鎌倉13 大仏(高徳院) [神奈川]
【5月25日 金曜日】 午前10時40分
今日はGWの振替休みってことで、いつもの鎌倉へ
私の自宅は平塚という街に住んでいるのですが、鎌倉へは大船駅から横須賀線に乗り換えて鎌倉へ入るルートと、藤沢駅から江ノ電(江ノ島電鉄)で鎌倉に入るルートの2つが定番
しかし今回は目的地が決まっていたのと、こっちの方が早いかな?と考えて・・・
藤沢駅より江ノ電バスで鎌倉入り、、、運賃270円
そして向ったのは。。。ドーン
高徳院の国宝「銅造阿弥陀如来坐像」、別称『鎌倉大仏』
奈良の大仏と比べたら大きさは小さいのですが、造られた当時そのままってところが奈良に勝るところでしょうか(決して奈良の大仏に勝とうなんて思っておりませんよぉ~)
大仏前バス停で降りると目の前が高徳院、、、寺院としての本当の名前は『大異山 高徳院 清浄泉寺』といいます
200円の拝観料を支払い、境内の中へ
大仏ばかり撮っているですって?
周囲を見たいですか?
ジャーン!
大賑わいです
小学生、中学生、高校生、そして団体ツアーの御一行様が押し寄せておりました
京都や奈良もそうですが、遠足や修学旅行の行程を案内するサイトがあったなら良いなぁなんて考えちゃいました。そりゃ学校名を明記して1日の行程を表記しちゃったら、個人情報保護の観点からまずダメなのでしょうが
鎌倉 △△△寺 9:00~10:00 小1校、中4校、高2校
なんて予定表ならぬ「遠足・修学生情報」があれば、一般客はその時間帯は避ける手段が取れると思うんだけれどなぁ
京都、奈良、鎌倉、日光 この4地域で月日別の訪れる学校数を発表してくれると助かりますよね?もしかしてどこかでそんな情報サイトがもうあるのかな
鎌倉大仏はそもそも大仏殿があったのですが、災害等によって再建されるものの1498年にあった「明応の大地震」による津波によって倒壊した後は、現在のような露座となったんだそうです。津波によって・・・と子供の頃から聞いていましたが、先の東北大震災による津波をテレビ越しに目にし、本当だったんだと認識
しかし「明応の大地震」前に大仏は露座であったという説もあり、真相は全くわからないんだそうですわ
境内にベンチのような大きなテーブル状な石が56基あるのですが、この石が大仏殿の柱を支える礎石(大仏殿礎石は当時60基あったそうです)
大仏の周りでは腰を下ろすのに丁度良い石(ベンチ)になっています
鎌倉大仏に観に来られても大半の方が訪れない観月堂
15世紀中頃の朝鮮王宮内に建てられていたものを日本に移築し、大正時代に「山一合資会社(後の山一證券)」の社長から寄贈されてこちらに建てられたそうな。朝鮮王宮の建物なんて「チャングム」とか「イサン」のテレビドラマでしか見ていない私でも瓦の違いや、柱や梁の構造が違うのには気付きましたよ
そして境内には著名人の歌碑や句碑等があり、こちらは与謝野晶子の歌碑
歌は 『かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな』 と読まれています
こちらの歌碑に興味を示すのは私よりもご年配の方々だけで、小・中・高のご一行様は寄りつきもしませぬ
さて次の寺院へと思っていたら空から雨が
さすが「雨男」の称号、いや「勲章」、いやいや「国宝」級な雨を呼ぶ男、毎回見せ場を作りまするなぁ
京都29 祇園 [京都]
※本文と写真は今年3月6日に訪れた際の内容となっております
知恩院を後にして祇園をぶらり
まずは白川の巽橋から
京都を舞台にしたサスペンスドラマだとこちらの「巽橋」は定番のシーン、、、上賀茂神社の川沿いを歩いたかと思うと嵐山の渡月橋に行き、会話をしながら鴨川沿いを歩き、産寧坂で犯人を捜索し南禅寺の水路閣で逮捕され知恩院の三門で連行され、清水の舞台でエンディング。。。
おいおい、そんなに瞬時に移動出来るかい!
てなシーンチェンジしちゃうのが通例、このようなサスペンスドラマを観て京都へ行こうと思われた方がおられましたらご注意を(笑)
このまま飲み屋街を通過して四条通りへ
こちらは南座、来月から春の風物詩である「都をどり」が催される予定で、独特の提灯が祇園界隈に飾られておりまする
こちらは祇園の宮川通り
提灯をジーっと見ているとゴレンジャーの赤レンジャーを思い浮かべてしまうのは私だけなのかな?
宮川通りから花見小路へ
京都って感じがありますね
祇園の町をブラついてバス停へ
次の行先は、、、こちらデス
京都28 円山公園から知恩院 [京都]
【3月6日 火曜日】 午前9時45分
※本文と写真は今年3月6日に訪れた際の内容となっております
高台寺をあとにして円山公園を横切り、知恩院へ向かいます
円山公園手前で広い参道が現れ、こちらはなんだろうとガイドブックを広げると「大谷祖廟」
東本願寺、、、正式には「真宗本廟」というそうです
わけん家は「お西さん」である本願寺派(西本願寺)なもんで、祖廟に向いて頭だけ下げて円山公園へ
今日も数多く寺社巡りをしたかったので、こちらの公園碑前で写真を撮って知恩院に
因みに祇園方面へ下って行くと八坂神社なのですが、こちらもパスしてしまい祇園に出てから交差点を挟んで写真をパチリ
夜になるとライトアップされ、朱の西楼門でこの奥に本殿があり、その先が円山公園となりまする・・・説明しなくてもわかりますよね(笑)
順番が違いますが、こちらが東大路に面した知恩院の入口となりやす
そして三門
三門をくぐって御影堂へ行ってみると修復工事による白い建築用囲いで覆われ、屋根以外は観れませんでした
拝観出来るのは集会堂(御堂)のみとのことで、それでもここまで来たのだからと中へ入って行くと、修理工事中だけ御影堂にある御尊像が集会堂へ遷座されていて拝むことができました
また七不思議は一部しか見ることが出来ず、工事が終了する平成33年・・・だいぶ先になっちゃいます
御影堂はこんな感じ
(知恩院HPより)
この姿は約10年後に美しくなって拝見できることを楽しみ待つとしますかな
さきたま古墳群 と 忍城 [北関東]
【5月20日 日曜日】 午後0時15分
昨日の引き続きといいますか、本来はこちらが先であります
圏央道の桶川北本ICを降りて中山道の鴻巣宿を通り過ぎると行田(ぎょうだ)市に入ります
今日の行先は熊谷(昨日を参照)でしたが、ちと立ち寄りたい場所があり、国道17号バイパスを右手に折れる
しかし道を間違えたみたい
ここはどこ?と信号の交差点名に目をやると
埼玉?
ここは「さいたま市」から20~30km近く離れた行田市なのに
なんて考えながら車を走らせていたら前方後円墳の古墳が現れる
なんなんだろうと車を止めて観に行ってみると、「さきたま古墳群」と案内板に書かれていて、「さきたま」が現在の埼玉(さいたま)と読み方を変えたんだそうですわ
もともと「埼玉県」の埼玉は古代から呼ばれた言葉であるのは聞いたことがありますが、道を間違えてこのような場所に来れるのって「すご~い!私」と自画自賛!しかし迷子と紙一重なのですけどね(笑)
古墳群周囲は公園になっていて整備されています
菖蒲の花が咲き始めたってところでしょうか
さきたま古墳群に隣接する「さきたま史跡の博物館」を己の目で確認したのですが通過
帰宅して検索してみたら、こちらの博物館には国宝の「ヒスイ勾玉」や「画文帯環状乳神獣鏡」の他に、当時は世紀の大発見と騒がれた国宝「金錯銘鉄剣」も展示されていると知り、ただただガックシ
知っていれば立ち寄って拝見したのにな・・・
また来ればいいさ、、、これが結論ですな
そんでもって
熊谷へ立ち寄る前の寄り道先は こちらの忍城(おしじょう)
平城でありながらも難攻不落で、豊臣軍による水攻めでも城は落ちず「忍の浮き城」と名を馳せた城
現在は観光用のコンクリート城になっちゃいましたが、周囲は水城公園と呼ばれる沼や池があってかなり綺麗な公園があり、コンクリート城へは「行田市郷土博物館」に入館しないと入ることは出来ません
こちらが博物館
館内では甲冑を着れるみたい
この写真を撮った後で、親子が揃って甲冑を着こんだのですが、子供は途中で嫌がり始めるもお父さんは逆にやる気満々!
わかるような気がします
追伸
飲食店の看板にやたらと目にしたが「フライ焼きそば」
フライ焼きそばって、どんな料理なのですかねぇ
また行田や熊谷に訪れる理由が出来たのかもしれませんね(笑)
歓喜院(聖天堂) 国宝指定 [北関東]
【5月20日 日曜日】 午後2時00分
昨年11月、NHKの「昼ブラ」という平日昼間の番組(私の情報源的な番組)録画を観ていて、埼玉県の熊谷市に艶やかなお寺を紹介しているのを知り、佐野と足利を訪れその足で熊谷へ・・・と向うも、熊谷手前で陽が暮れてしまい艶やかなお寺は次回となった事がありました
その時は漠然と「熊谷市にある艶やかなお寺」しか情報がなく、お寺の名前も全く知らなかったのですが、昨日の5月19日の朝刊に「熊谷市の歓喜院が国宝に指定」の記事をたまたま読み、ここってもしかして・・・
ハイっ、いつもの持病であります『お出掛け病』が出てしまい、本日5月20日に行って参りましたわ
※今回は写真も文面も長めです
自宅より中央道の相模湖ICより高速に入り、圏央道で桶川北本IC(終点)で降りて熊谷へ
(本当は熊谷へ行く際に寄り道をしたのですが、その記事は明日以降にお伝え致しますね)
熊谷市妻沼(「めぬま」と読みます)にあります『妻沼聖天山 歓喜院 (高野山真言宗)』、平成23年5月18日の文化審議会答申で建築物としては埼玉県で初の国宝に指定され、妻沼周辺に入ると商店街には「国宝指定」等の張り紙が、、、また駐車場は満車状態で、今後こちらに訪れる方はいっぱいいらっしゃるのでは
さぁ、境内に入ってみまーす。。。下の門は「貴惣門」で、色はありませんが素晴らしい彫刻を観ることができます
本殿はこの先で、右手には歓喜院の前身である「聖天宮」を建立した斎藤実盛像があります
中門をくぐると仁王門
門内は国宝指定のイベントと思われる催しが行われていて、高野山の僧侶やスーツ姿のお偉い方々が演説されていました
それじゃ国宝にへいきますかな
こちらが聖天堂と呼ばれる本堂。
平成15年から修復作業が始められ約7年間の月日と総工費13億円を費やし、昨年修復工事が完成したんだそうです
拝観料は700円と少しお高めではありまするが、ボランティアさんによる説明も受けられるのと、今後の維持・整備費としてこのまま長く保存される気持ちを込めて納めました
建物を観る前にボランティアさんより10分程説明を受けて建物近くへ
彫刻と色調は日光東照宮みたい
彫刻は「左甚五郎」と伝えられているのですが、こちらの聖天堂が造られたのは1744年、左甚五郎は1651年に亡くなっているので、左甚五郎本人の彫刻ではなく、左甚五郎四世か五世にあたる弟子によって造られたのではと説明される
時代は八代将軍吉宗で、幕府財政難の折から倹約令が発せられ、聖天堂のようなきらびやかで艶やかな色調と彫刻が施される寺院は少なくなったんだそうです
写真の猿なんかは、東照宮の三猿と同じような表情をしています
赤色の丸印には「眠り猫」ならぬ「起きている猫」があります
説明を聞きそびれてしまい、アップで撮った写真がなくすみません
下の写真は南面
こちらは西面です
こちらの中央には囲碁を楽しむ七福神が。。。布袋様の「参ったなぁ」てな表情、、、う~ん細かい!
今回は広角レンズを持ち合わせておらず、18mmでは全体像が撮れませぬ
こちらは北面
外から眺めるとこのような柵があって、通常のレンズでは厳しいっす
柵が無ければなぁ~なんて心で呟いた声が聞かれたのかわかりませんが、一匹の猫クンが私の足から離れようとしないんです
よしよし、、、と頭を撫で、次のアングルへ移動しようとするとまた私の足にすり寄って来る。。。オイオイ、踏んでしまうぞ~と声を掛けてもお構いなしの猫クン
しばし戯れて猫クンから解放される
この猫クン、、、もしかして彫刻にあった「起きている猫」?
そんなことはありまらんわな(笑)
写真や私の酷い文章では伝わらないと思われますが、落ち着いた平日に訪れてゆっくりと観るのをお薦めいたします
それにしても今日は暑く、車内の温度計は27℃
日本で一番暑いといわれる熊谷市は侮れず、境内に面した場所にあったお茶屋で一服
注文は迷わず『氷イチゴミルク』下さい!
周囲を見渡すとどのテーブルにもかき氷が!
私だけでなく助かります
しかし、皆さまは「氷宇治金時」を食べられていて私だけお子様のような「イチゴミルク」
しか~し、かか~し
この「イチゴミルク」を食してビックリ!
とても甘いだろうと予測していたのですが、とてつもなく酸っぱいんすよ~いちごの酸っぱさってな感じ
宇治金時をお食べになっている諸兄皆々様に目を細くして微笑んでしまいましたわ(かなり不気味な視線)
これからこの「聖天山歓喜院」はテレビや情報誌によって大々的に宣伝され、当分は国宝フィーバーしちゃうのではないかな