我慢、我慢

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こちらが拝殿で、奥が本殿となります

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身体をじっと構えてどうにか撮れましたわ

香取神宮で完全にサスペンデッド状態となり、今回のお出掛けは終了

江戸時代から紀元前までの歴史を感じたお出掛けでしたが、どこも立派で素晴らしかったです

さぁ、土曜からは3連休。。。お出掛けしますよ~


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【茨城】 鹿島神宮 [北関東]

【2010年6月12日】 [お出掛けアーカイブ]

[お断り] 本内容は2年前の2010年6月にお出掛けをした内容です

水戸偕楽園より国道51号線で鹿島神宮へ

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車窓には大洗海岸が見え、これから海岸線沿いを走るのかな・・・と思っていたら、この先は少し海岸から離れてしまうため、太平洋はこの写真のみでありましたわ

片側2車線と快適なドライブ、、、車線が減ったあたりから渋滞。。。

すると左手にはこんなお店が!

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『頑固親父直伝!!昔のバカ盛食堂』なるお店が現れる。。。なんとも気になる(笑)

そして渋滞の原因が分かりましたわ

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追突事故をされており、その見物渋滞だったみたい、、、

この事故現場を境に車の流れが出て、日暮れ前には目的地の「鹿島神宮」に着きそうです

もうそろそろかな、、、と綺麗な道路が現れたと思っていたら、鹿島アントラーズの本拠地である「カシマサッカースタジアム」が!

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申し訳ありませんが、サッカーは全く興味がございません

高校から憧れだったラグビーを始め、サッカー選手がワザと倒れたり痛がったりするシーンを目の辺りにしてから、なんと軟弱なスポーツなんだと決め込んでおりやす。これは今でも同じなもんで目指せ国立、、、ではなく、目指せ花園!

サッカーファンの皆様、ごめんちゃいm(_ _)m

ささ、そうこうしているうちに着きましたよ~

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鹿島神宮です

この時が初めてで、来るまでは大したことない神社?と思っていたら大間違い

由緒ある立派な神社でございました

創建は紀元前660年、最初の天皇が誕生した神武天皇の時代で、今では聞かなくなった皇紀2600年(現在だと皇紀2672年となります)の紀元と同じ

当時の鹿島は都より遠く離れた地で、これより東北は蝦夷とも呼ばれたんだそうですわ

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こちらは楼門で、徳川光圀の父にあたる徳川頼房によって1642年に造られたんだとか

楼門をくぐると、この時期の神社ではよく見掛ける「茅の輪くぐり」

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毎回、茅の輪を前にして左からだっけ?右からだっけ?と迷い、説明書きが無いとくぐるのは止めにしちゃうんす

間違えたらくぐる意味が無いですもんね

えーーーそこで、茅の輪くぐりを正式に回るルートをお教えいたします

真中を抜けて左回り、次は右回り、もう一度左回りするのが正解。。。(調べてから書きました(笑))

はい、神社本庁のHPや「茅の輪」「大祓」で検索すると図解で説明されているところもありますので、くぐる前に確認してからされることをお薦めいたしやす

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本堂はまだ先なのかな・・・と思っていたら、楼門をくぐった右手にある拝殿の奥が本殿なんだそうです

私もそうでしたが、気付かなければ本殿を通り過ぎてしまのでは・・・

写真はありませんが、本殿は1618年に徳川秀忠が造営したんだそうです

また、鹿島神宮の「神宮」という神社名は、当時「伊勢神宮」「香取神宮」、そして「鹿島神宮」の3社しかなく、それ以外の神宮と名が付く神社は明治維新以降に造られたんだとか。。。確かに「平安神宮」や「明治神宮」は日本の歴史からすれば極最近ですもんね

まだ先がありそうなので歩いてみることに

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この先には奥宮があるのですが、奥宮へと向かう参道は樹齢が数百年以上の杉が立ち並んでいました

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なんとも立派な杉で、2600年以上の歴史を感じまする

途中には鹿園があって、こちらの鹿は奈良の春日大社の子孫なんだそうです

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そう言えば、奈良公園の鹿と同じ糞を出してます。。。

えっ?

全国の鹿はどれも同じ糞をするの?

ふーん・・・

だそうです、、、座布団いただけますか?

そのまま進むと奥宮が現れます

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こちらも参道から向って右側にありました

右側にあるのって何か由緒があるのでしょうかねぇ

実はこの奥宮周辺には「要石」や「御手洗」があったのですが、写真には収めておらずです

こんな立派な神社だと思っていなかったので「来て良かった~」が実感の鹿島神宮でありました


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【茨城】 偕楽園 [北関東]

【2010年6月12日】 [お出掛けアーカイブ]

[お断り] 本内容は2年前の2010年6月にお出掛けをした内容です

この日、西山荘の次に訪れたのは水戸の偕楽園(かいらくえん)

写真は表門となる黒門でありやす

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表門から園内に入ると竹林が広がっていて、鬱蒼とした森のような感じですね

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偕楽園は水戸藩第9代藩主の徳川斉昭(なりあき)によって造成され、1841年に完成。広さは現在の偕楽園の本園としては12.7ヘクタール、近隣の千波公園等を含めると300ヘクタールの広さで、都市部の公園としてはニューヨークのセントラルパークに次ぐ世界で第二位の広さになるんだそうですわ

因みに徳川斉昭は第15代将軍徳川慶喜の実父で、水戸徳川家としては唯一の将軍。。。徳川家と言えば本家と尾張・紀伊・水戸の御三家と、田安・一橋・清水の御三卿を主として将軍職になっていますが、水戸徳川家は最後の最後で将軍職を拝したことになるのです

しかしですよ。。。御三家筆頭の尾張徳川家から誰も将軍職にならなかったのは何か理由があるのでしょうかねぇ

当時の状況は幾つかの歴史書に書かれていますが、真相はどうなのかな

偕楽園といえば梅の名所

園内には3000本の梅の木があるそうで、花見の時期は多くの方が訪れて賑わうそうです

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花の時期はとっくに過ぎた6月、木には梅が実っておりやす

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100種の品種があるので、梅の大きさも形もそれぞれで、売店では梅の実が販売されておりました

本園内は夏季で午前6時~午後7時まで入園でき、園内は無料で入れることができるんですって~

そして本園内の中で有料なのがこちらの好文亭(こうぶんてい)

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そろそろ変え時となりそうな藁ぶき屋根の門をくぐって入って進むと好文亭

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こちらの好文亭は入館料190円で、水戸斉昭自ら設計し2層3階建て

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こちらの天井は「杉皮網代張り」という技法で編まれ、黒塗りの床と庭がマッチし、とても綺麗に感じます

3階に昇ると千波湖が一望

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暑い日でありましたが、湖からの風がなんとも言えない心地よさ、も少し居たいな・・・なんて思われる方が多いのでは

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さすが6月、躑躅が場所によっては見頃でありましたわ

また南側には日本庭園が広がっていて、色々な景色を観ることが出来る水戸偕楽園、さすが日本三庭園の1つです

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四季折々の季節によって変化する公園がある水戸市は良い場所ですね

因みにですが、先の震災によって崖崩れや液状化現象、好文亭では建物が一部損壊が発生し、復旧を終え再び公開されたのは今年の2月だったそうですわ

本園内と好文亭をゆっくり巡ると1時間は必要ですよ。車で来られると千波公園と偕楽園の間に駐車場があって、梅開花の時期を覗けば殆どが無料でありまする


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【茨城】 西山荘 [北関東]

【2010年6月12日】 [お出掛けアーカイブ]

[お断り] 本内容は2年前の2010年6月にお出掛けをした内容です 

安曇野から小県にかけてお出掛けした過去のお出掛けをお伝えしましたが、今回も同様に同時期のお出掛けを紹介しますね。実はこのお出掛け、安曇野や別所に出掛けた翌週に行っておりまする。また、2010年の内容ですので悪しからず

今回も老夫婦から以前よりリクエストがあった、茨城県水戸市にある西山荘が目的地でありやす

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首都高3号線からこの年の3月末に開通した中央環状線、まだ走ったことが無かったので遠回りだけれども大橋から板橋を経由して常磐道を目指します

地上20m以上もの高さにある3号線から地下を走る中央環状線までのアプローチはループ状に3~4周して降りて行く

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しかし、これがかなりの急カーブで、一度ラインを外れると車線に戻るのは苦難の技。みなさん速度は守りましょう!

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首都高中央環状線から6号線を通って常磐道にて日立南大田インターで降りやす

当時は高速道路の土休日上限1000円という突拍子も無い特別割引制度があったため、週末はやたら出掛けていたのが懐かしい・・・しかし1000円制度は本当に助かりましたわ

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日立南大田インターから一般道を走り、常陸太田市の中心部へ向かう

そして西山荘(せいざんそう)に到着です

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土産店内を通過して中へ入る仕組みらしい・・・土産物は帰りにして中へ突き進む

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まだ、躑躅が花を咲かせており(当時:6月中旬)、菖蒲も花を咲かせておりました

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綺麗に整備された庭を通り抜けると西山荘の入口、受付でかなり端数があった入場料を支払って散策です

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西山荘とは徳川光圀が隠居生活を行った場所で、テレビの水戸黄門でも各部最初はこの西山荘から出発するシーンがありますが、その西山荘が現在のこちらなのです

老夫婦は数年前から、ここ西山荘へ行きたい行きたいを繰り返しておりましたので、やっと念願を叶えてあげられたことになねのかな・・・

お出掛けは殆どが私の単独行なのですが、時々老夫婦を誘ったり誘われたりで行っておりまする。しかし老夫婦が一緒だと雨が降る確率が低くなるのは何故なのでしょうねぇ~

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こちらは通用門とのことでしたが、正門は見当たらずでした

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こちらが西山御殿、日本を漫遊したという記録は全く無く、光圀が「大日本史」を制作するにあたって、配下の者を全国へ向かわせたことがフィクションとなって全国を漫遊したってことになっているのでしょうね

また徳川光圀は別名で「水戸黄門」と称されますが、光圀が中納言職の官位であったのと、唐名で中納言は黄門とも呼ばれていたことから「水戸黄門」となったそうです

因みにですが、江戸時代における官職は朝廷と切り離して与えられていたため、武士の官職は肩書きのようなものであったそうです。ですから朝廷(公家)の中納言職と武家の中納言職は同じで無かったということになるのです

これは徳川家康が豊臣氏を滅ぼすために朝廷へ働き掛け、官職がゴチャゴチャだった状態を切り離すことによって、家康は朝廷と手を結んだ・・・という話もあるみたいですね

今でも官位と同じように会社での役職を重んじているのは、この官職があったからかもしれませんね。まぁ、今では「なんとかマネージャー」なる肩書きが増え、誰が偉いのかよくわからなくなっていますけどね(笑)

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こちらは助さんの住まいだった場所だそうです

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助さん、格さんという共の者がドラマにも出て来ますが、実はモデルが存在したんだそうです

ドラマでは佐々木助三郎、渥美格之進という名で登場しますが、実際は「佐々宗淳(さっさむねきよ)」が別名で介三郎と呼ばれ、「安積澹泊(あさかたんぱく)」が別名で覚兵衛と呼ばれていたんだとか。。。

うっかり八兵衛、風車の弥七、かげろうお銀・・・は、完璧なフィクション、、、わかりますよね(笑)

西山荘の近くには光圀の他、水戸徳川家の墓所「瑞竜山墓所」がありますが非公開

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先の震災で墓所の石垣が崩れ、修繕を目的とした特別公開があったそうですが、墓所を公開するか非公開にするかは墓守となる方の判断となりますので、どちらを選ぶかは墓守が決めることでありますので私達は何も言えません

しかし震災によって墓所の石垣が壊れたため、特別公開として1人10000円の参加者を集い、一部を修繕費にする姿勢に何か疑ってしまう

母方の祖父の先祖は石巻に住んでおりますが、先の津波によって本家の墓地は墓石も含めて流されてしまったと聞いています。そりゃ由緒も無い私の先祖なんかの墓所を特別公開して参加者なんかいる筈も無く、墓守が親戚縁者で修繕するのが当たり前

文化財に指定されているから・・・そんな理由は聞きたくも無いし、過去の歴史に登場した人物の墓所、、、確かに墓所という神聖な場所を公開するかは墓守として悩む所でしょうが、「壊れたから」の理由で特別公開するのって私はちょっと首を傾げてしまいますね

まっ、あくまでも私見ですのであしからず

そしてこちらも西山荘から近い場所にある正宗寺

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ここには助さん、、、佐々宗淳の墓所があり、こちらは一般公開されています

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もう少し時間があれば常陸太田市内を散策したかったのですが、偕楽園へ向けて車を走らせましたとさ

現在の西山荘ですがHPで確認したところ、開荘時間は午前9時~午後4時、入荘料は735円で毎週月曜日がお休みです。荘内は所要30~45分あればゆっくり観ることができ、瑞竜山墓所(瑞龍町)や正宗寺(増井町)へは車で10~15分圏内となります

この情報はこれから行かれる方にとっては大変目安となるんだなぁ・・・とお出掛け計画している時に認識したので、今後は少しずつ載せてまいりますね


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【平塚】 七夕まつり [神奈川]

先週は木曜と金曜日で関西方面へ出張しておりました

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神戸までは行かなかったのですが、西宮と大阪、京都の三都物語じゃないけれど、巡視が目的の出張

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週末は休んで京都観光でも・・・と考えていたのですが、土曜日はあいにく用事があって1泊2日の関西出張

ここまでは写真を撮ったりして出張での観光気分だったのですが、同行した部下と現地のスタッフによる綿密な行程表をこなすため、写真はもとより観光も全く無しで出張を終えてしまいましたわ

帰りは京都駅20時49分発で小田原駅に停車する最終のひかり号、この時間になるまでスケジュールを組まなくてもいいのに・・・なんて愚痴を言っても仕方ありませんね

仕事しているからお出掛けも出来るのですから。。。しかし京都へ行っていながら写真も観光も無し・・・悲しい

雨男の栄冠と称号を持つ、わたくしは見事2日間は雨にお見舞いされておりましたわ(笑)

さてさて

我が町では昨日の金曜日から明日の3日間は、七夕まつりが催されています

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今夜は雨であるのと節電によってライトアップは短縮処置がとられているため、過去の写真で紹介いたしますね

七夕と言えば東北仙台の七夕まつりが有名ですが、関東では平塚の七夕まつりは仙台に負けない(負けていますけどね)ぐらいの賑わいを見せています

写真は2009年のもの

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梅雨の時期の七夕なので毎年雨の七夕になっておりやす

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竹飾りを観るのが目的だと思われるかも知れませんが、平塚の七夕まつりは「夜店フェスティバル」とも秘かに呼ばれ、竹飾りのメイン通りから1本路地に入ると、数百店もの夜店が出店し、これまた賑わいがあるんです

あるビルから夜店のストリートを撮ってみるとこんな感じ

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昔は寅さんみたいな啖呵で客を引き付ける夜店もありましたが、今ではどこも同じようなお店が多いみたいです

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夜店は子供達の天国で、金魚すくいなんてこんな感じですわ

ある広場では一般の方が、願いを込めて短冊に書き吊るされているのですが、中にはこんなのも・・・

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かなり現実っぽい願い事もあったり

なんか怖い。。。

明日も予報は傘マークがある神奈川県ですが、織姫と彦星は天の川で出会えたのかな


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